ネギ補佐生徒 第25話





 それは、テストの準備期間に入るために部活が休みになるからと、部室に荷物をとりにいったときのことだった。

「ん」

 同じ学年のサッカー部男子が、澤村の前で揃って手を差し出していた。
 澤村はその手をジト目で見つめている。
 皆、部活の荷物をとりにきたりと、テストの準備も含めて部室に来ていたのだ。
 練習は当然していない。
 けれども澤村の汗がじんわりとにじみでており、体は火照っていた。
 今朝はいつもの時間より早い時間に起床し、筋トレメニューとジョギングをしたためである。
 これは気まぐれからではない。戦闘に耐えられるように、肉体を鍛えたいと思ったからだ。

 それはさておき。

 澤村は彼らが何を考えているのか、手に取るようにわかっていた。
 わかりたくなくても、だ。

「……一応聞いておこう。どういうつもりだ」

 澤村が最終警告を放つ。
 皆揃ってにやにやとしているのが、彼の苛立ちを更に高めた。
 久しぶりの学校だというのに、気分は台無しだった。

「何って、土産だよ。み・や・げ」

 代表して言うキーパーの男子の手を澤村は、パンとはたく。
 実際痛くもないのだが、痛がるふりをするキーパーに澤村はまた苛立ちを高めた。

「和泉からもらっただろうが。大体、俺にはないのに和泉とかマネージャーにはお土産買ってるって、どういうことだよ」

 澤村は事実を述べている。ほとんどの男子中等部のクラスがハワイにいったという情報は、澤村の耳にはしっかりと入っており、澤村がハワイを楽しみにしていたというのも皆知っている。
 それなのに彼らは、マネージャー達にちゃっかりお土産を買ってきているのだ。
 理由は至極簡単。
 マネージャーは皆、女子だからだ。

「澤村は女子達と楽しい京都めぐりしたんだろ?俺達よりいい思いしてんだからいいじゃねーか」
「ネギ先生に同行していただけだっての」

 女子達と一緒に行動、というところからは、いい思いはあまりしていない。
 皆ネギの方に目がいっていて、澤村なんてただのおまけかそれ以下にすぎなかったのだ。
 けれども、そういったことよりも大事なことが学べたと、澤村は思っている。
 そういった面では、いい思いをしたのかもしれない。

 ―――――しかしだ。

 やはりハワイには行きたかった。
 というか今でも行きたい。その思いを素直に澤村は彼らに告げる。

「俺はハワイに行きたかったのに京都になったんだぞ。俺のワクワクやらお楽しみは、京都の遠くお空へ飛び発ったんだっ」
「……しゃーないなぁ。んじゃ澤村にもお土産をやろうではないか」

 ロッカーからがさりと出された袋。
 澤村はそれを受け取りながらも買っていてくれていたのかと、自分が苛立ってしまったことを後悔する。
 それならば、彼らに悪いことをしてしまった、と。

「あ、悪い。用意してくれてたんだな。ありがとう」

 しかし、いざ手の中にそれが収まると、嫌な予感がした。
 ジャリっとした感触が、袋越しに伝わってくると同時に、申しわけなさそうだった澤村の表情は、一変する。

「約束通り持ってきたぜ、ハワイの砂」

 ピッチャー・澤村は、振りかぶってキャッチャー・キーパーにボールならぬハワイの砂を投げつけた。
 もちろん澤村はサッカー部。投げることに関してコントロールがいいはずがないのだが、彼の狙い通りキーパーのグローブ……顔面にハワイの砂が入った袋は吸いこまれていった。





  ネギ補佐生徒 第25話 対抗心





 快晴な空の下、ネギは走る。
 久しぶりの学校。
 久しぶりの登校風景。
 路面電車や走る生徒達に囲まれながらも、ネギは走る。

「よーし、今日からまたがんばるぞー!!」

 ネギは意気込みを包み隠さずその小さな体で現す。
 父親からもらった杖を背負ったネギの少し後ろには、ルームメイトである明日菜と、足の速い二人についていくためにローラーブレードをはいた木乃香の姿があった。

「中間テストもあるし、アスナさんも勉強がんばってくださいね!」
「うぐ……うっ、うるさいわね!」

 教師としての心構えも忘れていない。また自分のクラスが最下位にならないように、テスト対策もしなくては。
 自分が放ったテストという単語に、ネギはふと思い出す。
 エヴァンジェリンに弟子入りのためのテストを土曜日に受けるのだ。
 立派な魔法使いになるための、大切な一歩。
 内容は詳しくエヴァンジェリンから聞いていないが、どんな内容でもテストに合格しなければならない。

 ――――――父親に追いつくために。

「あ、翔騎君、おはよー」

 一番後ろにいた木乃香の声がネギの耳に入ってくる。
 翔騎、という聞きなれない単語でも、それが誰なのかすぐにわかる。
 何時の間に木乃香とその人物が名前を呼ぶ仲へと進展したのか、心の隅で疑問に思いながらも、ネギは振り返った。

