ネギ補佐生徒 第15話
「ちっ……しまった。しかしアレがこのかお嬢様のチカラか……さすがやな」 屋根の上から刹那たちの様子を見ていた千草がそう呟く。 白い少年――――フェイト・アーウェルンクスが自分と同じように下を見下ろしているのに気がついた千草は、 「そういや、新入り。あの小僧にも魔力があるてほんまかいな」 小さく頷くフェイトに、ほほう、と千草は顎に手を添えた。 もし、木乃香の魔力が不足し、計画に支障が出た場合、澤村を繋ぎとして使うことも可能なのではないのだろうか。 何事も保険は必要である。 「フフッ……こらええ掘り出しもんかもしれへんなぁ。見たところ魔法使いゆーわけやないみたいやし」 ネギを狙うよりかは丁度いい、と千草は澤村を見た。 木乃香と刹那をぼうっとした表情で見ている。 「それに、お嬢様より狙いやすいしなぁ」 その言葉に気がついたのかついていないのはわからないが、下にいる澤村がこちらを見上げてくる。 彼の瞳は、怯えが覗われた。 ネギ補佐生徒 15話 総本山とホテル嵐山 明日菜に背負われ、ネギは思う。 ―――――なんで皆ついてきてしまっているのだろう。 明日菜に問い詰められて答えた刹那の話では、木乃香を抱えて逃げたところ、刹那の荷物にGPS携帯を和美に放り込まれたとかで。 ……ホント、和美という人物は侮れない、とネギは思いながらも視線を澤村へとずらした。 刹那達とではなく、和美達と一緒に来た澤村の表情は、生きているのかと疑ってしまうほどの青白さだった。 目を見開いたまま軽く口を開いて、地面を見つめながら歩いている。 握られた拳は、小さくだが震えていた。 耳をすませば、息をしながらも震えた声もかすかに聞こえてくる。 一言も自分たちとは話さず、ずっとこの調子なのだ。 見るに忍びない彼の姿に、ネギは彼の名を呼ぶ。 「澤村さん?」 ネギの一言で、刹那たちの歩が止まる。 和美達ははしゃいでいるせいか、先を歩いて行ってしまった。 澤村も、歩を止めずそのままぎこちない足運びで歩いている。 「ちょっと、澤村君っ」 そのままネギたちの横を通りすぎようとした澤村の肩を明日菜が掴む。ネギを片手で背負ったままできるのは、ネギの体重の軽さ故かそれとも明日菜の腕力がなせるのものなのかは、不明である。 「――――っ!?」 服が擦れる大きな音を立てて澤村が振り返った。 引き攣った口元、眼球が零れ落ちそうなほど見開いた目、小さく短い悲鳴。 言い表せないほどの怯えた表情。 だが、それは一瞬のこと。 すぐに澤村はいつもの表情に戻った。まるで、さっきの表情が嘘か夢とでも思わせるような表情。 「神楽坂さん、脅かさないでよ……」 片眉寄せてこぼす澤村の言葉に、明日菜は戸惑いながらもごめんと口にした。 彼女もさきほどの澤村の表情に何か感じたのだろう。 刹那もネギも……木乃香すらも、澤村を怪訝に思っていた。 「澤村君、顔色悪いえ?」 木乃香が心配そうに言った。 その言葉に、澤村はえ、と声をあげて自分の顔を手で覆ってしきりに何かを確認している。 自分が、どんな表情をしていたのか気がついていなかったのだろうか。 皆、心配な表情で澤村を見つめる。 「ま、まじ? そんなに顔色悪いかな、俺」 ぺたぺたと顔を触りながら問いかける澤村の表情が、いつものそれと変わらないためか、ネギたちはどこか毒気を抜かれたような気分に陥った。 本人に自覚がないのなら聞いても仕方がない。 木乃香を除く3人が、同時に溜息を漏らした。 「え、な、何?」 そんなネギたちを不思議そうに見回す澤村。 本当になんでもないらしくて安心しつつも、どこか不安が残るネギの耳に、 「あ、神楽坂さん、俺がネギ先生おんぶするよ」 いつも通りの澤村の声が入ってくる。 澤村に背負われたネギは、総本山につくまで澤村の頭をじっと見つめていた。 関西呪術協会総本山。 もとい、近衛 木乃香の実家であり、関西呪術協会の長は木乃香の父親だった。 