ネギ補佐生徒 第24話
「―――――以上が、修学旅行での報告です」 修学旅行から帰ってきて翌日の朝。日曜日。 部活も修学旅行後で疲れているだろうということで休みだ。 皆それぞれ疲れを癒す中、澤村は学園長室へと赴いていた。 ネギの補佐生徒としての仕事だ。 「うむ。ごくろうじゃった」 満足、といった感じに髭を撫で付けながら学園長は答える。軽く腰をさすっているのは、エヴァンジェリンの呪いを誤魔化すため書類に判子を押し続けた結果だった。 学園長室を見渡せばまだその残骸がある。 インクで汚れた書類が今の学園長の姿を現しているように澤村には思えた。 神妙な面持ちで澤村はそれを見続けていた。 「どうかしたかね?」 自分が進むべき道。 進みたいと思う道。 自分がどう生きてどう死んでいくのか。 この中途半端な位置に居続ければ、自分はまた同じ過ちを繰り返し次は確実に、何かを失う。 それは自分の物ではなく、他の誰かの―――――― 「……学園長。修学旅行での事、申し訳ありませんでした」 その考えにいたる前に、澤村は頭を下げることでそれを振り払った。 何も知らずに中途半端に首をつっこんだ自分が、惨めで情けない。 学園長の孫である木乃香にふりかかる危険も、覚悟を決めていたら守ることもできたかもしれないし、ネギの補佐生徒を続けなければ足をひっぱることだってなかった。 「……今回のことでわかったと思うが、力があるということは誰かに利用されることがあるということじゃ」 「はい」 「ネギ君のように、魔法使いとしての知識がある者なら、そう易々と捕まることもない」 「はい」 澤村は、反論せず素直に頷く。 身をもって知った。 無知であることは、命にかかわるということを。 「だから、お願いがあります」 もう嫌だった。 自分の愚かさで誰かが傷つく事も。 自分を誤魔化す事も。 この正体のわからない恐怖に脅える自分も。 「俺がここに来るまでの全てと――――――」 どんなに震え上がろうとも、 どんなに恐怖に脅えようとも、 どんなに苦しくても、 どんなに格好悪くても、 どんなに醜くても、 どんなに惨めでも、 ―――――――この恐怖の正体、確かめてやろうじゃないか。 まっすぐと学園長を見詰めて、凛とした表情で澤村は、 「―――――魔法を、教えてください」 はっきりと言葉を放った。 ネギ補佐生徒 第24話 修学旅行後の日曜日 澤村の言葉を受けた学園長は、ふむ、と片眉を上げた。 たった五日間で、ずいぶんと成長したように見える。6年前、魔法学校の校長に言われて澤村を引き取った時が昨日のように思い出される。 ひびの入った心を抱えたような少年が、今確実に成長していっている。 魔法使いとしても、人間としても。 育て親の学園長にとって、喜ばしいことだった。 「よかろう。……まずは、わしが知る君の全てを伝えよう」 とは言っても、わしも詳しくは知らぬがな。 そう言うと、澤村はかまわないと言った。 「前にもいったが、君の両親は本当に、ただの魔法使いだったんじゃ」 仲の良い、若い夫婦。 若くして英雄となったナギを慕い、あの村へと訪れた。 本当にどこにでもいる魔法使い。 中の中。 悪くもなく、良くもなく。 珍しいと言えることはたった一つ。 日本人とイギリス人の夫婦ということだけだ。 そんな普通の魔法使いの間に生まれたが、父と母の特徴を平等に与えられた子供・澤村翔騎だった。 「わしの友人に、魔法学校の校長をしとる者がおっての。6年前、君はそこの学生じゃった」 澤村の表情は依然として変わらない。 記憶がないが故なのか、それとも微動だもせずに聞き入れられるほどの器になったのか。 学園長にはわからない。 「君は魔力が高いだけで、本当に普通の学生じゃった。成績も中の中。強いていえば、運動神経がいいくらい。両親と同じように、普通の魔法使いになるだろうと、わしの友人は思っていた」 普通過ぎて、強大な魔力をもっているのかと疑われるほどだった。 しかし両親も澤村自信も、そんなことは気にもとめずに暮らしていく。周囲の人間も、ナギを慕ってあつまるような魔法使い。澤村に強大な魔力があるのかないのかなんて、些細なことでしかないのだ。 平和に暮らす村の人々。 ―――――――それは唐突に壊れた。 「しかし、6年前――――君の住んでいた村は、魔物に襲われた」 「魔物……?」 はじめて澤村は反応する。片眉をあげ、訝しげな表情。 「もしかして、俺の両親が死んだ事故って……っ」 波たつ澤村の感情をなだめるように、学園長はゆっくりと頷く。 