「おはよ、澤村君」
「おはようございます、澤村さん」

 明日菜とネギも、木乃香に続く。
 挨拶された澤村は、部活用のバッグと学生鞄をがちゃがちゃといわせながら走っていた。

「おはようございます」

 事務的な挨拶だった。
 表情もない。
 ネギは違和感を感じた。だから素直に、

「どうかしたんですか」

 と聞いてみた。
 今日初めて、澤村はネギを見る。
 ネギも澤村が自分を見ていなかったことを、そこで気が付いた。
 また避けられているのかという不安がネギを襲った。
 しかしそれもすぐに掻き消えた。

「ちょっと部活でいろいろありまして……」

 苦笑して言ってくる澤村。
 それは、出会ってすぐの時のものと変わりはなかった。

「何、もめたの?」

 明日菜の言葉に、澤村は違う違うと笑って答えた。

「もめたりしたら、和泉が怒るから」

 彼女は、喧嘩とかそう言ったことが他の人以上に嫌いなのだと澤村は言う。
 自分の生徒の知らないことを知っている澤村。
 そんな澤村に、ネギは少しだけ劣等感を覚える。
 自分の方が生徒を知っているし知りたいと思っていたから。
 でも、同じ生徒という立場……年齢の違いがネギと澤村に差を与えている。
 彼は一部の生徒から確かに嫌われている。鳴滝姉妹の悪戯のせいだというのはネギも知っているから、彼のフォローをいれたことがあった。
 けれども、当時のネギは澤村翔騎という人物を深くは知らなかったため、そのフォローは説得力のないものとなってしまった。
 だから澤村のことを知りたいと、前々から思っていた。
 それにおいて、修学旅行というのはいい機会だと思っていたのだが、結局騒ぎが起きてしまって彼と仲良くなるということはできなかったのだ。
 澤村の自分に対する壁はいつだって見え隠れしていた。
 教師としての成長も目指すネギにとって、これはあまり好ましいことではない。

 ―――――教師としても頑張らなくては。

 そんな想いを抱く。
 澤村を含めた、他の生徒とも親しくなりたい。
 そう思った。
 とりあえず第一歩として、

「澤村さん、中間テストの方はどうですか。環境が変わってしまって、集中できないとか」

 そんな言葉を放った。
 男子中等部に在学していた澤村の成績は、中の中。
 魔法学校にいる時と同様の成績であった。
 英語と体育以外は、並み程度のものだった。
 英語は第二の母国語なのだろう。体育も部活との繋がりだからたいした問題じゃない。そもそも体育はテストの科目にはない。
 けれども他の教科は、環境が変わってしまえば、すぐに赤点予備軍までさがってしまう。
 澤村は即座に答えた。

「なんとか大丈夫そうです。わからないところは和泉とかに聞くつもりですし」
「ウチも力になれることあったら言うてな。アスナも」

 木乃香の成績は上位に近い。
 そんな木乃香の言葉に、澤村と明日菜がありがとうと礼を言っているのをみて、ネギは微笑ましく思った。
 思い出されるのは、前回の定期テスト。
 いろいろあったが、皆が頑張る姿を見て嬉しく思ったのを鮮明に覚えている。
 はじめは、立派な魔法使いになるための過程としか思っていなかった教師という立場も今は、楽しくてしかたがない。

 ――――――立派な魔法使いになると同時に立派な教師になりたい。

 いつの間にか、そう想うようになっていた。

「僕も何かお手伝いできることがあったら何でも言ってください」

 そう言うと、澤村は苦笑を、明日菜と木乃香は笑顔をネギに向けた。
 澤村の反応の違いに、違和感を覚える。
 だがそれは、またすぐにかき消された。

「ケンカだケンカだー!」
「部長に食券50枚!」

 クラス内でもよく聞く言葉。
 それはネギにとっては悩みの種の一つでもある。
 明日菜とあやかの喧嘩でのクラス内のやり取りに似た騒ぎに、ネギは視線を向けた。
 グランドと校舎を分けるように建てられている路面電車の通路のために作られた石段は、登校する学生と事故が起きないように比較的高めに作られている。低いとはいえ、階段が必要なのだから結構高い。
 ……とはいえ、近道なうえに駅から直結しているため、結局学生達が群れのように走っているからこれの意味はない。
 そんな高めに作られている石段のおかげで、どんな騒ぎが起きているのか、よくわかった。
 空手着を着た者、剣道の胴着を着た者……格闘技を得意としてそうな生徒が一人の女生徒を囲んでいる。
 ネギは彼女を知っていた。
 その女生徒とは――――――

「くーふぇさん!?」





 騒ぎの元である場所へと、澤村を含む四人は歩を進めた。
 騒ぎの中心である威圧されそうな学生に囲まれても余裕の笑みを浮かべている古菲。
 澤村は、特に取り乱すことはなかった。
 こういった騒動は以前に見たことあるし、余裕の笑みを浮かべている古菲を見て危険ではないと思ったからだ。
 しかし、生徒を想うネギにとっては、例え本人が余裕の笑みを浮かべていても心配せずにはいられない。

「た、た、大変!? 悪そうな人達にかこまれて……!?」

 両手をぱたぱたと振っているネギを見て、自分もエヴァンジェリンに対して同じような行動をしていた気がした。
 そこでようやく、明日菜と初めて会話したときに出た、ネギと似ているというのはここからきているのかと澤村は気が付く。なるほど、確かに子供っぽいかもしれない、と。
 今後は気をつけよう、と心の中で決心しつつある澤村の横に、