つまり、木乃香はお嬢様というわけで。 白い髪の少年が、木乃香のことをお姫様といっていたことに、納得していた。 それに、木乃香のように可愛らしいの容姿をもった女の子に、お姫様という代名詞はぴったりな気もしなくはない。 ……敵と意見が一致しても、全く嬉しくないが。 大勢の侍女に迎えられて、ネギが親書を渡して……ことは淡々と進み、今は宴の真っ最中ときた。 ここまでの苦難が多かったせいか、なんだか気が抜けてしまう。 ここは結界も張られており、この場にいる限りは安全だそうだ。 そのことを聞き、澤村はほっと胸を撫で下ろした。 もう白い髪の少年にも猿女にも鬼にも追いかけられることはないのだから。 盛り上がる宴の中、テーブルの隅で食事をとる澤村の横に、人影。 ふと澤村はそれを見た。木乃香である。 「澤村君、本当になんでもない?」 木乃香の言葉に、澤村は心臓がどきりと打つのがわかった。 ネギたちにも言われたが本当になんでもないのだ。 ――――たぶん。 正直あの時自分が何を考えていて、どんな表情をしていたのか、全くわからないのだ。 心配そうに眉を寄せて、自分を見る木乃香に澤村は、 「大丈夫。それよりごめんな、役に立たなくて。結局桜咲さんに怪我させちゃうし、落ちたところを近衛さんに助けてもらっちゃったしさ」 情けないよ、と木乃香の顔から目を逸らして、言った。 結局また足手まとい。 ネギがいたら、空の一つでも飛んで木乃香を助けて見せただろう。 護りたいという気持ちだけでは、どうにもならない現実が、とても苦しくて憎たらしく思った。 力を使わなくてはいけないという現状。 使いたくないと思うのは、きっと自分の臆病な心がそう思わせているはずなのに、何故か踏み出せない。 境界線は、目の前にあるのに。 いや、すでに踏んでいるかもしれない。だが、まだ超えてはいないのだ。 「澤村君」 視界一杯に広がる木乃香の顔。 表情は更に濃くなっていて、 「そういうこと、言うたらあかんよ」 咎めるような目が澤村を捕らえていた。 木乃香には悪いが、拗ねていた子供のような表情に見えてしょうがなかった。 吹き出すほどの気持ちの余裕がなかったため、少しだけ口元を緩めただけだが、それでも澤村は微笑を浮かべた。 小さくごめん、と言いまた視線を逸らす。 木乃香から、シネマ村のような神々しさはもう感じなかった。 彼女の強大な力は、癒すことに関して特化しているらしい。彼女らしいとえば彼女らしく、納得してしまう。 「具合悪いなら、お父様にいうて布団しいてもらおか?」 「大丈夫。疲れてはいるけど、部活の時の方がもっときつい」 刹那のように戦闘を行ったわけでも、ネギや木乃香のように力を使ったわけでもない。 逃げて、走って、落ちただけ。 視線を少しずらせば、傷だらけのネギ。 明日菜の話によれば、なんでも死にかけるほどの戦闘を行ったとか。 やはり、魔法使いはすごい。 澤村だったらあっけなく死んでいただろう。 「なら、ええんやけど……」 納得いかない、といった表情だが、木乃香が引き下がってくれたことに心の中で感謝する。 無言のまま、二人は並んで食事をとる。 刹那と木乃香は、なんだかんだで仲が良くなっていた。雨降って地固まる、というやつなのかもしれない。 結局自分が下手に首をつっこまずとも、二人が仲良くなれて安堵する。 ずっと無言のままはさすがに気まずくなってきた頃、澤村は木乃香にむかって言う。 「近衛さん、俺のことはいいから――――」 「木乃香や」 遮られた。 澤村は木乃香を見た。 ム、とした表情でこちらを見ている。 そして、 「木乃香や」 さっきと同じように言ってくる。 「…………」 これはつまり、と澤村は思考を巡らす。彼女が望んでいるのは、やはりそういうことだろうか。 結果は出ている。 出ているが過程というか、なぜそうさせたいなのかがわからない。 「えーっと……?」 なんだか混乱してきた。 