罪と罰のその先 第三話 『訪れる日常』 投稿者:詠夢 投稿日:04/10-15:20 No.274
冬の澄んだ空の下、学園都市内の商店街にあるオープンカフェ『イグドラシル』に、達哉の姿はあった。
テーブルにあるコーヒーは、すでに冷めきってしまっている。
だが、達哉はそれに口をつけようともせず、また席をたつわけでもなく、ただ一心に何かを考えているようだった。
「あら? あなたは…。」
最初は、それが誰に対するものかわからず、達哉はひたすら思考に没頭していたが、その人物がすぐ横にきた気配に顔を上げる。
そこには、看護服と学生服をあわせたような服を着た、金髪の少女が達哉を見下ろすように立っていた。
彼女の顔は見覚えがあった。
「ああ…確か魔法生徒の…?」
「高音・D・グッドマンですわ。ちゃんと覚えておいてください、周防達哉さん。」
やや歯切れ悪く聞き返す達哉に、高音は少々皮肉な響きを込めて名乗る。
あれから、高畑に連れられて、幾人かの魔法先生・生徒に会ったが、彼女もまたそのうちの一人だった。
だが、別に達哉は彼女の名前を忘れていたわけではない。
いざ口にすると、恥ずかしいものなのだ。この魔法先生や魔法生徒という響きは。
と、そこで高音の背の影に隠れながら、ツインテールの少女がじっと見つめていることに気づく。
達哉の視線を追って、高音もそれに気づいたらしく、軽く眉をひそめる。
「愛衣。なんで隠れてるんですか? もっと堂々となさい。」
「あうあの……ど、どうも。」
ぐいと高音に押し出され、佐倉愛衣さくらめいはぺこりと頭を下げる。が、すぐに一歩下がってまた高音の影に隠れようとする。
どうやら、怯えられているらしい。
昔から近寄りがたいと言われてきたが、こうも露骨に怖がられると結構傷つく。
高音は、そんな愛衣の様子を不甲斐ないと思ったか、小さく鼻を鳴らす。
「この男が高畑先生の一撃で昏倒したということは、愛衣。あなたも聞いているでしょう。何を怖がっているんです。」
どうやら、高音の方には甞められているらしい。
達哉にとって、あの時は完全な不意打ちで、しかも聞けば相手はほぼ全力で殴ってきたらしい。
第一、仮に自分が高畑よりも弱かったとして、彼女らより弱いというわけではないのだが………。
そこまで考えて、達哉は軽く頭を振る。
やめておこう。ムキになるほど空しいだけの話だ。
「それで? 何か用なのか?」
「用などありません。ただ、お見かけしたので声をかけたまでです。……今日はお買い物ですか?」
達哉の質問をあっさりと切り捨て、高音は達哉の足元を見てそう尋ねる。
そこには、いくつかの紙袋と箱が重ねて置いてある。
「ああ。もうじき年末の店仕舞いだそうだから、身の回りのものでも揃えておこうと思ってな。」
部屋を今の自分の個室に移した後、高畑に店の場所は教えてもらった。
一応、いくらかは『向こう側』で稼いでいたので、金銭面では困ることはなかったのだが、それよりも、この都市の広さに参った。
増えていく荷物を抱えて商店街をひたすら歩き回るのは、かなりの重労働だった。
「(…わざわざ徒歩で廻ったのに、結局は無駄骨だったな。)」
達哉は、そう心中で零す。
別に、一軒一軒見て廻らずとも、あらかじめ目星をつけていた店にいけばよかっただろうが、そうもいかない理由が達哉にはあった。
ベルベットルーム。
商店街や路地の片隅などに、いつからかひっそりと青い扉が存在しているという事がある。
そこは、青一色に染め上げられた部屋で、普通の人間にとっては用のない場所。
だが、達哉のようにペルソナを持つ者にとって、そこはとても重要な意味を持つ。
それは意識と無意識の狭間への入り口であり、それは現実と幻想の境目であり、そして全ての世界へと通じる心の海の入り江でもある。
達哉を異世界に導いたフィレモンの従者が管理するその部屋に行けば、あるいは帰る手段が見つかるだろうと思ったのだが。
「(まあ、そううまくはいかないか…。)」
商店街ではついに見つけることは出来なかったが、達哉はそれほど悲観していなかった。
先に述べたようにこの街は広い。そして、多くの力と可能性が集っている。
ならば、きっとどこかに現れるはずだ。
少々、希望的な観測だが、それでも達哉の心を晴らすには十分。自然と口元が綻ぶ。
「…と。ちょっと! 聞いているんですか?」
達哉がふと目線をあげれば、いつの間にかテーブルの向かい側に高音が座っていた。愛衣もその隣に小さく座っている。
どうやら、思考に没頭していて彼女らの話を聞き逃していたようだ。
「ん…悪いな、考え事をしていたんだ。何だ?」