「あれは、いつものことでござるよ」

 ひょっこりと楓が現れた。
 なんの脈絡もなく、だ。

「え、な、い?」

 言葉にならない声をこぼしつつも、澤村はぎょっと楓を見た。
 澤村としては、「え、長瀬さん。何時の間に?」と言いたかったのだろう。

「ニンニン」

 楽しそうに目の前の糸目の女子は手で印を結びながら言う。
 顔を見上げなければいけないという身長差に悲しみを感じた。
 何をどうしたらこんなに背が伸びるのか聞きたいところだ。
 明日菜達が古菲の騒ぎに目を奪われている中、澤村は少しだけ羨ましそうな視線を楓に向けていた。
 けれど楓はそんな澤村の視線を受けつつも、解説をしはじめる。

「古は学園の格闘大会で優勝してるでござるからな。ああして毎日挑戦者が後を絶たないでござるよ」

 ござる口調で説明されようとも、澤村の目と頭の中はその高い位置にある頭のみ。
 古菲の勇姿を見るということは澤村の頭の中にはなかった。
 残念ながら、これっぽっちも。

「ごはぁあっ!?」

 しかし、腹の奥から出てくるような呻き声に澤村は我に返る。
 視線を楓から外すと、古菲がネギの頭を撫でている後ろで倒れていく大男の姿。
 シュールだった。

「ってか……強いんだ、古菲さんって」
「学園の格闘大会とはいっても、それなりの強さの者がいるでござるからなぁ」

 自分の呟き答える楓に、澤村は曖昧な返事を返す。
 思い当たることがあったのだ。
 いくら魔法を会得しても、自分の長所がいかせるものを身につけるのも大事なことだ。
 格闘技。
 純粋な体術。
 一般人である古菲に頼むというのは気が引けるし事情の説明が面倒だ。
 下手に自分と関わって、巻き込んでしまえば元も子もない。

「どうしたでござるか、澤村殿。遅刻するでござるよ」
「え、あ、ああ」

 澤村のいつのまにか伏せてしまっていた顔を上げる。
 先を走るネギと明日菜と木乃香の姿。楓は、俯く澤村に気づいて止まってくれていたのだ。
 澤村は楓に礼を述べつつも、走り出した。





 異様に足の早い楓になんとかついていきながらも、澤村は教室についた。
 息切れしつつもこれはこれでいいトレーニングになるかもしれないと澤村は思う。
 ガラリと扉を開けると、

「あ、澤村君、おはよー!」
「おはようですー!」

 教室の前の出入り口にいるまき絵と史伽が澤村を迎え入れてくれた。
 それを筆頭に、近くにいたクラスメイト達が澤村に挨拶を投げかけてくる。
 もうすぐチャイムが鳴る時間のためか、皆きちんと席についていた。
 澤村は、そんな二人に挨拶を返しながらも、貫くような視線が自分に向けられていることに気が付く。
 まき絵の後ろの席―――――釘宮円が澤村翔騎を睨んでいるのだ。
 頭の中で気にしないようにと心がけながらも澤村は自分の席へと歩を進める。
 そして少しだけ後悔した。
 なぜ後ろから自分は教室に入らなかったのだろうか、と。

「おはようございます、澤村さん」
「おはよう、桜咲さん」

 はにかみながら挨拶してくれる刹那にもきちんと挨拶を返す。
 普通のやり取りだ。
 やり取りなのだが……

 ―――――なんでそんなに睨むかな。

 背中に冷や汗がまとわりつく。
 当人たちにとっては、普通のやり取りであり常識的なことなのだが円は非常識的なことのように見ているらしく、視線が更に鋭くなった。
 多少嫌われても仕方がないと思っていた澤村でもこれには泣きたい気分になる。
 あの雪広あやかでさえ、澤村を睨むことはないというのに。
 気落ちしながらも自分の席へに腰をおろす。
 隣には、顔の半分を覆うほどの大きなマスクをしたエヴァンジェリンがいた。
 赤い顔で、なんだか目もトロンとしている。
 澤村は一瞬風邪かと思ったが、疎ましそうに自分を見るエヴァンジェリンに昨日のことを思い出す。

「花粉症、だっけ」

 澤村の独り言のような呟きにエヴァンジェリンはしぶしぶ頷く。
 顔が赤いのは、花粉症のせいらしい。
 昨日の呼び出しのせいで悪化してしまったのだろうか。
 そう思った途端、澤村はなんだか申し訳ない気持ちになり、素直にそれを口にした。

悪い。昨日ので花粉症、ひどくなったか?」

 エヴァンジェリンからの返事はなかった。
 頷くことすらしてくれない。むしろ顔を背けられた。
 そんなエヴァンジェリンに澤村が頭をかいていると、

「今日の花粉の量は、今まで一番多いそうです。……なので、澤村さんのせいではありません」

 くるりとエヴァンジェリンの前に据わっている薄い緑の長髪の持ち主、絡繰茶々丸が振り返った。
 そしてなぜか澤村の前の席である明石裕奈まで。

「そうらしいねー。っていうか、澤村君。エヴァちゃんと昨日何かあったのかにゃー?」

 にゃーってなんだ、にゃーって。
 茶々丸の言葉に返事をする前にそんなことを思ってしまう。
 目の前にいるバスケ少女がまさか語尾ににゃーをつけるという人物だったことに少々驚いてしまう。
 驚きを表情に出す前に表情が固まってしまっていた。
 とはいえ、ござるやアル……はたまた忍者娘や色黒娘の身長より破壊力は極めて低く、常時にゃーがついているわけではないので、固まった表情もすぐに戻る。