首を傾げて木乃香を見つめる。 「木乃香や」 少しトーンを変えて木乃香はまたそう言った。 どこか、強制力のある顔である。 睨みあうかのように、澤村と木乃香は互いを見つめつづける。 皆の騒ぐ声の中で、ここだけ時間が止まってしまったかのように、静かに感じてしまうの自分だけだろうか。 「こ――――」 期待に目を輝かせつつも、木乃香は澤村を見つめる。 そんな視線に搾り出されるかのように声を出した。 「こ、木乃香、さん」 つまりつつもそう言うと、 「うーん……さんが付くのが気になるけど、とりあえず合格や」 とりあえずということは、そのうち第2関門がくるということか。 それはあまり嬉しくない。 「えっと……なんで?」 引き攣った顔で問う。 可愛く木乃香は笑って答えてくれた。 「だって近衛さん、だなんて他人行儀やん」 当たり前かのように言ってきた木乃香の言葉に、はぁ、と気抜けした返事をする。 そして、不思議そうに澤村は言葉を放つ。 「近衛、じゃだめなの?」 「だめ」 即答だった。 あれだろうか……財力とか組織的に力のある近衛という苗字が嫌いとかいうお決まりめいた理由なのだろうか。 だが、直球でそう本人に問うのも忍びない。 「翔騎君、ウチを励ましてくれたやん。だから、ウチらは友達え」 澤村はにっこりと笑う木乃香を見たまま固まる。 彼女の随分な極論で固まったのもあるのだが、それよりも気になることがあった。 これは澤村の中では重大なことである。 「―――――翔騎君?」 呼ばれなれない……というよりも、呼ばれたことのない名の呼ばれた方に、頬が赤くなる。 女の子に下の君付けとはいえ、名前を呼ばれたのだ。しかも木乃香のような可愛い女の子に。 照れからくる頬の火照りを隠すこともできないまま、澤村は木乃香を見る。 「あ、駄目やった? 彼女おるからあかんとか」 口元を押さえて言う、木乃香の言葉に硬い動作ながらも澤村は首を横にふる。 告白したり受けたりなど、全くないわけで。 過程がなければ結果もないというわけで。 ようは、彼女なんて大層な存在、澤村にはいないのだ。 「い、や……いないけど」 思考の周りと歯切れが悪い。 錆付いたモーターか自転車のチェーンのようだ。 「じゃあ、ええか?」 ええか、と言われても。 いや、別に拒む気はないのだが。 「う、うん」 時々自分は、小学生みたいな返事しかできないことがあるような気がする。 そんな事を思いつつも、やったぁ、と嬉しそうに笑う木乃香に苦笑を返す。 京都弁で話す木乃香は、どこか亜子と重なるものがあるのか、付き合いやすかった。のんびりとしていて、あやかや和美達のようにはっちゃけすぎていないところも好感が持てる。 それよりも、役に立たずに結局護ることのできなかった彼女に”友達”といわれたことに喜びを感じた。 だから、 「これからもよろしくな、翔騎君」 という言葉も嬉しかった。 ――――ほんの、少しだけ。 そんな気持ちを押し隠し、澤村はずれた話題を修正しようと口を開く。 「……木乃香さん。俺のことはいいから、皆と食べてきなよ」 澤村の視線は、木乃香の後ろへと注がれる。 なんだかニヤニヤしてこちらを見る和美とハルナ、少し心配そうな表情で見ている明日菜。 木乃香もそれをみて、くすぐったそうに、 「はは……ほんならいってくるわ。翔騎君、またな」 そして嬉しそうに明日菜達のところへと席を立った。 それを見送り、澤村は溜息をもらす。 「――――君が、澤村 翔騎君だね」 ばっと上を見上げれば、少し顔色の悪い頬の扱けた細い眼鏡をかけた顔とこれまた細い肢体。 木乃香の父、近衛 詠春の姿があった。 「は、はい」 木乃香と話しているのを木乃香の父親に見られていたというのは、なんとなく気まずい。 別に彼氏とかそういうのではないが、どこの馬の骨かわからぬ男が大事な一人娘に話しかけているところなんて、みていて気分のいい父親などいないはずだ。 だが、次の言葉でそれも拡散した。 