「事件の内容を深くは知らん。なんせほとんどの者が石にされたり、命を奪われておる」 なので、澤村の両親が命をたたれているのか、石化されて街に取り残されているのかわからないのだ。 ……仮令石になっても、今の魔法使いにはあれを直せる者はいない。 爵位級の魔物の魔法には、それなりの力が必要なのだ。 自分の孫、木乃香の姿を思い浮かべながらも学園長は長い髭を撫で付ける。 「村は壊滅。今だに詳しい情報は掴めておらん」 といはいえ、少しばかりの予測はついている。 ナギ・スプリングフィールド……別名、サウザンドマスター。 そしてその血をわけた子供、ネギ・スプリングフィールド。 襲われた村は、ナギを慕った者たちでできていた。 襲われた村は、ネギが住んでいた。 襲ってきた魔物の中には、爵位級のものもいた。 これに何の因果もないなどと、抜けたことをいうことはできない。 できない、が。 「―――――見当すら、ついていないんですか。原因も、何も」 「まったくわからんのじゃ。今でも調査中でのう……いかんせん、関係者が少なすぎて」 目の前の少年には、いえなかった。 全てを受け止める覚悟をもっている。けれども……彼の群青の瞳が、別の覚悟も映し出していた。 静かに燃え上がる、憎しみの炎。 冷たくもなく熱くもない。 何かが壊れはじめているような瞳だった。 「君は、村から離れた草原で倒れているところを発見されたのじゃが……なぜか君は、その事件を含めた、過去の記憶がなくなっておった」 澤村自身もそれは気が付いているのだろう。 やっぱりと呟く澤村を見て、学園長はそう思った。 「魔法のことを忘れてしまった君を治そうと、魔法使いが手を加えた。けれど君の記憶は一向に戻る気配がない。そこでわしが、君を引き取ったんじゃ」 記憶を失った澤村を看た魔法使いの話では、なぜ澤村の記憶が消えたのかは原因不明だという。 精神的なショックにしても、魔法でも治せないというのは異常だった。 つまり、誰かが澤村の記憶を操作した可能性が高いということだ。 それもかなりの力を持った人物。 しばらく澤村は視線を軽く下にむけて、黙りこくった。 頭の中で情報を整理しているのだろう。 学園長も特に口を挟まず、黙ったまま澤村を見詰め続けた。 ――――――しばらくして、 「俺の記憶は、戻らないんですか」 縋るような目で、問い掛けられる。 「かなり強い魔力で記憶操作をされておるかもしれなくての……治すならばそれなりの魔力をもっておる者じゃないと難しいのじゃよ。……君自身が思い出さんかぎり、おそらくは」 事実だった。 澤村の精神なのか、それとも誰かがかけた魔法の力なのか……どちらにしても、強制力があまりにも強かった。 抗うのは、難しい。 だから、澤村はこの麻帆良都市へと移されたのだ。木を隠すには森の中。 あの事件で澤村に目をつけた魔物もいるやもしれない。 そういった危険性があったためである。 ネギは、魔法使いの手ほどきをきちんと受けており、魔法学校内では校長が、今は学園長自身がネギを守ることができるが、記憶のなかった澤村はとてもデリケートなものとして扱われていた。 魔法を必要以上に避け、脅える澤村。 そんな彼を魔物のでやすい魔法界に置いておくよりも、こちらで保護するほうが効率も澤村の精神状態も安全であると、学園長と魔法学校の校長は判断したのだ。 「それじゃあ、魔法のことを話すとしようかのう」 空気が一転する。 澤村の表情もどこか輝きを帯びている。 それを見て学園長は少しばかり次にいう言葉を出すのに躊躇った。 「君がその気ならば、すぐに魔法学校へと思っていたのじゃが……京都の事件のせいで、魔法界も少しごたついていてな、もう少しばかり時間がかかりそうなんじゃ」 「あ、それならかまいませんよ。……俺も、サッカーの大会には出たいですし」 予想外の返答に、学園長は長い眉をつり上げた。 「そうか……ちと予想外じゃったな」 予想外? と澤村は不思議そうな顔を見せる。 魔法学校の校長からの話では、澤村は魔法を楽しく学んでいたらしい。 魔法への感心が強く、努力も惜しまない。 それなのに彼の成績は、並み程度。 原因は不明。 中々結果が得られないというのに、澤村はめげずに努力し続けた。 それは、余程魔法が好きなのだと学園長は思っている。 そのことを伝えると、澤村はなんと答えたらいいのか分からないといった表情をしてみせた。 本人は記憶にないことなのだから、しかたがない。 