ネギ補佐生徒 第32話
―――――さて、状況を整理しよう。 澤村は、今までにない経験をしている。 目の前には色黒で背が高く、黒くて長い髪が綺麗な女性。私服であるロングでスリットの入ったスカートとノースリーブのカジュアルなシャツが非常に良く似合う、大人な女性だ。 その横には、サイドポニーの小柄な女性。隣の女性が背が高いせいか、妙に小さく見える。こちらは何故か制服を身に纏っている。 そして、澤村の隣にはオレンジにも見えなくもない茶髪でツインテールの女性。Tシャツとミニスカがスポーティーで、彼女らしさがでている服装だった。時折チリン、という鈴の音がするのは彼女の髪飾りが原因だろう。 んでもって自分。ダボダボのTシャツにダボダボのジーパン。地味というよりなんだかだらしない格好だった。これにはきちんと理由があるが、今は後回しとしよう。 ―――――さてさて、ここは何処だろう。 すばん、と言ってしまうと、麻帆良都市内にある飲食店が集まったエリア。因みに隣のエリアは、ショッピングセンターとなっている。 現在そこを澤村を含む四人で闊歩している。本当に闊歩闊歩とだ。この人以上に闊歩と言う言葉が似合う女性はいないと思う。 この人とは誰か。 サイドポニーの女性ではなく、ツインテールの女性でもない。ましてや澤村なんかでもない。 彼の目の前にあるく、色黒の女性のことである。 彼女は登場シーンからいろいろとすごかった。 まぁ、とりあえずここが何処だか確認はできたからこのことも後回しにしよう。 ―――――さてさてさて、何をしに来たのだろう。 これもずばん、と言ってしまうと、携帯を買いに来ただけである。 これは大分前から予定していたことだし……まぁ、特に問題はない。 ―――――さてさてさてさて、じゃあ何故この人達は自分と一緒に歩いているのだろう。 そう、ここだ。 問題とするならばここであろうに。 ネギ補佐生徒 第32話 黒い影、到来 澤村は、自分の周りへと視線を飛ばす。 道行くカップルが、 お年寄りが、 親子が、 男が、 女が、 犬が、 全員ではないが、数人がこちらを振り返ってくる。 そりゃそうだ。 美人な女性3人と、鋭い目つきをした男性1人が歩いているのだ。 しかも男性の方は、どこか生気のない顔をつきで歩いているのだから視線が不思議がって振り返ることもあるだろう。因みにぐったりとしている理由は精神的なものではなく、肉体的なものである。原因は……これも後回しとしよう。 何故このような状況になってしまったのか。 それはきっと、ネギのテストが終わった次の日の朝――――つまり、今朝の出来事が発端だろう。 ・ ・ ・ 後々考えれば、この時にもっと深く突っ込むべきだったのだ。 インターホンの音を聞きつけて、澤村は目を覚ます。それも豪快に。 まさか寝過ごした!? 確かに昨日はネギの部屋で騒いでいた裕奈達が自分の部屋に来て大騒ぎしたり、刹那と避けるという鍛錬で疲れてはいたけれど、まさか。そういえばあの時、亜子と距離を感じてなんとなく気まずさや寂しさを感じたな……って、違う。 このままでは刹那をしばらく待たせることとなってしまう。 時間は――――と、目覚し時計に視線をずらすと、 「――――あれ?」 3時。 自分が決めた起床時間よりも30分も早い。 じゃあ、誰が来たというのだ。 ベッドに寝そべったまま、澤村は首を傾げる。 とりあえず起きよう。 そう思い、澤村はまだ気だるさの残る体を起こし、床に足をつけて立ちあが――――― 「おはよう、澤村」 ――――穴があった。 黒い穴。 毛穴が開き、汗がだらだらと流れてくる。 「どうした?」 カチャリ、と金属音を鳴らして穴が近づいていき、最終的には額へと押し当てられた。 澤村はからからに乾いた喉で、 「お、おはようございます――――龍宮さん」 とクラスメイト―――龍宮真名に挨拶をした。それも敬語で。 