「お義父さん―――学園長からは話を聞いていますよ。確かに魔力がありますね」 今までなぜ気づかなかったのだろう。 学園長の孫である木乃香の父親が関西呪術協会の長。 ということは、学園長と関西呪術協会の長は、親子関係になる。 学園長が自分を6年前から育ててくれていたのだ。情報が彼にいっていてもおかしくない。 にっこりと木乃香のように微笑む詠春から澤村は視線を逸らして、 「ええ……まぁ」 そう呟くように言った。 さっきの喜びとは一変、地雷を埋め込まれたような気分だった。 いつ、踏まれるか不安が付きまとう。 このままこの話が流れてくれることを祈った。 「魔法使いにならない、と聞いていますが……本当ですか」 優しい声。 澤村は顔をゆっくりと上げた。 相変わらずにっこりと微笑む詠春の顔が視界に入る。 すぐに踏まれてしまった地雷の威力は小さなものだった。 今までなら、もっと拒否反応を示したはず。 今までなら、言い知れぬ恐怖をダイレクトに感じていたはず。 今までなら、はいと答えられたはず。 なのに、 「まぁ……今のところは」 なんて言葉を零してしまう。 心がゆれていた。 皆を護れる自分の力。 魔法の技と技のぶつかり合いや、その世界の在り方が魅力的に思えてしかたない。 自分の力は、白い髪の少年が言うところによれば、木乃香ほどではないが強大な力があるらしい。 一体どのくらい? どんな? それを使いこなせれば、皆の役に立てるのだろうか。 人に恩を返すだけの人生ではなく、誰かのために、自分のために何かできるような人生をおくれるのだろうか。 そういう期待が芽生えても、やはりまだ境界線を踏んだまま。 「あの、俺のことはネギ先生たちには……」 「もちろん、伏せておきます」 ほっと胸を撫で下ろす。 やはり彼らに自分が魔力があるということは黙っておきたい。 魔法使いになる気はないのだから。 ……自分は、何に怯えているのだろうか。 ゆらりと空気が揺れたように感じた。 横を見れば、詠春が澤村の隣に腰を下ろしている。 「あの」 思わず口が先走ってしまう。 ん、と詠春は澤村を見る。しかし、勝手に走り始めた口はそうすぐには止まってくれるものではなかった。 「俺の魔力って、どういうものなんですか」 それは、自分に強大な魔力があってから少しだけ気にしてはいたことだった。 別にそこまで気にはしていなかったのだが、今回木乃香の力を目の当たりにして、自分がどういう力を持っているのか興味をもった。 些細な疑問にすぎないかもしれないが、気付けば口にしてしまったところをみると、もしかしたら本当はすごく気になっていたのかもしないと、今更ながらに思う。 「そう、ですね……」 どこか返答に困ったような呟き。 聞いてしまってはいけないだったのだろうかと少し不安にかられる。 だが、それも一時のことだった。 「木 乃香のように癒しを主とするものもあったり、物の形を変えたり、影を操ったり……あげればあげるほど魔法というものには違いがあります。攻撃系でも、雷や 風、水、火……あげれば切りがない上に、まだ私が見ていない系統のものがあるでしょう。でもそれは、自分たちが魔法を勉強し、訓練することで生まれる各個 人のスタイルともいえます」 なので、と詠春は眼鏡を人差し指でくいっと押し上げながら更に言葉を繋ぐ。 「実際のところ、あなたの強大な力がどのような系統のものなのかは、私にもわかりません」 つまりは、澤村が一番求めている答えはもらえないというわけだ。 詠春から視線をはずせば、そこには宴で賑わう女子たちの姿。 こうやってみれば、彼女達は普通の子に見える。 なんだかんだ言って、自分が一番普通ではないのではないのだろうかなんて思ってしまう。 「―――――君は、何故魔法使いに……こちらの世界の住人になりたくないのかな」 関わってはいるのに。 ずん、と突かれた言葉の槍に、澤村は躊躇いつつも詠春を見た。 