「……魔法学校へ戻るまでに、少しでもいいから魔法のことを知っておきたいんですけど」 昔、魔法学校に通っていたのなら、尚更。 そう言ってくる澤村。 確かに、その方がいいかもしれない。 例え魔力の強いものから受けた魔法でも、本人の意志を長い間封じ込めるのは難しい。 澤村自身が、魔法を学ぶことによって、記憶を取り戻す可能性だってある。 記憶を取り戻せば、6年前の事件の状況が把握できるし丁度いいかもしれない。 「ふむ……とはいっても、わしも魔法を教えるというのは、少々難しいものがあってな。他の誰かに……」 学園長は確かにそれなりの腕がある魔法使いだ。 しかし教えるといったら話は別だ。 からっきし駄目だというわけではないが、学園長も学園長という立場の仕事がある。 加えて澤村は、戦術も含めた魔法を知りたいはずだ。 魔法にも、戦術にも長けている人物は、この学園でたった一人―――――― 「エヴァンジェリンにでも教わってみるのはどうじゃろうか」 澤村は、眉間に皺を寄せていた。それも、かなり深い皺。 そして、こう思う。 どうしてこんな事態になってしまったのだろう。 「こんのクソジジィ! 花粉症で外にでたくないというのに、大事な用事だと!?」 ロリータチックな服を着た金髪の幼女が、机に乗りあがって人外的な形をした頭をもつ老人の胸倉を掴んでがくがくと揺さぶっている。 それはもう、豪快に。 そんな光景に澤村は頭を抱えたくなる。 かと言って口を挟むこともできない。 「なんで私がこんな奴に魔法を教えなければいけないんだ! くだらないことで私を呼ぶな、馬鹿者!」 エヴァンジェリンが事の発端を言葉にする。 嫌がられるとは澤村も思っていた。 思っていたが、ここまで嫌がられると気落ちする。そこまで嫌われていないと思っていたからだ。 「ぼーやといいジジィといい……私は魔法学校の教師じゃないんだぞ!!」 ―――――その言葉に、澤村の思考が一つのことしか考えられなくなる。 ぼーや。 ネギのことだ。 つまり、ネギもエヴァンジェリンから魔法を教わることで強くなろうとしているということだ。 京都での事件でネギも自分の力不足に何か感じたのだろうと、澤村は考えるがそれよりもどこか嫌なものが付き纏っている。 澤村はそれを解消しようと、エヴァンジェリンに問う。 「なぁ、エヴァンジェリン。ネギ先生に魔法を教えるつもりなのか」 もしそうだとしたら、こちらから願い下げである。 大人げないやもしれないが、澤村はどうしてもネギを好きになることができなかった。 確かに助けられた。感謝している。 けれど、どうしてもネギを好きにはなれなかった。 子供は元々苦手だった。見ているだけで、苛立ちを感じる時もある。 しかし子供の中でもネギはどうも苦手だった。 いや、と澤村は頭の中に浮かべた苦手という言葉を打ち消した。 自分にくらい、正直な言葉を出そうじゃないか、と。 自分……澤村翔騎は、自分の教師であり魔法使いという自分より強い子供、ネギ・スプリングフィールドが――――――――大っ嫌いである。 「今度の日曜日、弟子のテストを受けさせることになってはいる」 学園長を揺さぶるのをやめて、不機嫌そうに言ったエヴァンジェリンの言葉に魔法を教わるということで高ぶっていた澤村の感情は、完璧に抑えこまれた。 そしてはっきりと、 「学園長。俺、エヴァンジェリンに魔法を教わりたくありません」 と言った。 エヴァンジェリンと学園長の表情が重なる。二人とも思考がどこかへいってしまっているような顔をしている。 心ここにあらずとも言える表情だった。 「ほほう……この私に教わるのは嫌だ、と?」 例え自分が嫌だといっていても、断られれば気分を害してしまうらしい。 澤村は、頭をかきながらも首を横に振った。 「言ってみろ」 即座にそう言われる。けれども澤村は言えなかった。 目の前には世話になっている学園長。 その学園長はネギをそれなりに気に入っている。そんなこと言えるわけがない。 「と、とにかく、そういうことですので、失礼します」 こういう時は逃げるしかない。 別にエヴァンジェリンから逃げられると澤村は思っていない。 逃げるのは、学園長からだ。 そそくさと学園長室から出ると、予想通りエヴァンジェリンに声を掛けられた。 「おい」 素直に振り返る。 彼女から逃げることはできない。 逃げたところで、また鳩尾に拳をもらうに決まっている。 二度ほどあれを食らえば、さすがにどんなタイミングで拳が放たれるかぐらいわかる。 「理由、だろ?」 少しキザっぽい肩のすくめかたになったと、澤村は気付きつつもエヴァンジェリンに苦笑を向けた。 