額に何が当てられているのか考えたくないというのは人間の本能と言えよう。 「あの……何時の間に入られたんでしょうか?」 ドアを開く音やら足音やらは何処にいったのだろうか。 気配なんてものは感じることができないのだから、感じようがない。 「このくらいは気が付かないと、こっちではやっていけないぞ?」 ニヒルに笑って見せながらも真名は澤村の額に当てていた物を取り去る。 それは澤村の予想通り、銃だった。 銃刀法違反ってなものにひっかからないのは、やはり麻帆良だからだろうか。 そんなことを思っていると、 「お、おい! 龍宮、何をしている!!」 聞き慣れない口調で現れたのは桜咲刹那。髪の毛が少しボサッとしているのは、余程急いだからだろう。息も少し荒い。 「何って……訓練だが?」 けろりと言ってのける真名が何故かすごいと感じてしまう。 部屋主に許可を取らず、ずんずんと中に入ってくる刹那もある意味すごいのだが。 刹那は、今にも真名の胸座を掴みそうな勢いで彼女に詰め寄り、大きく口を開けて言った。 「いきなり銃を突き付けるなんてどうかしている! それに澤村さんは、まだ寝ていたのだろう!?」 口調が違うだけでこんなにも印象というものは変わるのだろうか。 寝ぼけているのと、刹那の普段と今とのギャップについていけずに、澤村はぽかんと口を開けたままことの経緯を見守ることしかできなかった。 「ああ、寝ていたな。だが、女がくるのだとわかっているのだから、いつもより早く起きるのは道理だろう? 寝ていたこいつが悪い」 「朝3時に押しかけといて、早いも遅いもあるかっ!!」 わんやわんや。 二人なのに騒がしい。それも一人だけが騒がしいという珍しい事態になりつつある。 ちらりと玄関を見たが、ドアが閉まっているから近所迷惑になることはないだろう。 とりあえず一安心。 「刹那。お前が澤村の鍛錬を手伝って欲しいといってきたのだろう? だからこうやって……」 「だからといって、こんな強引な鍛錬ならば、こちらからお断りだっ!!」 なんだか刹那の額に浮かび上がる血管が切れないか心配になってきたので、澤村はまぁまぁと彼女を宥める。 彼女はゆっくりと澤村に顔を向けた。 「あ、さ、澤村さん……おはようございます」 どうやらかなり余裕がなかったらしい。自分の失態に頬を赤らめながらも挨拶してくる刹那に澤村は、おはよ、と苦笑交じりで返した。 とりあえず刹那は敬語だけを遣う人間ではないということがわかったということで、真名に何か文句を言うのはやめておこうと思う。 「よし、澤村。これから防御……主に避けることの特訓をするから―――――3分以内で準備しろ」 ……拳銃を持つクラスメイトは、どうやら澤村をカップラーメンか何かと勘違いしているらしい。質が悪いことに、やろうと思えばできる時間でもある。 澤村は思わず、眉間に皺を寄せたが、 「―――なんだ。何か文句でもあるのか」 「いや、ないけど」 あまりの威圧に反射的に否定してしまう。 なんだろう、最近自分の自己が恐ろしいほど反映されていない気がする。主に女子中等部3−A内で。 「ならば、外で待機していよう。刹那、行くぞ」 戸惑う刹那の首根っこを掴んで颯爽と部屋から出て行く、真名。 そしてドアが閉まる音がする直前に、 「そうそう、朝の特訓が終わったら修学旅行の時の報酬を貰うからな」 それと、遅れたら打つぞ。 なんて物騒な言葉を零してドアはバタンと閉められた。 はて、何の報酬かはわかるが、一体報酬として何を求めているのだろうか。 そんなことを思いながらも、澤村は急いで顔を洗いに洗面台へと向かうのだった。 ・ ・ ・ たぶん、あれが全ての発端。根本的原因。 んでもって現在へと戻る。 あまりにも真名が急かすもので選んだ服はほぼ部屋着扱いのものであり、銃を突き付けられるという登場シーンというのも……本当、インパクトあり過ぎなわけで。 服なんかは、明日菜に文句を言われてしまった。