「ちょっと修学旅行の報告してて、エヴァンジェリンの話がでたんだよ。途中から来たから、いろいろあってさ」

 我ながら穴の空いた説明だと澤村は思う。
 けれども裕奈はへぇーそうなんだ、と素直に納得してくれた。
 ……良心が痛む。
 魔法のことを知ってから、嘘を付くことが多くなった。
 魔法を学ぶということは、ルームメイトだった男子やサッカー部の友人、亜子達にも嘘をついたり隠し事をしなくてはいけないということ。
 これからもずっと続く。
 そう思うと、辛いという単語が澤村の中に浮かび上がってきた。
 魔力があることを黙っていた自分。
 修学旅行……あの時の自分が思い起こされる。
 最低だった。
 諦めずに突き進むというのが、サッカーの試合に臨む時の澤村の意気込み。
 修学旅行の時だって捕らわれの身になるまでは、漠然とかもしれないがその意気込みを持っていたはずだった。
 けれども、人間として最低なところまで澤村は一度とはいえ、落ちぶれたのだ。
 自分に苛立ちを感じる。
 ネギ達にとって、そんな澤村はもう過去の話になっていた。
 それが彼らの美徳。
 だが彼らにとって過去の事になっていたとしても澤村にとって、過去ではない。
 現在だ。
 今、この時、弱い自分が嫌いだ。
 澤村はネギを見ていると焦りを感じる。
 6年という時を普通の人として過ごした。
 そのことに幸せだったと思う反面、

 ――――――深く後悔している自分がいた。

 6年間、ネギは魔法使いとしての努力を重ねた。
 6年間、澤村は普通の人として平凡な生活を送った。
 時は誰にも平等な物であり、取り戻すことのできない物である。
 澤村はネギより5年も早く生まれている。
 それなのに、魔法使いとしての実力の差は6年間もあるのだ。
 いや、記憶がないのだからもっとあるはずだ。焦りが澤村の体を埋め尽くそうとしていた。
 これからどうするか、真剣に考えなければならない。
 醜くても、格好悪くても、前に進むと決めたのに、ネギに対する気持ちでエヴァンジェリンに弟子入りを断ったのだが、後悔はしていなかった。
 ネギと同じ師についてもネギの足手まといになるのがおちである。
 ネギが嫌いだからといって、人の努力を邪魔するところまでおちぶれたくない。
 ただでさえ人間として最低レベルまでおちたからといってもうおちていいわけがないのだ。
 理由がわからないネギに対する嫌悪は一体なんだろうか。
 ネギは子供ながらも大人より判断力などが長けているし、一つの目標に向かって突き進むネギの姿は微笑ましくも在り、好感がもてる。
 なのに、なぜ。
 嫉妬心だってあるかもしれない。
 けれど、それを差し引いてもなぜかネギが苦手……嫌いだった。
 ネギが魔法使いと知ってから、その嫌悪は更に増し、彼と関われば関わるほど比例してその感情は膨らんで行った。
わからない。
 理不尽な嫌悪。15年間生きてきた澤村にとって、それは初めてのことだった。
 どうすればいいか、澤村にはわからない。
 これが生理的に嫌い、ということなのだろうか。
 そうだとしても、これはあんまりだ。
 子供を嫌うなんて。それもただの子供ではない。
 自分よりも大人で強い子供だ。
 どうすれば、ネギを好きになれるだろうか。どうすれば、ネギに自分の嫌悪を気づかれない様にできるだろうか。
 悩みは尽きない。
 澤村が溜息をもらす前に、チャイムが鳴り響いた。





 ―――――修学旅行を終えてから、澤村翔騎の雰囲気が変った。

 ような気がすると長谷川千雨は思った。
 ロボと平気で話す澤村。
 現在授業に集中している澤村の姿は確かに女子の中で浮いているが、その辺のクラスの女子よりかは集中しているように見える。
 千雨自身も授業に集中していない。
 横目で澤村を見ていた。
 彼は、帰りの新幹線でもいつのまにか現れたエヴァンジェリンたちを平気に受け入れ、会話をしていた。
 おいおい、お前はまともな奴だったんじゃないのかよ、となんだか裏切られた気持ちになる。
 いや、別に信じていたりしてたわけではない。断じて。
 少しばかり衝撃があるだけだ。
 前からはネギの流暢な英語が聞こえてくる。英国人だけあって、発音が非常にいい。
 とはいっても、ここには留学生が多い。同時に英語の勉強の意味がない者が多い。
 例えば、今千雨が視線を向けている人物とその隣の人物。
 澤村はハーフ。朝倉和美の情報によれば、ネギと同じ英国人の血が流れているらしい。
 現に彼の口から出る英語は流暢なものだ。
 けれども日本の暮らしが長かったせいか、ネギと比べるとそれは少々劣るものだった。
 エヴァンジェリンも全体的な成績に関しては低い順位でも、英語だけをみれば上位にいく成績である。
 千雨は溜息を漏らす。
 一番後ろの席にいるだけあってか、教室内が嫌でも見渡せてしまう。
 異常なクラス。
 それでも見慣れてしまったクラス。
 そんな自分が、正直腹立たしい。
 もう一度溜息を漏らすと、黒板を見つめていたはずの澤村が千雨の方へと顔を向けた。
 千雨はすぐに視線を机に落とす。
 横目で澤村を見ることすらしない。
 一瞬。
 ほんの一瞬だけ、澤村と視線があったかもしれないが無視する。
 しばらく澤村の視線が千雨に向けられていたが、すぐさまそれは黒板へと向けられた。
 いかんいかん、と千雨は小さく首を横に振る。
 他人……それも澤村という男のことを考えるなんてらしくない。