「もしネギ先生が、弟子のテストを受けて合格したとして、俺もエヴァンジェリンの弟子になったとする。そうなると、俺とネギ先生は兄弟子、弟弟子の関係になるというわけだ」 ここまで言えば、エヴァンジェリンはきっと理解してくれる。 そう思い、澤村はそこで言葉を閉ざした。 「―――――なるほどな。お前、ネギが嫌いか」 「……まぁな」 他人からそう言葉に出されると、自分が嫌な人間だと再確認させられる。 人だから好き嫌いはあって当然。 けれど、子供……ネギを嫌うなんて。 自分はきっと、いい父親にはならないんだろうなぁ、と漠然と思ってしまう。 人としてできていないともいえるが、そこまで自分を蔑ませるほど、澤村の人はできていなかった。 しばらくの間の後、 「意外だな」 エヴァンジェリンの口からでたのは、そんな言葉だった。 澤村にとって、エヴァンジェリンから意外という言葉がでることが意外で、軽く目を見開いて澤村はエヴァンジェリンを見た。 「お前みたいな人間でもそういった顔をするということが、意外だ」 エヴァンジェリンの考えていることがわからなかった。 お前みたいなという意味とそういった顔という意味が、澤村にはさっぱりわからなかった。 「どういう意味だよ」 「言葉通りの意味だ」 エヴァンジェリンは、澤村にきちんとした返答を返すつもりはないようだ。 そのまま言葉が続けられる。 「そんなことより。お前、どうするつもりなんだ」 どうする―――――つまり、澤村は誰に魔法を学ぶか、ということだろう。 澤村は廊下を歩き出しながらも答える。 「焦る気持ちもあるけど、誰からも学べないなら魔法学校に行くまで待つしかないだろうが」 少し拗ね気味の声だった。 そんな自分の声と共に聞こえてくる、自分とは別の足音。 ちらりと横目で隣を見れば、エヴァンジェリンの姿がある。 彼女の隣にいることは、今の澤村にとっては日常的なことであった。そんな自分の変化に、澤村は苦笑してしまう。 「それなら、なぜ今すぐに学びたいなどといったんだ」 「……焦っていた、っていうのが一番の理由かもしれないけど」 足元に視線を向ける。自分の足が、左右交互に出ては消え出ては消え、と流れていた。 すぐに顔を上げる。 「強くなりたいって。自分のことくらい守れる奴になりたいって、思ってさ。だから……早いことに越したことはないと思ったんだ」 それ以上の言葉は、照れくさかった。 もう誰かが傷つくのが嫌だとか、恐怖の正体を掴むだとか。 ……現に、今の言葉でも恥ずかしいと澤村は思っている。 だから、エヴァンジェリンの顔を見ることはできないかった。 彼女の表情はわからない。 しばらく沈黙が続いた。 自分の言葉で、エヴァンジェリンが退いてしまったのかと澤村が思い始めた頃、それは破られる。 隣を歩いていたエヴァンジェリンは澤村の前にでると、彼を見ずに、 「ついてこい」 と言った。 絶対的な強制力のある一言。 澤村は、どもった返事を返しながらもそれに続く。 何処に行くというのだろうか。 とにかく黙ってついていく。 学園を出て、あまり来たことのない道を歩く。 無言で歩く二人。 澤村は気まずさを感じていた。 しばらくして、 「そういえばさ」 思い出したことを口にだした。 思い出した、といってもこれは結構重要なことだ。今まで澤村も言うタイミングを逃していたのだ。 「あの時、俺の体を起こしてくれたのって、エヴァンジェリンだろ?」 修学旅行で捕らわれの身になり、体が覚醒しないことでもう1度諦めてしまおうとした時に感じたあの時の痛み。 澤村が、自分の力のみで覚醒できるわけがない。 ならばあの状況でそんなことができるのはただ一人。 エヴァンジェリンだ。 「ああ、目が冴えただろう?」 おかしそうに笑っている声だった。 その声を聞いて、澤村は苦笑してしまう。確かにあれは堪えた。 自分の頭を貫くような、鋭い痛み。 「ああ、おかげで起きることができた。ありがとう」 思い出してしまった頭の痛みに顔を顰めながらも澤村はそう言った。 あの痛みは少々辛いものだが、自分の情けなさへの罰だと思って素直に受け入れる。 「……うまくいくかわからないものを試してみただけだ」 エヴァンジェリンの背中が語る。 そうやって言う彼女の姿がらしいと感じてしまうのは、自分の知ったかぶりだろうかと澤村は思った。 「お帰りなさいませ、マスター」 忠実な従者・茶々丸の出迎えを受け、エヴァンジェリンは軽く頷いてそれに答えた。 