それはないだろう、と。けれど事情を話せば同情の視線をもらった。少し悲しいところである。 因みに朝の鍛錬は一言で言うと死ぬかと思った、というところだ。 彼女が扱う銃のゴム弾の迫力とスピードは、本物とそれはそれは引けをとらないもので。 本能的に体が避けることを覚えてくれた。 真名曰く―――――命の危険を感じなければ、避けることなどできない。とか。 深く彼女を知っているわけではないが、澤村の中では、随分彼女らしいと思える言葉であった。 ……刹那と途中で合流してきた明日菜も、澤村の様子を見て顔を引き攣らせてはいたが。 けれども効果はそれなりにあった。 とは言っても50発中、後半の20発ものゴム弾を受けるという結果になってしまった。まぁ、今まで0だったのだから進歩と言えよう。 後半の10発は全て命中だった。最初はゴム弾を恐れていたものの、途中から痛みに慣れてしまい緊張感がなくなってしまったのが原因である。 これでは意味がない、と真名は溜息を漏らし実銃へと変えようとしたが、刹那と明日菜によって全力で止められた。 頭部に当てるとさすがにまずいと思ったのか、頭に当たるという事はなかった。威力はさすがに本物とは違い随分緩和されていたし、非常に柔らかい特殊なゴム弾を使っていたと言えど……当たるとかなり痛い。 一発、鳩尾に入り蛙が潰れたような声を発したのは、内緒にしてもらうという約束になっている。因みに、澤村がぐったりしているのもこれの所為だ。加えて刹那の言う空間を感じるということは今でもさっぱりであった。 そして朝の鍛錬が終わり、さて今日は携帯でも買いに行こうかと思ったのだが、真名に今後の予定を聞かれ答えたら、 「――――丁度いい、報酬を頂こう。刹那、神楽坂、お前達も一緒に来い。」 という彼女の言葉で今の状況に陥ってしまったのだ。直接の発端はここかもしれない。 ただどうでもいいのだが、澤村的に真名はエヴァンジェリンと属性が同じ気がした。 「あのさ、一体何処に行くつもりなんだ?」 目の前を闊歩する真名にそう問う。 彼女は歩みを止めず、振りかえりもせずにこう返した。 「もうすぐ着く」 まるで子供に言うように言ってくる真名に澤村は大きく溜息をつく。 いい加減歩くのすら辛くなってきた。 「大丈夫?」 明日菜もさすがに心配になってきたのだろう、そう聞いてくる。 男の意地とプライドでなんとか笑みを作って大丈夫だと答えると、彼女はムッとした顔をした。 「そういうところ、ほんっとネギに似てるわよね」 澤村は複雑な表情を彼女に向けた。 ――――それはもう、重々わかっている。 彼が嫌いな理由もそれが原因なのだと。 嫉妬やら同族嫌悪やら――――自分で思っているより子供なのだと、澤村は気落ちせずにはいられなかった。 ――――けれど、ネギを嫌いだと思う原因が他にある気がしてならなかった。 一体それが何なのか、全くわからない。 もしかしたら、自分がとても子供っぽく嫌な人間だと自覚するのが嫌で逃避の道を探しているだけなのだろうか。 「澤村君?」 明日菜の声で我に返る。 チリン、と髪飾りの鈴を鳴らして首を傾げている彼女の顔が近くにあった。 「うおっ」 我ながら情けない声が出たと思う。 澤村は少しだけ飛び退いて明日菜と距離をとる。既に二人の歩は止まっていた。 純粋に驚いた、というのもあるのだが―――― 「ちょっと何よ、そんなに驚くこと?」 またしてもムッとする明日菜。澤村にとっては“そんなに驚くこと”だったのだから仕方がない。 ――――ほんの一瞬、彼女のことを可愛いと思ってしまった。 容姿的のことではない。猫を見たりとかの可愛いでなかったのだ。 刹那だって木乃香だって……3−Aのクラスに可愛いや綺麗という形容詞の似合う人がいる。 澤村だけでなく、他の男子達も言うのだから間違いない。 違うのだ。 それとは全く違うのだ。 それではなくて、心から。 