どうする? 素直に自分をさらけ出すか、それとも包み隠すか。 自分でもわからない。 魔法の世界に関わりたいのに、なぜか住人となるということには恐怖を感じる。 本当にわからない。 迷いに迷った末、 「自分でもよくわかりません……ただ、関わりたいと思うのに、そちらに行くことが怖いんです」 矛盾した言葉を小さく、本当に小さくこぼした。 学園長と親子関係にあっても、関東と関西という距離からくる、絶対にそちらの世界に無理矢理引き込まれないという安心感があった。 だから、気兼ねなく……とは断言できないが、それでも少しは軽く考えて発言できる。 答えはできれば欲しかった。 けれでも、詠春は先ほどの質問と同じように、 「……そうですか」 明確な答えを澤村に言わず、短い返事を返すだけだった。 結局この答えは、自分で見つけ出すことしか方法がないのだ。 ネギ達を含め、澤村の様子がおかしい。 亜子は、それを聞いて実際に澤村を見た。 ……確かにおかしい。おかしいのだが、これは亜子の思っているものとは随分かけ離れているものだった。 目は虚ろで、なんだかいつもの澤村では想像がつかないような不気味な笑みを浮かべている。 正直、少しひく。 「なんやおかしい……」 そう呟いて、声をかけようと近寄ると、 「ヤァ、和泉ッチ」 「――――」 爽やかで少し棒読みくさい言葉に思わず思考が緊急停止を訴えた。 「どーかしたのか?」 どこかニュアンスがおかしい澤村の言葉遣いに、緊急停止を訴えた思考は、緊急警報を鳴らすようにまで訴えはじめていた。 おかしい。本当におかしい。 目の前の彼は、こんな爽やか好青年でもないし、おかしなしゃべり方でもない。 彼は爽やかではなく、むっとしていてたまに見せる表情はコミカル……というか間抜けな男だ。 あと、もう少し目は鋭くて怖い目である。 ……彼にとても失礼な亜子の見解だが。 そもそも澤村は亜子のことを和泉ッチなどと軽々しく呼ぶような男ではない。 亜子は、恐る恐る澤村に問う。 「……澤村君、どないしんたん?」 「いんやなんでもないさっ。 ナンデモナッシーングオアモウマンターイ!」 いや、大有りだ。 いろいろてんこもりで大盛りである。むしろ無いことを探すほうが難しい。 もしかして修学旅行の疲れからで、体調が悪いのだろうか。もしくは、熱がでて脳が溶けてしまったのだろうか。 どちらにせよ、一大事。 亜子は澤村を保健の教師のところへ連れて行こうと、いつのまにか顔を伏せて考え込んでいた頭をあげると、 「―――澤村君?」 目の前には誰もいなかった。 ……これは非常にまずい。 ただでさえ彼の評判は一部からとはいえあまりよくない。 あんな状態の彼があやかたちと遭遇したらどうなることやら。 想像しただけでもぞっとする。 亜子の考えだが、彼の良さは、変なところで生真面目で硬派なところのはず。なのにあんな爽やかボーイなんてやってしまったら、彼の良さは半減どころかマイナスである。 ――――ど な い し よ ー !! サッカー部マネージャーとしての責任感から、はたまた澤村の友達としての責任感からか、それとも両方なのか。 どれにせよ、亜子の頭はオーバーヒート寸前である。 脳裏に過るのは、女子校生活の中で後ろ指さされてトボトボと歩く澤村の姿。 考えろ、亜子! とにかく姿を消した澤村を探そう。 探し出して、彼を保健の教師に預けなければ…… 「亜子どうしたー?」 いいタイミングで裕奈達班員が来てくれた。頼り甲斐のありそうな真名も一緒である。 「みんなぁー! 助けてぇー!!」 まるで自分の命の危機かのように縋り付く亜子に、裕奈たちはぎょっとしたという。 まず驚いたのは、詠春の身体の筋肉と傷。 「近衛さん、その傷――――」 思わずそう口に出してしまう澤村に、嫌な顔ひとつせずに詠春は微笑み返す。 澤村の後ろでは、詠春の傷に圧倒されたネギが呆けた顔をして詠春を見ていた。 