そんなエヴァンジェリンの後ろで、家の中をものめずらしそうに眺める澤村。 口を軽く開いて、ほーやらおーやら小さく声を漏らしている。 「別荘みたいだ。……っていうか、絡繰さん。その服って……」 「メイド服です」 えっと……澤村の戸惑いの声を無視して彼にその場で待つように言い、エヴァンジェリンは部屋の奥へといく。 自分の弟子になりたくないという澤村に少しばかり苛立ちを感じる。感じるけれど、彼が自分の弟子になりたくない理由を述べた時の表情を見れば、怒ることもできなかった。 ネギやクラスメートのように、澤村もお人好しの部類だと思っていた。 なのに。 瞳の奥にある黒い感情。あの感情はよく知っている。 自分も持っている。 今だって思い出せば、容赦なくエヴァンジェリンの理性を襲う。 頭振って、思考をリセットしつつもエヴァンジェリンは有るものを探した。 魔法発動体。 初心者向けの練習物を上級者以上の実力をもつエヴァンジェリンが持っているわけではないが、魔法発動体はいくつでもある。 その中でも澤村が扱えそうな物を手に握り締め、澤村と茶々丸のいる場所に戻る。 どこか居心地が悪そうにソファーに座っている澤村の傍に立っている茶々丸がいた。 ちらちらと茶々丸を見ている。 「おい、澤村翔騎」 声を掛けると、落ちつきのない澤村はびくりと体を跳ねさせた。茶々丸も自分の主人が来たことで、エヴァンジェリンの傍へと寄って行った。 エヴァンジェリンは茶々丸が自分の傍にきたことを確認してから、澤村に手の中にあったものを投げてよこす。 さすが運動部というべきか。 澤村は慌てながらもしっかりとそれを受けとめた。 「な……杖?」 杖といってもネギのように長いものではない。50センチほどの長さで、木でできていた。 少し長い指揮棒に見えなくもない形状だ。 それを不思議そうに見る澤村に、エヴァンジェリンは口を開く。 「魔法発動体だ。初心者が扱うような練習用のものはないが、それならお前でも扱えるだろう」 澤村の向かいにあるソファーにどかりと腰を下ろし、足を組む。 大人びた仕草ではあったが、容姿が容姿だけに子供が無理をして大人ぶっているように見えるのだが、当の本人はなんら自覚はない。 エヴァンジェリンは、この動作を無意識にしているのだから。 「魔法発動体って……もらっていいのか?」 「どうせ使わん」 魔法発動体の一つや二つなくなってしまってもなんら支障はない。 持っている中でも一番使わないような物だ。 礼をいってくる澤村にフンと鼻を鳴らす。 渡すべきものは渡した。 次はレクチャー。 エヴァンジェリンはにまりと笑みを浮かべる。 これは、教えではない。 「それと。お前の魔力について、説明してやろう」 ただの暇つぶし、だ。 「大丈夫ですか、学園長先生」 ネギは椅子に座りながらも腰を擦っている学園長を見て、そう問う。 隣には明日菜。 いろいろやることがあるというネギについてきたのだ。ネギが頼んだ、というのも理由の一つだが。 彼女がいたおかげで、あのエヴァンジェリンの弟子入りテスト受けることができたのだ。 ネギは彼女に感謝しつつも学園長から賛辞を受ける。 「なんの孫が無事じゃったんじゃ、このくらい……」 アタタ……と言っている学園長の姿が痛ましい。 「澤村君も守ってくれたようだし……本当によくやってくれた、ネギ君」 そんな学園長の言葉にネギはえへへと口元が緩まってしまう。 自分では今回の事件、力不足を再確認させられた機会でもあるが、学園長のような魔法使いに言われるとやはり嬉しさがこみ上げてしまうものだ。 教師という立場でもネギは子供。褒められれば素直に喜びを感じる。 けれども、喜びにいつまでも浸っているわけにはいかなかった。 ネギにはどうしても確かめたいことがあるのだ。 「澤村さんのことなんですけど……一つ聞いてもいいですか?」 明日菜がネギを見る。明日菜には、ネギが何を問おうとしているのかわからないのだ。 明日菜にとっては特に気に留めることではないのだが、ネギはどうしても気になって仕方がないこと。 教師として、魔法使いとして……そのどちらの理由もあてはまる。 頷く学園長を見て、ネギは言う。 「澤村さんは、大きい魔力を持っていると言っていました。学園長先生は、それが理由で僕の補佐生徒に澤村さんを選んだんですか」 彼は生徒だ。 例え大きな壁があろうと、その壁を乗り越えて彼を知る必要がある。 今は、教師としてその質問の答えを聞き入れたい。 しかし学園長に澤村の芯に触れることはしない。 それは彼自信から聞き出すものだ。 