罪と罰のその先 第二話 『似て非なる空』 投稿者:詠夢 投稿日:04/10-15:11 No.273
ゆっくりと覚醒する意識にあわせて、周防達哉はゆっくりと目を開ける。
やけに高い天井が見えた。
上体を起こして、首をわずかに巡らせば、そこは書斎か何かのようだった。
どうやら、自分はソファに寝かされていたようだ。
「あ…目を覚まされたようです。」
背後から聞こえた声に振り向くと、一斉にこちらを見る三人の男女がいた。
一人は、短髪で眼鏡をかけた無精ひげの男性で、白いスーツに手を突っ込んでどこか安堵したような表情でこちらを見ている。
もう一人は、茶々丸と呼ばれていた機械仕掛けの少女だった。
さきほどの声も彼女のものだったが、気を失うまで自分とは敵対していたはずなのに、そこには気遣うような響きがあった。
そして、最後はこの中で最も幼く見える少女。
吸血鬼の真祖と名乗った、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、つまらなそうな雰囲気を隠しもせず見下ろしていた。
とりあえず、警戒する達哉に彼女はひとつ鼻を鳴らす。
「ふん…安心しろ。何もしてはおらんし、何もする気はない。」
「いやぁ、済まない。エヴァとは昔、ちょっと組んでた時期があって…つい、条件反射でね。」
眼鏡の男性のいきなりの謝罪に、達哉は最初意味がわからず眉を顰める。
が、すぐに自分が気を失った理由が、目の前のこの人物にあることを思い出し、彼の表情に慌てて立ち上がって言葉を紡ぐ。
「あ、いえ…俺は大丈夫ですから。それで…その、ここは?」
「─ふむ。君が聞きたいのは、単純にこの部屋のことかね? それとも、『君が居た世界とは異なるこの世界』のことかのう?」
達哉の質問の返事は、エヴァンジェリンたちの向こう、執務机から聞こえてきた。
そこには、さながら蛸かエイリアンのような頭をした、長い白眉をもつ小柄な老人が座っていた。
「では順に答えよう。ここはワシの執務室で、ここは確かに君の世界とは異なる異世界じゃ。
ワシはここ、麻帆良学園都市の学園長を務めておる、近衛近右衛門このえこのえもんという。
異世界を訪れた気分はどうじゃな、周防達也 くん?」
「どう、って…やっぱりここは異世界、なのか…。」
わかってはいたことだが、改めて突きつけられる現実に、達哉は俯く。
学園長を名乗った老人は、ただ静かにそんな彼を見つめて。
「…落ちこんでおるところに追い討ちをかけるようじゃが、君を元の世界に帰す術をワシらは知らん。君の方で帰る当てはあるのかね?」
達哉は無言で首を振った。
世界を渡る際、自分を導いてくれたのはフィレモンだ。
自力では、どうすることもできない。
恐らく、向こうで何かがあったのだろうが、どうすることも出来ない以上、考えても無意味だろう。
そこまで考えて、ふと疑問が浮かぶ。
「あの、近衛さん。」
「学園長で構わんよ。」
「では、学園長。どうして俺がこの世界の人間じゃないと…?」
達哉の質問に、ふむと髭をひとなでして、ちらりと視線を達哉の後ろ、ソファにどっかと腰を下ろすエヴァンジェリンに向ける。
「大体のところはエヴァに聞いた。ワシらとは違う術を使うこと…それに纏っておる空気が違う。ま、それはすぐに馴染むじゃろうが。
もとより、異世界からの漂流物あるいは漂流者など、ワシらのような人間にとっては稀にあることじゃよ。
それよりも、すまんことをしたのう。エヴァはこの学校の警備員の一人でな、まあ、ちとやりすぎてしもうたようじゃ。」
「ふん! 侵入者を排除して何が悪い。それが私の仕事だろうが。」
面白くもなさそうにエヴァンジェリンが吐き捨てる。
そんな様子に、眼鏡の男性が苦笑を浮かべる。
「仕事はともかく、吸血は必要ないだろう?」
「うるさい。こいつのせいで私はまた魔力を消費したんだぞ! そのくらい当然だ。…せっかく溜めてたのに。」
最後の方は誰にも聞こえないよう、小さく呟いた。
「大体、やりすぎたのはお前だろうが、タカミチ。」
「ははは…それは、まあそうなんだが…。 ああ、本当に大丈夫かい?」
「はい。意識もしっかりしてますし、痛みももう引いてるみたいです。」
眼鏡の男性は、その言葉に安堵して表情を緩める。
「いや、よかった。…そうだ、まだ名乗っていなかったね。僕はタカミチ・T・高畑。この学園の教員をやっている。」
高畑と名乗った男性は、そのまま右手を差し出す。
達哉もその手をとり、二人は軽く握手をした。
「さて…話を続けてもいいかのう?」
学園長の言葉に、達哉は改めて向き直り、静かに頷く。
「では、当面の君の処遇についてじゃ。
君も行く当てなぞなかろうし、しばらくはこの学園に留まるとよい。住むところは保障しよう。
して、ときに周防君…君は学生かね?」
「はい。七姉妹学園という高校の三年生…でした。そういえば、後二ヶ月くらいで卒業だったな…。」
少し遠い目をして達哉は呟く。
脳裏をよぎるのは、かつての無二の仲間達とともにいる涙が零れそうなほど懐かしい記憶。
そんな彼の心中は知らず、学園長はふむ…とわずかに考え込み。
「編入させるにも今は二学期末じゃしのう…とりあえず、暫くのんびりして来期にはどうするか検討してみてはくれんか?