「ここはテストに出ると思いますので復習してくださいね」

 ネギが言う、お決まりなセリフに千雨は、ノートにさらさらと英文を書き移す。
 説明を聞いていなかったからさっぱり意味がわからないが、あとで調べたりすればなんとかなるだろう。
 丁度英文を書き終えたところで、チャイムが鳴り響く。

「では、今日は以上です」

 起立、という日直の声にならって千雨もクラスメイトと一緒に席を立つ。
 礼の号令と共に、

「えーと……あの、くーふぇさん。ちょっとお話があるんですが」

 ネギがどこか恐縮した様子で言った。
 クラスがざわめいたが、千雨には関係ない。
 いつものように、机の中にしまってあったサブノートPCを取り出した。
 これが千雨流の休み時間の潰し方である。





 ネギに関することは、とりあえず距離をとることで無理矢理自分を納得させた。
 澤村には、これ以上自分の黒い感情と向き合うほどの勇気はなかったのだ。
 だから別のことを考える。
 誰に体術を学ぶか。
 そんなことを考え耽っている澤村に、声がかかる。

「おい」

 くぐもった声だった。横を見ればマスクをしているエヴァンジェリン。
 何、と澤村が問うとエヴァンジェリンは自分の前の席にいる茶々丸に声をかけた。
 茶々丸は自分の鞄の中から、分厚い本を二冊取り出し澤村の席へと置いてくる。
 ドン、という音が、澤村にその重量を教えてくれた。
 ネギがいなくなってから渡してくれたのは、きっとエヴァンジェリンなりの配慮だった。
 ネギに対抗心のある澤村にとって、魔法を学ぼうとしていることを知られるのは好ましくないと思ったのだ。

「昨日言っていたものだ。有り難く使え」
「ありがとう、助かる」

 それを察した澤村は、そう言いながらも本を開いてみる。
 はやる気持ちがそうさせたのだ。
 しかし開いたと同時に、澤村の眉間には深い皺が刻まれた。

「何だ、これ」
「お前が望んでいた本だ」

 あえて魔法という単語をださないのは、教室内だからだろう。
 ネギの発言のせいで騒がしいとはいっても、澤村達と席の近い千雨がパソコンを開いて自分の席にいるのだから聞こえてしまう可能性がある。
 そんなことはさておき、澤村はエヴァンジェリンの発言に開いた本を見せながらも、

「そうじゃなくて。ほら、この文字……何語だっけ?」

 見た記憶はある気がするのだが、澤村にはどうしてもこれが何語なのかわからなかった。
 単語は読むことはできてもその意味は理解できない上に、文法も澤村が知る英語とは違った物だった。
 エヴァンジェリンは、こともなさげにさらりと、

「ラテン語だ。後半はギリシャ語だから、読むのにすらてこずるだろうな。唱えるだけでできるほどの物ではない。意味と原理を理解し、イメージすることで初めてできる」

 と言った。彼女にとっては他愛もないことなのだろう。
 まぁ、頑張れというエヴァンジェリンの言葉に澤村は、難しい顔のまま頷く。
 後半までページをめくってみれば、確かによくわからない文字が並んでいた。
 とはいえ、全く見覚えのないものでもない。
 6年前の記憶が、多少残っているのかもしれないと澤村はどこか安堵した気持ちになる。
 だが、見覚えがあるだけで、中身はさっぱりだった。

「まずは翻訳からだな」

 バタンと音をたてながらも本を閉じると、澤村はそのまま本を鞄の中に突っ込んだ。
 ふと澤村は、教室内に貼ってある時間割表を見る。
 放課後までまだ少し授業がありそうだ。
 早く授業が終わるといい、なんてことを思ったのは部活以外のことでは、初めてのことだった。





 テスト対策中心の授業を終えた明日菜は、手を組んだ両腕をぐっと上へとのばす。
 背筋が伸びる感覚に気持ち良さを感じながらも、隣をみた。
 木乃香はいない。放課後に入ってすぐに刹那のところへ飛んで行ったからだ。
 修学旅行を終えてから木乃香は、一緒にいられなかった時間をうめるように刹那にひっついて離れない。
 刹那も刹那でまんざらではないようだ。
 まだ木乃香が顔を赤らめる刹那の腕に抱き付いて何か話しているのをみて、明日菜は複雑な笑みを浮かべてしまう。
 嬉しさ半分、寂しさ半分。
 のばしきった腕を元の位置に戻し、明日菜は帰る仕度を始める。