今はただ、学園長にこの質問の答えがほしい。 「……そうじゃ」 因果が逆のネギの質問に、学園長は頷く。 補佐生徒が必要だったわけではない。澤村をネギ達の傍にいさせるためのただのポジションである。 だが学園長はあえてそれを指摘しない。 澤村の言動から察するに、彼がネギのことを好いていないことはわかっていた。 6年間の付き合い。いくら澤村が隠そうとも、学園長の目は誤魔化せないのだ。 好いていない人物に、自分のことを話されるのは嫌だろう。弱みを知られることになるのだから。 ネギは学園長の考えを知らぬままそうですか、と答えた。 失礼しますと踵を返して去ろうとするネギに、今までの会話の内容をいまいちつかめていない明日菜が慌ててついていく。 もちろん、学園長に挨拶するのを忘れてはいない。 「ネギ、澤村君に何かようでもあるの?」 学園長室をでたネギに明日菜が不思議そうに聞いてくる。 ネギは隣を歩く明日菜ににこっと笑って、 「澤村さんと、仲良くなりたいんです」 と言うと、明日菜の強張った顔がネギの視界に入る。 ネギは首を傾げた。 「どうかしたんですか」 「えっと……なんで急に言い出すのかなって」 どこか様子のおかしい明日菜。 そんな明日菜にネギは、さきほどと変わらない笑顔を浮かべて、 「―――――澤村さんも僕の大事な生徒ですから」 と言いきった。 子供ながらの純粋な想い。 それは、子供ながらの純粋な敵意で破壊されるということを知らずに。 「お前の魔力……魔力容量ともいうが、それは近衛木乃香やぼーやのように強大だ。けれども、魔力には各々の特徴、属性がある」 目の前で足を組んでソファーに座るエヴァンジェリンの言葉に澤村は、鋭い目を更に鋭くさせて聞き入った。 一言一句、聞き逃す気は毛頭ない。 「私が氷の魔法を。ぼーやは風の魔法を。近衛木乃香は……おそらく治癒系の魔法を得意とする。技術と知識があれば、私のように雷などの別の物の上級魔法を扱うことだってできる。そうだな……今は、練習の効果がでやすいかでにくいかの差だと思ってもかまわん」 「学校でいうと、得意科目みたいなもんか?数学が得意で国語が苦手っていうような?」 そうだ、とエヴァンジェリンは頷く。今は、という風にいったのは、澤村が混乱しないためにだ。 そんなエヴァンジェリンの計らいと児童小説や漫画などから得た知識とにていることから、素人の澤村でも理解することはできた。 「お前、京都であのフェイトとかいう奴の魔法で、石の槍に串刺しにされたらしいな」 エヴァンジェリンの言葉は、澤村にその時のことを思い出させるスイッチだった。 今でも鮮明に残る光景と感触に、澤村は顔を顰める。 「あの出血量と傷。本来ならばお前は即死だ。あいつにつかみ掛かるほどの力なんてもっての他。それなのにお前は、立ち上がり、大声をだすほどの力を持っていた。……それがどういう意味か、わかるか?」 いまいちエヴァンジェリンが何を聞いているのかわからない。 魔力の属性と特徴の話から、どうしてこんなにも話が飛んでしまったのだろうか。 澤村は、顔を顰めたままでわからないと答えた。 「簡単な事だ。お前が無意識のうちに、魔力で自分の体を強化させたんだ」 簡単な事、というが、澤村にはさっぱりな説明だった。 無意識のうちに体を強化させたというが、それならばあの出血量と傷はなんだったというのか。 強化されていたのなら、むしろフェイトの魔法を止めたり、あんな穴のあくほどの傷なんてできないものではないのか。 そう澤村はエヴァンジェリンに言った。 すると、 「そこでお前の未熟さがでたんだ」 にまりとエヴァンジェリンは澤村に笑って見せた。 「魔法の知識がない上にフェイトというかなりの使い手の魔法にお前の強化した体はうち負けた。……それでもかなり攻撃は緩和されたはずだがな。もしお前の体が強化されていなかったら、体が石の槍の根元まで到達し、上半身と下半身がお別れしていたところだろう」 その言葉に思わず口を押さえる。 それを想像して吐き気が襲ってきたのだ。 「その後に動くことができたのも、強化の魔法のおかげだ。魔力で体の全ての機能を向上させることで、少しばかりの間、無理と延命をすることができた。知識がないせいで、かなり燃費の悪い強化だったようだが」 思わず自分の体を見詰めてしまう澤村。 見る限りでは、自分は普通の体にしかみえない。 「これは、魔法使いの中でも珍しいことではない。けれどお前みたいな素人ができるほど、簡単なことでもないんだ。