心から神楽坂明日菜を可愛いと思ったのだ。 仕草や話し方……その全てが可愛い、と。 なんでだ? こんな気持ち初めてだった。 おかしい。 美しいと、 可愛いと、 強いと、 そう思ったことは何度でもあるというのに。 憧れを抱いていているのはわかっていた。 なのに。 なのに、なのに――――― 「ちょっと!」 「は、はい!!」 びしっ、と姿勢を正す澤村。 明日菜の声で気が付いた前を歩いていた二人が、立ち止まってこちらを見ていた。 「本当に大丈夫? 固まっちゃってさ」 三人の視線が澤村へと集まっている。 澤村は、自分が何を考えているのか皆に見透かされているような感覚に捕らわれ、顔が熱くなってくるのがわかった。 目の前にいた真名と目が合う。 ……にやりと笑われた。 「な、なんだよ」 拗ねた声が口を割る。 けれども目の前の色黒女性は笑うばかり。隣で首を真名と自分を見て首を傾げる刹那がどれほど可憐に見えるか言葉では表現しきれないだろう。 「あの……大丈夫ですか、澤村さん」 刹那にぎこちない笑顔を向ける。 結局心配そうに聞いてくる明日菜と刹那に大丈夫と答えながらも真名を軽く睨むが、彼女はやはり笑ってそれを流すだけだった。 そして顎で後方を指す。 「報酬はここで頂くよ」 そこは――――― 「――――カフェ?」 しかも客は女性……それも学生ばかり。 男の澤村にとってはちょっとばかりかかなり抵抗のある店だった。 ―――――なんだか意外なメンバーで意外な物を食べている気がする。 なんてことを神楽坂明日菜は思う。 目の前ではおいしそうにあんみつを食べている龍宮真名。 その隣でなんだか困り顔で同じくあんみつを食べている桜咲刹那。 明日菜の横で不思議そうにビックパフェをスプーンで突付いている澤村翔騎。 そして普通のチョコレートパフェを食べている明日菜。 ―――――なんか妙な空気がっ……。 真名にあんみつを奢るように言われた時に不貞腐れていた澤村は、今現在は初めて食べるというパフェ……それもビックパフェに興味津々とだった。大きさは明日菜が食べているチョコレートパフェより一回りほど大きい。 どれがいいのかわからないと首を傾げる澤村に真名が勧めたものだ。 因みに明日菜達が食べている食べ物は、全て澤村持ちである。 明日菜と刹那は遠慮したのだが澤村は、 「いいって。お世話になってるお礼ってことにしといて」 笑って言いながらも押しきったのだ。 ふいに刹那と目が合う。明日菜は彼女に苦笑を向けた。同じく彼女も苦笑。 どうやらこの状況に対しての感想は彼女も同じらしい。 そんなことを気にしていないのか、 「なぁなぁ、これって上から食べた方がいいの?」 隣にいる澤村がそう問いかけてくる。 ……やっぱりネギに似ていると思ったが、どうやら彼にとってそれは禁句らしいから言わない。 ネギと似ているのは確かなこと。 無意識に無理を重ねて遠くへと言ってしまうところが腹立たしい。 思わず苛立ちにまかせて言った、ネギと似ているという発言は彼には大きなダメージだったらしい。 今後はネギと似ていると言わないほうがいいと明日菜は思った。 ……とりあえず今は、彼の質問に答えようではないか。 「うん。じゃないと崩れちゃうわよ」 そっか、と頷きながらもパフェのてっぺんをフォークですくい口に運ぶ澤村。 おいしいと思ったのだろう、そのままぱくぱくと食べ始めた。 「刹那、神楽坂。冷たいうちに食べないとおいしくないぞ」 そう言ってあんみつをぱくり。 そんな真名を見て、明日菜はまた刹那へと顔を向ける。 またしても苦笑。 結局二人は、目の前にある食べ物に口をつけるしかなかった。 そういえば朝、バイトから帰って来たらネギがいなかったけれど、一体どうしたのだろうか。 /br> 後ろには綾瀬夕映。 前には宮崎のどか。 肩にはアルベール・カモミール。 現在ネギ・スプリングフィールドは、彼女達を杖に乗せて帰宅中である。 