「アスナ、アスナ」

 おっとりとした声が明日菜の耳に入ってきた。
 明日菜が鞄から視線をずらしてみると、木乃香が刹那の手を握ったまま目の前に来ていた。
 一緒に帰ることにでもなったのかと明日菜は思ったが、

「せっちゃんな、ボーリングもカラオケも行ったことないんやて」

 なんて言葉が木乃香の口から出てきた。
 予想外の言葉に、明日菜は刹那を見る。
 ボーリングに行ったことがない、ということが少し恥ずかしいのか少しだけ顔を赤らめて照れていた。
 刹那は木乃香を守るためにその身を奉げてきた。
 ボーリングなどの娯楽に身を投じることなど全くなかったのだろう。
 せっかく木乃香との仲が戻ったのだ。楽しんでもらわないと。

 ――――――友達として。

「ねぇ、刹那さん。これから暇?」
「え、あ、はい」

 戸惑いの混じった刹那の返事に明日菜は笑顔を見せる。
 木乃香も意味がわかったのだろう。にこにこと顔を綻ばせていた。

「じゃあさ、今から私達と遊びにいかない?」
「え……」

 きょとんとした表情で刹那は明日菜を見詰める。
 しばらくして、

「―――――はい!」

 満面の笑顔で、明日菜の言葉に頷いた。
 三人で行こうか、と教室を出ようとしたとき、朝と同じように鞄を担ぐ澤村が明日菜の視界に入ってきた。

「澤村君も今から帰り?」
「あ、ああ……」

 話し掛けられるとは思わなかったのか、澤村は驚きながらも返事を返してきた。
 じゃあ、と軽い挨拶をして去ろうとする澤村。
 なんだか逃げるかのような澤村に、

「せや、翔騎君も一緒に行かん?」

 木乃香は小首を傾げて聞いた。
 振りかえって去ろうとした澤村の足が止まる。

「行くって、どこに?」

 放課後だけあってか騒がしい教室内のせいで、澤村には全く聞こえなかったらしくそう聞き返される。
 明日菜が代表して事の経緯を話すと、澤村はどこか気まずそうな顔をしてみせた。
 えっと……言葉の先を濁す澤村に明日菜がせかすと、しぶしぶと口から言葉をこぼした。

「その……俺も、ボーリングとか、カラオケとかは……」

 行ったことないから、とつっかえながらも澤村が言った言葉に、明日菜と木乃香……刹那までもが驚いた。
 明日菜達が男子のことを詳しく知っているわけではないのだが、自分と同い年の男子がボーリングやカラオケといった遊びをしていないということは明日菜達にとって意外だったのだ。
 驚く明日菜達を見て、澤村は言いづらそうにその理由を話す。
 要約すれば、サッカーしか興味がないということだったのだが、明日菜にはわかった。

 ――――――両親がいない。

 それが、根本だ。
 学園長からの学費、生活費の援助をうけていても、返そうと思っている澤村にとって、あまり使いたくないものである。
 明日菜は、バイトでの収入で生活費などは自分で稼いでいるし、少しずつだが学園長に生活費のあまりを学園長からもらっている学費を返済している。
 けれども澤村は違う。
 サッカーを楽しむ。
 高校にはいかずに就職して、学園長のために働くと決めていた。
 今を気にしていないように見えるが、これはこれで先をみた考えだった。
 自分とは違うやり方で進む澤村は、明日菜にとっては少しばかり羨ましいと思ってしまう。
 自分は現実的な考えをしている、と明日菜は自負している、
 とはいっても、今は現実からかけ離れたことばかりを 体験しているのだが。
 それでも、今は好きなことと全力でぶつかっている澤村は、やはり輝いているように見える。
 そんな澤村が、サッカー以外の事にお金をかけないということは、確かに納得がいく。
 だからこそ、明日菜は迷った。
 澤村を誘うことはあまりよくないのかもしれない。
 彼の道を邪魔してしまうのではないのだろうか。
 しかしもう誘ってしまっているのにやっぱりいいとは言えない。

「そんなら、丁度ええやん。せっちゃんも初めてやし、恥ずかしがることないえ」

 木乃香の言葉に、澤村は気抜けした返答しかできないところを見ると、どうやら迷っているらしい。
 断りづらいのかもしれない。
 見る限りでは、押しに弱いところがあるようだし。
 刹那も澤村が迷っているのに気がついたのか、お嬢様、とやんわり木乃香に声を掛ける。
 明日菜は澤村が刹那の顔を何かみつけたかといわんばかりの表情で見たような気がした。

「澤村さんも用事があるかもしれませんし、今日の所は―――――」
「いや、大丈夫」

 どこか考え込んでいる表情だったが、澤村ははっきりとそう言った。
 木乃香の顔が明るくなると同時に、明日菜と刹那は顔を見合わせる。急に態度が一変したのだから仕方が無い。
 そんな3人に考え込んだ表情から楽しげな表情へと変え、澤村は重そうな荷物を抱えなおす。

「ほな、とりあえず行こかー」

 木乃香の言葉を合図に歩き出す4人。
 明日菜と刹那は、澤村と木乃香の後ろをてくてくと歩いていた。
 迷ったり、考え込んだり、楽しげな表情したり……澤村が何を考えているのか、明日菜と刹那にはさっぱりだった。
 そして、