それなりの修練が必要な物だし、何より無詠唱でも術式がある」 気抜けした澤村の声が、室内に響いた。 魔法の世界でもやはり異端というものはあるらしい。 「お前を起こすためにつかったあの魔法も、お前の魔力と……お前の肉体が特殊だったからだ」 「俺が……特殊?」 日常の世界でも、魔法の世界でも、自分は異端というのか。 その事実は、澤村の混乱を呼んだ。 しかしエヴァンジェリンの言葉は止まらない。 「お前の魔力は、肉体を強化するのに優れ、そしてお前の体も魔力をのせたりすることに適している。私も長い時を生きてはいたが、あまり多くはいない、特異体質だな」 淡々と事実を述べていくエヴァンジェリンに、澤村は手で顔を覆った。 そうすることでエヴァンジェリンの言葉を頭の中に浸透させていく。 ゆっくりと、知識を植え付ける。 理解しなければ、魔法を扱うことなんて不可能だ。 魔法というものがどれだけ危険かも重々承知している。危険なものだからこそ、きちんと理解しなければならない。 そんな澤村の様子を満足気な表情でエヴァンジェリンは見ていた。 数十秒の間の後、 「つまり俺は、エヴァンジェリンはネギ先生のように、魔法で何か光線のようなものとかをだすより、武器とかとかって戦う方がむいているってことか?」 エヴァンジェリンに澤村は質問した。 「まぁ、そういうことだな。とはいっても、現状だけでの話だ。お前の努力次第では、幅は広がるだろう」 「そっか」 短くて素っ気無い答えにエヴァンジェリンは不機嫌そうな顔をしてみせたが、澤村は気にせずにソファーから立ち上がった。 エヴァンジェリンが口を開くよりも早く、言葉を放つ。 「ありがとう、助かった。あとは、自分でどうにかしてみるよ」 「ちょっと待て」 部屋を去ろうとした澤村にエヴァンジェリンの声がかかる。 澤村は、扉へと向けていた足を止め振りかえった。 相変わらずソファーに足を組んで座っているエヴァンジェリンと、その傍で静観している茶々丸の姿がある。 「明日、お前でも読めるような書物をもってきてやる。それで少しは魔法の知識と技術の取得ができるだろう」 あまりに親切な言葉。 澤村は、きょとんとした表情でエヴァンジェリンを見る。 別にいつもとかわらないエヴァンジェリンの姿があるのだが、どうもその小さな口から飛び出た言葉がいつもの彼女らしさを打ち消している。 やけに優しいな、と出かけた言葉を飲みこみつつも、澤村はもう一度彼女にお礼を述べてからエヴァンジェリンの家を出た。 空はもう茜色になっており、カラスも鳴きながらその空を優雅に飛んでいる。 頭の中で得た情報をもう一度整理しながらも、澤村は帰路へと着いた。 慣れとは恐ろしいもので、女子寮と男子寮の道を間違えることもなかった。 そんな自分の異常さに軽く溜息を漏らす。 自分が進む道が魔法の世界なのか一般の世界なのかは断定できないが、今は自分の身を守れるくらいの力だけは欲しい。 結局また、中途半端なのかもしれない。 そんな自分に情けなさを感じながらも澤村は、寮内へと歩を進める。 歩きなれた女子寮の廊下をゆっくりとした足取りで自分の部屋へと向った。 これまた住み慣れつつある部屋の前に立ち、扉を開けようとドアノブに手をかけると、 「あ……」 小さな声が澤村の耳に入ってきた。 ドアノブに向けていた顔を横に向けれる。 休日なのに制服姿の刹那がいた。 「こんにちは。桜咲さん、制服きてるけど、部活でもあったの?」 「い、いえ」 どもりながらも刹那は否定した。 もしかしたら、彼女もあまり服をもっていないのかもしれない、と澤村は漠然と思う。 事実澤村にもあまり服はない。制服は高い割りには、着る機会は3年間。ならば着れるときに着とかねば損だという考えからだった。 刹那も普通の女子中学生ではない。 木乃香を守るために、いろいろと自分を投げ出してきたのかもしれない。 そんな武士のような少女・刹那は、澤村の顔をちらちらと見ていた。 不思議に思った澤村は、彼女の顔を凝視する。 そこでようやく彼女の頬が赤くなっていることに気が付いた。 ……それと同時に、なぜ彼女の頬が赤いのかも気が付くこととなる。 「あ……」 最初の刹那と同じように、小さな声を漏らす。 刹那と同じように、澤村の頬も赤くなっていった。それを隠すように、澤村は刹那から顔を逸らした。 刹那は、そんな澤村の動作にはっと顔色を青くした。 二人が頭に浮かべている事柄は、似ているようで似ていない。 澤村は、自分が呟いたセリフを。 刹那は、自分の本当の姿を見られたことを。 