「ですから! 成り行きとはいえ、あなたもこの街の警備を勤めるというなら、それなりの自覚というものをもってですね。」
しかつめらしく語る高音の言葉に、達哉は聞き逃していてもいい類の話だと判断した。
そして、ひとり頷きながらなお語り続ける高音をよそに、自分の分の代金を置いてさっさと立ち上がり荷物を手にする。
高音はそれに気づかなかったが、愛衣は慌ててそれを追って立ち上がる。
達哉はその様子に苦笑を浮かべて。
「悪いが、荷物を部屋に運ばないとな。」
そう言い置くと、うろたえる愛衣の横をすり抜けて、すたすたと出口に向かってしまう。
後ろで、ようやく気づいた高音の当惑の声が聞こえてきたが、達哉は振り返らなかった。
◆◇◆◇◆
「…いい天気だな。」
中世欧州風の大通りを歩きながら、達哉は空を見上げて呟いた。
これほどのんびりとした時間を過ごすのは、いったい何時以来だろうか。
時間にしてほんの数ヶ月に満たないほどなのに、随分と前のことのように思える。
初めて、自分の内なる力─ペルソナに目覚めたとき。
それからは、戦いの日々だった。
崩壊に向かう世界の中で、仲間達と駆け抜けた日々。
平行世界に渡った後は、仲間すら居ない状況で、ただ一人で戦い続けた。
やがて、また新しい仲間を見つけて、因果を終わらせることができ─……今、自分は年末の買い物をしている。
最後に自分の現状をそう結論すると、ふいに達哉は可笑しく思えて笑みを浮かべる。
と。
「あれー? 周防さんじゃないっすかー!」
ふいに名前を呼ばれてそちらを見ると、髪の短いスポーティな印象の少女が親しげに寄ってくる所だった。
「春日…だったか?」
「そーっす。春日美空でーす。ときに周防さん。ちょいとその荷物貸してください。」
美空は言うが早いか、達哉が聞き返す間もなく荷物を奪って両手に抱える。
「お、おい…。」
「いいから、いいから。ちょっとの間の荷物もちと思って。さ、行きましょう。」
そう言うとスタスタと歩き出す。
性格上、女性に荷物を持たせて自分は手ぶらというのはどうにも落ち着かず、達哉は美空から荷物を取り返すべく手を伸ばす。
「ちょっと待て。いきなり…。」
「しッ!!」
ふいに美空は真剣な面持ちになると、荷物をさらに抱え上げ、顔を隠すようにして持つ。
達哉がその態度を訝しんでいると、通りの向こうから修道服に身を包んだ、褐色の少女がやってくるのが見えた。
「(なるほど…そういうことか。)」
「あ、周防さん! あの、美空を…春日を見かけませんでしたか?」
修道服の少女、シスター・シャークティは、達哉の前まで来ると、おもむろにそう尋ねてきた。
ちらりと達哉が横を見れば、美空がふるふると首を振りつつ、必死に縋るような目線で訴えている。
達哉は一つ息を吐くと。
「いや、見てないが…どうかしたのか?」
「それが、あの子ったら教会の掃除をサボって出掛けたみたいで…ホントに、もう!! すいません、それじゃ!!」
そう言うと彼女は身を翻し、ふたたび通りの向こうへと走っていく。
その姿を見送ってから、達哉はじろりと隣で愛想笑いを浮かべている美空を睨む。
「あは、あははは…まあ、あれですよ。うん。ほら、私らの宗教上、新年ってクリスマスのことじゃないっすか。だから…。」
「だから、日本の元旦に備える必要はないし、遊びに出かけても構わない、か?」
達哉に言葉尻を奪われ、うっと怯む美空。
「だって、大掃除なんてどんだけ面倒くさいか! 結構ウチ、取り扱い気をつけなきゃなんないのも多いし…正直、やってらんねッす。」
「………。」
無言。
その圧力にふたたび、うっと怯む美空。
しかし、達哉はやがてふっと微笑を浮かべる。
「まあ、俺にはどうでもいい話か。」
「え…あ、いやぁ、わかって頂けたようで何より! じゃ、私もこれで…あ、荷物お返ししますね。」
達哉の態度の急変に戸惑う美空だったが、一転にこやかになると、荷物を返そうと差し出す。
だが、達哉は受け取らずにくるりと背を向けて歩き出す。
「え、あれ? 周防さん? 荷物…。」
困惑する美空に、達哉は立ち止まってちらと振り返り。
「荷物もち、するんだろ? 早く来い。」
それだけ言って、またスタスタと歩き始める。
「え、ちょ、えぇ~!? あ、待って、待ってってば~!!」
慌てて追いかけてくる美空を、達哉は今度は視線だけで振り返り、ふうと溜息をつく。
まあ、性格上荷物を持たせるのは忍びないが…罰は必要だからな。
冬の澄んだ青空の下、美空の喚き声を背に受けながら達哉は、我知らず笑みを浮かべていた。
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