「澤村さん、どうかしたんでしょうか」
「さぁ……男の子ってわからないわ」

 なんて会話をしつつも、校舎からでるのだった。





 明日菜にボーリングのやり方を教わる刹那。
 そんな刹那を澤村はぼんやりと見つめていた。

 ――――――神鳴流。

 魔物・怨霊を退治する退魔師の一族に受け継がれてきた流派で、この神鳴流は退魔師の中でも有名な流派だ。
 神鳴流は武器を選ばす、という言葉があるらしく、素手で魔物を倒すということもできるらしい。
 これには魔力とは違う、“気”という存在が深く関わっているのだが、それを抜きにしても神鳴流の体術は素晴らしいものだと近衛詠春が言っていたことを澤村は思い出していた。
 魔法のこともしっていて、体術に長けているのは彼女しかいない。
 澤村はそう思ったのだ。
 いつ言おうかと迷っているのだが、なかなか切り出すタイミングがない。
 澤村は溜息をもらしつつも辺りを見回した。
 視界には授業を受けるときと変わらないメンバー。
 そう。
 クラスのほとんどがボーリングにきていたのだ。
 これでは体術を教えてくださいなんていえない。
 こうなれば、帰り際に話をするしかなかった。

「澤村君の番よ」

 刹那の説明が終わったのか、明日菜が澤村の横の席に腰をおろしながらも言ってきた。
 チリン、と鈴が鳴ると同時に、ふわりといい匂いがする。
 慌ててその匂いを察知したと同時に澤村は、勢いよく立ち上がった。不思議そうに明日菜が自分を見上げていたが、澤村は気にせずボールを取りに行く。
 女子に慣れていないせいか、ああいった不意打ちは心臓に悪影響を与えてくる。
 自分が憧れていた先輩は自分と同じ年だった時、もっと大人な反応していた。
 それに比べて澤村は、どうも落ち着きがない。
 ネギですら女性への対応に大人っぽさがあるというのに。
 火照る顔を隠すように澤村はぐっとボールを顔の前でボールを構えた。





 澤村から稀に視線を感じる。
 気が付いていないふりをしているが、他人の視線に気が付かないほど刹那は馬鹿ではない。
 彼女とて神鳴流の使い手として、そういった視線などには敏感だ。
 けれども、澤村の視線には何も感情がなく、ただぼーっと見つめているというだけの視線だった。
 だからあえて気にしないでいるのだが……やはり、男性に見られているというのはどうも落ちつかない。
 それに加えて、自分が仕えている人――――木乃香までこちらを見ているのだ。正直、どうもどころか全く落ち着かない。
 平常心を脳内に掲げ、刹那はボールを構える。
 さっき明日菜から教わった動作を振り返った。
 位置は少し右利きだから右寄りに。
 歩幅もこれくらいが丁度いいだろう。
 少しだけ勢いをつけて歩きはじめる。
 ボールを持った手は、後ろへ。

 ―――――今だ!

 左足の爪先が、丁度線と重なった。
 右足を左足の後ろに滑り込ませ、腰をぐっと落とした。
 ボールを持った手が、床すれすれを通る。
 それと同時に、手から重みが消えた。
 音を立てて爽快に転がるボール。
 少しだけ斜めになっているが、右寄りから投げたのでいい感じにピンへと向かっている。
 刹那は体勢を戻して、ボールの行手を見守っていた。
 ボールはそのまま、ピンへと向かい―――――――

「あ」

 思わず声を零す。

「ストライクだな」

 そんな言葉に、刹那が振り返る。
 少しだけおかしそうに笑っている澤村がいた。
 ニカリと笑った表情が、なんだか子供のようだ。
 澤村はそのままの表情で、言葉を付け足す。

 ――――――ガータへ。

 刹那が放ったボールは、ピンを目の前にしてガータへ飛び込んでしまったのだ。
 からかいの言葉に、刹那は少しだけ顔を赤らめて澤村さん、と彼に抗議する。
 ごめんごめんと謝ってくる澤村。
 そんな彼は、刹那の知る澤村とは少し違っていた。きっと、初めてのボーリングに浮かれているのだろう。

「あんまりにも寂しそうな声だすから、おかしくて」
「翔騎君、せっちゃんいじめんたってーな」

 木乃香が軽く笑う澤村をむっと口を尖らせて咎める。
 しかし、木乃香の隣を見れば、明日菜もおかしそうに笑っていた。

「そ、そんな声、出してましたか?」

 明日菜と澤村……それに木乃香までもが揃って頷いた。
 刹那は自分の顔がさきほどより熱くなるのを感じる。

「ちょっと意外よねー。桜咲さん、あんなに動けるのに」

 剣術、とはストレートにださずに明日菜が言った。
 その言葉に澤村も頷き、木乃香もそやなーと明日菜の言葉に賛同している。
 そんな三人に刹那は頬をかきながら振り返ると、投げる前と全く変わらずにピンがずらりと並んでいた。
 どうやら力を込めすぎたらしい。
 もう一度、三人に顔を向ける。