京都の事件以来、まともに話す機会は二人にはなかったおかげというべきなのか、それともせいだというべきなのか。 とにかく澤村と刹那の間には、刹那が烏族だということについて、解決されていなかった。 明日菜や木乃香、ネギ達にはきちんと刹那は自分のことを話したのだが、澤村とは全くしていない。 澤村も明日菜達のように思ってくれているかもしれないという思いこんでいた。 けれど、澤村が顔を逸らしたことで不安がふつふつと刹那の中で沸き上がってきたのだ。 本人は、そういった意味で彼女から顔を逸らしたわけではないだが、お互いの心の中が読める能力など、異端である彼らでも持っていない。 澤村に自分のことを話す機会が全くないということではない。 澤村は自分の言ったことが恥ずかしく、刹那を避けていた。 刹那も、澤村のセリフがなんだかむず痒く、恥ずかしいという気持ちからか澤村を避けていた。その反面、同い年の男性であり、自分たちの世界とは深く関わっていない澤村が自分を見てどう反応するか、恐怖が潜んでいた。 刹那もその気持ちから逃げていたのだ。 そう思ってしまっては、後ろめたい考えしか浮かばないから。 それが刹那の性格である。 お互いにお互いを避ける。機会ができるはずがなかたのだ。 しかし今回は、魔法のことでそのことをすっかり忘れていたために、澤村が今まで抱えていた問題全ての引き金を引いてしまったのだ。 気まずい沈黙。 それを破ったのは、 「―――――澤村さんは……怖くないんですか」 トーンの低い、刹那の言葉だった。 表情はさきほどと一変して暗いものとなっている。 澤村も刹那の声に赤みの引いた顔を彼女へと向けた。 「……怖いって?」 硬い声で澤村は刹那に問う。 彼女の表情は、どこか脅えているように澤村は見えてしまい、下手なことをいってしまえば何かが壊れるように思わせたからだ。 「人間とのハーフといっても、ご覧になった通り私は烏族です。修学旅行で襲ってきた鬼達と同じ、化け物です。……それなのに、怖くないのですか」 二人の視線が合うことはないかった。 刹那は確かに澤村を見ているが、澤村の目を見ることはない。 澤村も澤村で、彼女を直視することができなかった。 別に彼女のことを怖いと思ったことはないわけではなかったから。 けれども、それが全ての理由ではなかった。 「その……確かに全く怖くないといったら嘘かもしれないけどさ」 一人なって考えると、やはり刹那のことは少し怖いと思うところはある。 でもそれは、はじめてみるものに対する恐怖であって、刹那が烏族だということでなくても同じことを感じるだろう。 それに澤村は、それよりも怖いと思う事柄がある。 魔法の世界に深く関わるという恐怖。 それに比べれば、どうってことのないものだった。 刹那には、失礼かもしれないが、それが澤村の素直な気持ちである。 そんな澤村の思いも知らない刹那の瞳がやっぱり、と悲しげに揺らいだ。 澤村は、そんな刹那に言葉をとめそうになったが、最後までいわなければと刹那から視線をそらした。 澤村の視界には、自分の靴と廊下の床が見える。 「今は、翼も生えていないから……普通の女の子に見えるし」 首元をがしがしとかきながら澤村は床に視線を落としたまま話す。 刹那もそのままの状態で澤村の言葉を聞き入っていた。 「今は化け物とかに見えないしさ。それに、ほら―――――」 澤村の頭の中で、ネギならさらりといってしまうんだろうな、などと思ってしまう。 おかしなところで彼は紳士だ。さすが英国人というべきなのか。 とはいえ、澤村にだって英国の血が流れている。 澤村は、スマートに言えるか不安に思いつつも深呼吸を一つして、 「―――――修学旅行で言ったことは、本当だし」 間接的に言った。 とてもじゃないが、ネギのように直接的にはいえない。 そんな自分に、やはり澤村は情けなさを感じる。 一方、刹那はというと、ただ呆けていた。 言った意味を理解しようとしている。 澤村の顔は赤くなかった。 表情から照れというものを現れてはいたが、真剣さはそこにはある。 まっすぐと刹那のことを見つめられなくても、声色は真剣だった。 怖くないとは言えないけれど、大丈夫。 ようはそういうことだ。 あまり褒められた言葉を返したわけではない。 しかしこれは、澤村の素直な気持ちであり、 刹那もそれを感じたのだろう。 全く、とはいえないが顔を赤らめずに、 「―――――ありがとうございます」 照れ隠しにニカリと笑った澤村に、深々と頭をさげたのだった。 |