図書館島地下に赴き、ネギの父、ナギ・スプリングフィールドの手掛かりを探そうとしていたのだ。 地下に手掛かりがあるということは、魔法使いの存在に気がついてしまった夕映が地図から見つけ出してくれた。 夕映とのどかに根負けしたネギは、彼女達と一緒に図書館島へと行ったのだが――――― ―――――そこには魔法界でも珍しいとされる、竜がいたのだ。 ネギを見かけて跡をつけてきていた茶々丸にピンチを助けられ、ネギ達は地下から脱出。現在に至る。 因みに茶々丸は、夕飯の買い物とかでさっさと帰ってしまった。 ネギは思う。 ――――明日菜をつれてこなくて本当によかった。 彼女のことだ竜を見つけてこっちに襲って来ようものなら、迷わず特攻してしまうだろう。 ネギがそんなことを思っていると、 「今日はすみませんでした。ご迷惑をおかけして」 夕映のすまなそうな声が聞こえてくる。 そんな彼女にネギは大丈夫ですよとにっこりと笑ってみせた。 迷惑だなんてこれっぽっちも思っていない。 ただ、怪我していないか心配なだけである。 ネギは地上へと視線を落とす。 もうすぐ女子寮だ。 「それじゃあ、着陸しますから」 図書館島での失敗を踏まえて、一言断ってから降下させる。 前方と後方から小さな悲鳴が聞こえてきたが、図書館島でのようなことは起きずに無事着陸ができた。 軽い別れの挨拶を交わし、のどか達と別れる。 ほっと一息。 「お疲れ、兄貴」 肩に乗っているカモの言葉に、ネギは苦笑を向ける。 カモはネギの肩に乗りなおすと、 「そういや、エヴァンジェリンは兄貴のテストに旦那を呼んだんだろーな」 そんなことを呟いた。 それはネギも疑問に思っていたことであった。 彼はどうして、あそこにいたのだろう。エヴァンジェリンは何故彼を呼んだのだろう。 わからない。 本当に、わからない。 わかるのは、彼が急に鍛錬を始めたと言う事。 ―――――今日も彼は、明日菜達と鍛錬をしたのだろうか。 そう思うと、どこか胸がもやもやとした。 「よかったわね、いいのが見つかって」 明日菜の言葉に、澤村はこくりと頷いた。 空は茜色に染まっていた。 この場に刹那と真名はいない。 真名が、刹那に付き合えと言って何処かへ連れて行ってしまったからだ。 たぶん真名の変な気まわしだろう。 「データも残っててよかったよ。意外に丈夫なんだな、携帯って」 電話番号とかも変わらずに済んだし、と言いながら箱から取り出した真新しい携帯を手にニカリと笑う澤村。 修学旅行で壊れてしまったので携帯を買いにいったのだ。これが当初の目的である。明日菜も何もすることがないからと付き合ってくれた。因みに彼女の携帯はネギの魔法のおかげで無事だったらしい。羨ましいかぎりである。 今は女子寮に向かって歩を進めている。 ……真名と刹那がいなくなって、デートのようなことをしたかと聞かれれば、答えはノーである。 そもそも明日菜が澤村をデートの相手として……男として見てくれていないし、澤村自身もそうは思っていなかったからだ。 明日菜に抱いた感情は、きっと女の子をあんなに近くで見たせいだ。 可愛いと思っただけで、別に好きとかそんな感情はない。 きっと真名の変な気まわしも、彼女の勘違い。というか絶対からかっているだけだ。 小さな溜息を漏らしつつも澤村は携帯をポケットへとつっこもうとしたが、 「あ、待って。アドレス交換しない?」 「え……」 明日菜の言葉に思わず声を漏らす。 呆けている澤村を余所に明日菜はスカートのポケットから携帯を取り出していた。 なんというか、素早い。 「ほら、鍛錬のこととかで知ってればいろいろ便利だろうし」 「あ……ああ! そうだね」 明日菜の言葉になんとか再起動する澤村の頭。 確かに知っていれば助かる。刹那は携帯をもっていなさそうだし、明日菜と澤村が連絡を取れるようにしとけばいろいろ便利だろう。 寮へと続く桜通りで足を止める。