「刹那さん、肩に力入れすぎよ」
「もう少し力を抜けば、大丈夫だと思う」
「次で頑張ろな、せっちゃん」

 刹那に各々の言葉を投げかけ、彼女の二投目を応援する三人。
 はにかみつつも、刹那は頷く。こうやって皆で遊ぶということが今までなかったせいか、妙に気持ちが高ぶっていた。
 こうなれば、ボーリングというものをマスターしてやろうじゃないか。
 刹那はそう思った。





「いやー、遊んだわねー!」
「楽しかったですねー」

 明日菜の爽やかな声に、ネギも緩んだ頬でそう答えた。
 古菲に無事弟子入りできたということが、ネギの頬を緩ませていたのだ。
 良き師匠を見つけられて、安心したのだろう。
 自分も早く刹那に弟子入りとまではいかないが、体術を教えて欲しいと頼まなくてはいけないと澤村はそんなネギを見て思った。

 ―――――これ以上、差をつけられてたまるものか。

 10歳の子供に負けてなどいられない。
 6年間という差が大きいのは承知の上。ならばこれ以上、差をつけられないように努力せねば―――――
 そこまで思い至って、澤村は心の中で首を傾げた。
 これではまるで、立派な魔法使いを目指しているみたいじゃないか、と。
 確かに魔法に関する勉強をするということに楽しさを感じている。
 恐怖を忘れ去るかのように。
 ……結局、答えははじめから決まっていたのかもしれない。
 6年前の自分。
 それが本当の自分だから、今の自分はこうやって魔法の世界に踏み入っているのではないのだろうか。
 自分の前を歩くネギ達を見て、澤村はそんなことを思う。
 亜子達や他のクラスメイトは回りにいなかった。
 今は、ネギ、明日菜、木乃香、刹那、澤村だけが寮へと向かっている。
 話を切り出すには、今が絶好のタイミングだろう。
 澤村はネギへと視線を送る。
 戦闘経験や魔法の技術に関しては彼の方がはるかに上だとしても、純粋な体術の差ならばそんなにないはずだ。
 スタートラインは、多少ネギの方が先にあったとしても、ほぼ同じに近いはず。
 魔法のことを学ぶことは、対抗心やあまり詳しくないという羞恥心からネギ達に知られるのはまだ引っかかるものがあるが、体術に学ぶことを知られるというのには、そういった気がかりはない。
 寮の階段を上っていく。
 ネギと澤村達の部屋は奥の方に位置しているため、刹那とは早く別れてしまう。
 今のうちに言わなければ、と澤村は遅れていた足を速め、木乃香と話している刹那の横へと並んだ。
 刹那が不思議そうに澤村を見る。その横にいた木乃香も刹那と同じ表情で澤村を見ていた。
 澤村は、できるだけ自然に振舞いつつも、

「桜咲さん、ちょっと頼みたいことがあるんだけど……いいかな」

 といった。
 変に意気込んでいってしまったら、自分が何を考えているのか知られてしまいそうで、恥ずかしかったからだ。
 10歳に対抗心を抱いている15歳。
 例えネギが特別な人間だとしても、澤村にとっては恥ずかしいことだった。
 それを知られるのが男子ならまだいいのだが、相手は女子。
 やはり恥ずかしい。
 今だに不思議そうな顔を向けている刹那に澤村は、言う。

「俺に……体術を、その、教えてもらえないか」





 刹那は不思議そうな表情で澤村を見ていた。
 澤村がどうして急にそんなことを言ってきたのか、わからなかったのだ。
 修学旅行のことだって、彼が悪いわけではない。
 天ヶ崎千草が仕組んだことである。
 澤村が負い目を感じる必要はないし、何より刹那達は謝罪する彼を受け入れた。
 だから尚更澤村が強くなる必要はない。

「なぜ、ですか」

 そう問う。
 澤村は刹那の言葉に頭を掻いた。
 えっと……と言葉を選んでいる。
 その様子をみて、刹那は明日菜の姿を思い出した。
 彼女も自分に改めて体術を学びたいといってきた時、同じような態度をしていた気がする。
 結局そのときは、はぐらかされてしまったのだが。

「強くなりたいから」

 澤村は、はっきり答えた。
 しかしこれでは理由になっていない。ようは明日菜と同様にはぐらかされた……というより、理由は隠したいということらしい。
 刹那は、澤村の目をみつめた。
 群青の瞳。
 そこには刹那の顔がしっかりと写されていた。
 真剣な表情だった。
 刹那は目を伏せる。
 しばらくの間を経てから、

「わかりました。それじゃあ、明日の朝5時に、世界樹へ来てください」

 そう答えた。
 澤村の表情が明るくなる。
 理由は明日聞こう。
 もしかしたら、木乃香達にはきかれたくない理由があるのかもしれない。
 ありがとう、と礼を言ってくる澤村に、微笑を返す。
 理由はわからないが、本人が真剣ならば、それに答えよう。
 そう思ったのだ。
 刹那の部屋まであともう少し。澤村は明日菜に話しかけられ、明日菜の隣へと移動していった。
 澤村も無事に刹那へ弟子入りできたことに、一安心したのだろう。
 さきほどまで黙りこくって明日菜達の後ろを歩いていたのに、今は明日菜と楽しそうに会話をしていた。
 刹那は、ふと木乃香を見る。

 ―――――――刹那が今まで見たことがない表情で、木乃香は澤村をじっと見つめいていた。

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