高校に通うもよし、一気に大学を目指すもよし、職を探して生計を立てるもよし…。」
わかりました、と達哉が頷きかけたとき、学園長がぴっと人差し指を立ててそれを遮る。
「ただし、どれを選ぼうと一つだけ。頼まれて欲しいことがある。」
「俺に出来ることなら。」
達哉に是非はなかった。
自分のように、素性からして怪しいものを置いてくれるというのだから、それだけでも有難い。
「なに、難しいことではない。高畑君やエヴァと同じくこの学園の警備をしてもらいたい。他の面々にはおいおい紹介していこう。」
「わかりました。これから、よろしくお願いします。」
達哉は力強く頷く。
学園長室に、ふぉふぉふぉと満足げな笑い声が響いた。
◆◇◆◇◆
学園長室を退出してからしばらく。
高畑やエヴァたちとともに、ところどころ街灯の灯された夜道を、達哉は歩いていた。
「明日には新しい住居を紹介できるだろうから、今晩は僕のところに泊まるといい。」
「すみません。」
にこやかに提案する高畑に、達哉は素直に感謝の意を示す。
そこに、エヴァ─エヴァンジェリンにそう呼べと言われた─が口を挟む。
「私の家に泊まっていってももかまわんと言っているだろう。女性の誘いを断るとは、それでも貴様は男か?」
「遠慮する。寝ている間に血を吸われたらたまらないからな。」
達哉は見向きもせずに、彼女の提案を切って捨てる。
「信用がないな。」
「そんな顔で言われても説得力ないな。」
そう言われてエヴァは、む、と口元に手をやる。
どうやら、にやにやと何かを企むかのように笑っていたと、自分でも気がついていなかったようだ。
「まあ、いいさ。そのうちに、な。」
「そのうちなんてない。」
不穏当だがどこか絶妙なやりとりに、隣をいく高畑はふっと笑う。
ともあれ、だいぶ打ち解けた…のだろうか?
「そういえば…貴様、あのジジィを見ても、何の反応もなかったな。」
「反応?」
「そうだ。あの頭だぞ。初めて見た奴は大抵、驚くか突っ込むかするものだ。かくいう私も、最初は人間じゃないと疑っていた。」
「おいおい、エヴァ。」
エヴァのあまりの言い草に、さすがに高畑も苦笑する。
が、否定はしなかったりする。
しかし、達哉は平然と。
「ああ…それなら知り合いに、もっと凄いのがいるからな。」
「何!? あれよりも思い切った頭の奴がいるのか!?」
「頭…というか、鼻がな。まあ、全体的に凄かったりするんだが…。」
「……私は今、はじめて貴様の世界に対して、恐怖というものを覚えたぞ。」
一体、何を想像したのか、エヴァは若干顔をしかめる。
高畑も、どこか笑い声が乾いているような気がする。
「あの…。」
そこに、学園長室にいたときから沈黙していた茶々丸が、達哉に声をかけた。
「? 何だ?」
「これを。」
「これは…!」
それは、古びた銀色のジッポライターであった。
表面に何かの英文が彫ってある。
「戦闘の際、上着のポケットから落ちましたので拾っておきました。」
「そうか…ありがとう。」
「どれどれ…being the most important can't be seen in the eyes.」
横から覗き込んだ高畑が、彫られた英文を読み上げる。
「大切なものは目には見えない、か。いい言葉だね。…君もタバコ、吸うのかい?」
「いいえ…でも、これは友達と交換した、俺の宝物だから。本当にありがとう、茶々丸。」
「いえ。」
「ふん。……と、私達はこっちだからな。いくぞ、茶々丸。」
分岐路にさしかかり、エヴァはそういうと、すたすたと林側の道へと歩いていく。
茶々丸も、達哉たちにひとつ頭をさげると、その後に従った。
「じゃあ、僕らもいこうか。こっちだよ。」
「はい。………。」
達哉は高畑に促されるまま歩き出そうとして、ふと上を見上げる。
特に意味があったわけではない。
だが、それでも見上げてしまっていたのだ。
自分の見知らぬ、見慣れたものと同じ夜空を。
「……必ず。必ず帰る。」
達哉は手元に目を下ろし、ジッポライターの蓋を一度、親指で開閉する。
チン、カチン!と。
いつも、ことあるごとに行ってきた癖。
苛立っているとき。
呆れているとき。
照れているとき。
そして、決意を固めたとき。
それらとともにあり続けた音を、達哉はもう一度決意を込めて鳴らした。
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