ネギ、澤村、詠春と、男子三名で風呂に入ろうと言うことで脱衣所にいき、詠春が着物を脱いだことで、この会話は始まった。 鍛えられた肉体。 そこに刻まれた肩や脇、二の腕などに無数の傷。それは、詠春の人生を語っていた。 戦いの中で生きぬいたのだ、と。 「若い頃にね」 微笑んだまま言って返せる詠春の姿はすごいと思う。 ネギが目を輝かせて詠春に詰め寄るのを見ながら、澤村はあることに気がついた。 ……風呂場から声がする。 脱衣所は広く、奥の方で自分たちは着替えているため微かしか聞こえてこないが、荒々しい水音と口論の声がかすかに聞こえてくる。 だが、それもすぐに消えた。 いやーな予感がするのだが、気のせいなのだろうか。 首をかしげつつも、ネギと詠春に続いて、タオルを片手に風呂場へと歩く。 「しかし、10歳で先生とは、やはりスゴイ」 すごいのはあなたの方だ。 ネギのいえ、そんなという謙遜の言葉を聞きつつも、澤村は思う。 前後の会話が全くわからないためあえて二人の会話に参加せず、ネギが開けた襖の出入り口から風呂場に入った。 広い。とても広かった。 女子寮に移ってからは、各寮の大浴場が使えなかったため、これは澤村の感動を誘うものであった。 「おー……」 感嘆の声を漏らす。 澤村の聞いた声は、聞き間違いだったのか、風呂場には誰もいなかった。 嫌な予感がはじめてあたらなかった瞬間でもあった。 きちんと身体を洗ってから湯船に浸かる。 「この度は、ウチの者達が迷惑をかけてしまい申し訳ありません」 それと同時に放たれた詠春の言葉に、澤村とネギは二人してどもりながらも、いえ、と答える。 詠春の話では、昔から東を快く思わない人はいたらしい。 だが、明日は西日本全域に出払っている腕利きの詠春の部下たちを総本山にもどし、千草たちを捕らえてくれると言うことだ。 それはとてもありがたい。 「それで……あのお猿のお姉さんの目的は何だったんですか?」 ネギのその質問にも、詠春は答えてくれた。 刹那の言う通り木乃香の力が目的であり、やんごとなき血脈を代々受け継ぐ木乃香の力には凄まじい魔力を操る力が眠っていて、その力はネギの父サウザンドマスターをも凌ぐ程であるそうだ。 その力を利用すれば、西を乗っ取るどころか東を制圧することもできると考えている人間から木乃香の身を護るために麻帆良学園に住まわせ、彼女自身にも力のことを黙っていたらしい。 しかも。 詠春は、ネギの父親とは面識があるらしい。 本人曰く、 「あのバカとは、腐れ縁の友人でしたからね」 ニッと笑う彼の表情は、なぜか若く見えた。 呆気にとられるネギと澤村。 そんな彼らの耳に入るのは、和美たちの声。 「え?」 澤村が襖へと目を向ける。 「ですから! あのシネマ村の一件は……!!」 言い合いの声と共に、現れる人影に嫌な予感は外れることはないのだと澤村は大きな溜息をもらす。 「おやおやご婦人方が……これはいけませんね! 裏口から脱出しますよ!」 裏口なんてものがあるあたり、普通の名家ではないと再確認させられる。 きっと敵に襲われたときのために作ってあるのだろう。 タオルを腰に巻いて詠春を筆頭にネギと澤村は浴場の奥へとザバザバと走る。 走りながらも嫌な予感がすることに、どうも澤村は不安でしょうがない。 「わぁ!」 「きゃあ!」 悲鳴が聞こえてきた。一歩遅れて走っていた澤村は慌てて声のした岩陰を覗く。 そこには、素っ裸の明日菜と刹那。 ……まぁ、ここまでは慣れている。 だが、いつもと少し違うのは、 「あっ!?」 「わ」 ネギが明日菜を押し倒して彼女の胸をその手で包んでいるという、とんでもない絵図を澤村に見せてきたということ。 結局、ネギたちは逃げ遅れ、和美たちが風呂場に入ってきてしまう。 「あ……」 止まる。 しばらくして風呂場をざわめかせた声は、女子たちの悲鳴と口論と詠春の笑い声と、 「ホントこのクラスは、ハプニング多いよなぁ……」 澤村の呟きだった。 |