ゴールデンウィークで実家に戻っている生徒が多いのか、辺りには誰もいなかった。 澤村は、俺が送るよ、と明日菜のアドレスを打ち込んでいく。 「あ、きたきた」 カシカシと携帯を弄る明日菜の姿が実に女子校生らしい。 本当は普通の女子中学生なんだよな、なんて改めて確認させられた。 携帯をポケットにしまい、澤村が歩き始めるようと一歩を踏み出したと同時に――――――彼の視界が暗闇へと変わった。 「え」 声を出したと同時に、地面へと叩きつけられる。持っていた携帯の箱が音を立てて潰れる。 体の左半分に激痛が走った。 「澤村君!?」 明日菜の声を聞きながらも素早く立ち上がる。痛みなど気にしてはいられなかった。 「大丈夫?」 「大丈夫」 地面に叩きつけられた部分しか痛まない体に違和感を覚えた。 顔や胴体を殴られたり蹴られたりされたわけではない。 感じたのは、自分の頭を鷲掴みにされたような感覚。 なのに、それを仕掛けた人物が見当たらない。辺りを見回す。 「神楽坂さん、俺を襲った奴見えた?」 「見えたけど……何処に行ったかは―――――っ!?」 明日菜の言葉が止まる。彼女は澤村の胸を押すと、その身を跳び退いた。澤村の反動で尻餅をつく。 尻に痛みを感じながらも澤村は見た。 ―――――目の前を通り過ぎる黒い影が、自分を見たのを。 その時確かに、澤村は恐怖した。 全身の毛が逆立つ感覚を覚えたが、なんとか立ち上がる。 空気が変わっていた。 焦る心を落ち着かせて澤村は明日菜に礼を述べる。それに答える彼女の手には巨大なハリセン――――ハマノツルギがあった。 言葉を交わすことなく、二人は背中合わせに構えた。 澤村には武器がない。 とは言っても、刹那から無手の手ほどきは受けているとは言え、戦力になるとは思えなかった。 だが、一つだけわかっていることがある。 「――――さぁて、どうするかな」 余裕は既に削ぎ落とされている。 けれども澤村には弱音を吐く気など毛頭ない。あの時の自分に戻る気も。 背中に感じる温もりが、澤村を支えていた。 彼女にまた助けてもらうだけなんて、あってたまるものか。 前へ進むと決めたのだから。 恐怖に恐怖しないと決めたのだから。 「澤村君は下がってて。私が――――」 「――――いや、神楽坂さんが下がってた方がいい。俺が攻め込む」 明日菜の言葉を遮って澤村は一歩前へと出た。背中の温もりが消える。 どうしてっと明日菜の少し大きな声が澤村の耳へと届く。 振り返ると、彼女は自分と同じように振り返り、少し怒った表情でこちらを見ていた。 そこには澤村を心配している様子も覗える。きっと修学旅行で木乃香がさらわれた時に自分が呆気なく倒れてしまったせいで、あまり信用してくれていないのだろう。思わず苦笑しそうになったが澤村は自分ができる、一番真剣な表情で、 「大丈夫。きっとうまくいく……いや、させる」 と言って明日菜を硬い表情ながらも頷かせた。 「――――兄貴」 自室にいるネギの耳に届くカモの声色は、余裕のないものだった。 ネギは無言でカモに頷く。 「……何か、いるね」 近くに。それも大きな魔力保有している。 魔力の制御がうまくできないのかそれとも魔法を使っているのか、その膨大な魔力の気配はネギでもわかるものだった。 「……こりゃあ、結構大きいな。兄貴と同じ……いや、それ以上か」 でもこのか姉さんよりかはねぇな、と零すカモ。 それでもかなりのもの。 「呼んだかえ?」 キッチンで先ほど買ってきたと思われる今日の夕飯の材料を整理していた木乃香がひょっこりと顔を覗かせる。 そんな彼女の話では、ここにいない明日菜は澤村と刹那、そして何故か真名と一緒に遊びに行ったとかで。 それを聞いたとき、とても嫌な感覚に捕らわれたのだが……いや、今はそんなことを考えている場合ではない。 「このかさん。アスナさんはまだ帰ってこないんですか」 「んー? さっきもうすぐ帰るて、メールきたけど……」 そういえば遅いなぁ、なんて言う木乃香に、ネギはカモと示し合わす。 ――――もしかしたら。 「ちょっと僕、外に行って様子見てきます!!」 愛用している杖を壁からもぎ取るように掴み取り、外へと駆け出す。 木乃香の声は、既にネギには届かなかった。 張り詰めた空気が辺りを覆っていた。 明日菜はこの空気を知っている。 総本山が襲撃されたときと良く似ているのだ。 ちらりと明日菜は澤村を見た。修学旅行の時とは打って変わって余裕のある表情がネギと重なる。 いや、余裕のある表情とは違うかもしれない。ネギと今の澤村の表情は余裕があるものとは言えない。 あれは、自分が犠牲になってもかまわないと思っている顔だ。 生に執着しているが、怪我をするということには、何も負い目を感じていない表情。 またいつ怪我するかわからない少年と自分の背にいる少年の姿は酷く似ていて、重なってしまう。 修学旅行の時のように、命に関わるようなことはきっとこれからも何度も起きるだろう。 だから―――― ――――今度は守る。 ネギと澤村を重ね、そう決意しなおした。 明日菜はぐっとハマノツルギを握り締める。 それが、合図だった。 「―――――っ!」 気配は後ろ―――つまり澤村に向かっている。 自分の反射神経に従い、振り返りざまにハマノツルギを振ろうとしたが、澤村が前にいるためそれはできなかった。 ――――やはり自分が前にでるべきだった!! そう思って、奥歯を噛み締めようとした瞬間、 「攻撃!!」 しゃがみ込んだ澤村の喝が飛んだ。 頭で判断する前に、体が澤村の言葉に反応していた。 気付いた時には、ハマノツルギから伝わる、確かな手応え。そして黒い影が見えたかと思えば、それは一瞬にして消えた。 明日菜の攻撃に、敵が吹き飛んだのだ。 それが理解できたと同時に、黒い影を追う澤村の背中が視界に飛びこんでくる。 地面をバウンドしていく黒い影。体勢を立て直そうとしたが澤村が組み伏せることで、それはできなかった。 「お前、やっぱり俺目当てか」 黒い影に跨った澤村の言葉にえ、と明日菜は声を出す。 ハマノツルギを構えたまま、ゆっくりと近づく。 ようやく黒い影の容姿が把握できた。 黒いスニーカーに黒いズボン、黒いハイネックなのに半袖というちょっとかわったサマーセーターに黒い手袋。 そして―――――顔全体を覆う、真っ黒な仮面。 それを見た瞬間、明日菜は血の気が引いていくのがよくわかった。 その仮面は、なんの模様もない。凹凸もだ。 光沢のない黒い仮面。布とかではなく、何か固いものでできているようだった。もしかしたら鉄かもしれない。 目の部分はきちんと視界を損なわないように目に合わせて穴が開いてあったが、そこから覗くはずの瞳は黒いガラスで薄っすらとしか見えなかった。 気味が悪い。それをなんとか緩和しているのが人間らしい茶色い髪の毛だった。 そんな敵は身動き一つしない。 澤村が両手で両手でを固定し、腰より少し下に跨ることで足を押さえこんでいるとはいえ、全くの抵抗を示さなかった。 ただじっと、澤村を見つめているように思える。 「なんで俺を狙う」 澤村が問う。 敵は答えない。 「なんで俺を狙う」 澤村が問う。 敵は答えない。 「なんで俺を狙う」 澤村が問う。 敵は答えない。 「なんで……俺を狙う」 澤村が問う。 敵は答えない。 「なんでっ……俺を狙う」 澤村が問う。 敵は答えない。 「なんで俺を狙うんだよっ!!」 敵の両腕を押さえこんでいた澤村の手が、敵の胸座へと伸びた。 荒々しい音を立てて、敵の上半身が起きあがる。 「なんでだよ!! なんで狙うんだよ!?」 澤村の様子は明らかにおかしかった。 眉間寄る深い皺。 見開いた目。 恐怖する瞳。 引き攣る頬。 ガチガチと鳴る歯。 横に広がった口。 明日菜は――――― 「なんで俺を狙う!? 答えろよ!!」 ―――――その“狂気”に歪んだ顔を、怖いと思ってしまった。 |