ネギ補佐生徒 第50話





「後は引き受けてやるって言ってたじゃないか」

 澤村は苦笑を漏らしてエヴァンジェリンに言う。
 其処には木乃香や刹那、楓たちも含めさっきまでいたメンバー全員がいた。
 自分達が戻るまでに寮へ帰してくれていると思っていたのだが、彼女達は予想以上に頑固だったのだろう。

「文句ならこいつらに言え」

 エヴァンジェリンは顎で彼女達を指すが、澤村はそれを見ることはできなかった。
 正直、どんな顔をしていればいいのか、わからない。
 こんな経験、最初で最後なわけだかそんな知識あるはずもなかった。
 澤村はできるだけ木乃香達と目を合わせないように……いや、視界に入れないようにしてエヴァンジェリンを咎めるような目で見た。
 けれど彼女は鼻を鳴らすだけで、答えることすらしてこない。
 それに文句……というわけでもないのだが、木乃香達を寮に帰すよう頼もうと口を開くが、

「闇の福音、手伝ってくれるのなら封印手順の説明するから、あっちで座って話さないか。そこのオコジョ妖精も手伝ってくれ」

 サワムラの言葉でそれは阻まれてしまう。
 彼女も彼女で、澤村を一瞥するとそうだなと頷いて歩き始めてしまった。

「茶々丸、行くぞ」

 しかも従者である茶々丸を引き連れて。カモも澤村の頭から飛び降りるとその彼女達の後を追って行ってしまった。
 観客席へと歩いていく二人の背中を見詰めていると、サワムラがぼそりと呟く。

「殺人なんかしてる奴だから、もっとすれてるか冷酷な奴だと思ってたんだが……案外人間味のある奴だな」

 そんなことはどうでもいい。
 それよりも何故一々時間を稼ぐようなことをするのだ。
 澤村はサワムラを睨むが、彼は気にする素振りすらみせない。

「ちょっとま――――」

 抗議を言葉を投げかけようとしたものの、肩に手を置かれて黙りこくる。
 自分を見詰めるサワムラの顔が、苦々しいものだったからだ。

「最期なんだぞ?」

 ああ、そうだ。
 確かに最期だ。最後じゃない。本当に最期なんだ。
 けどなんて言えばいい?
 亜子に言う「またな」とはわけが違う。
 彼女は何も知らない。
 自分に両親がいないことも、魔法のことも、こういった世界自体、何も知らないはずなのだ。
 ましてや、自分が消える存在だなんて、彼女が知るはずもない。

 ……だが、木乃香達は違う。

 両親のことはわからないが、魔法のことも、こっちの世界も……ほとんどを知っている。
 事情全てを知っている。 
 そんな彼女達にどんな顔をして向き合えと言うのだ。

「ここに居たのはオレじゃなくてお前だ。ここではお前が本物の澤村翔騎だったんだから、それを威張って見せろよ。ちゃんとしゃべれる口も心も持ってるだろ」

 其れだけ言って、肩から手を離し本を澤村から奪うと、サワムラはエヴァンジェリンが待つ場所へと歩み去ってしまった。
 澤村は憮然とした表情で視線を横にずらす。

 其処には、じっとこちらを見ているクラスメイト達の顔が並んでいた。





  ネギ補佐生徒 第50話 澤村翔騎





 できることなら、彼を止めたい。
 桜咲刹那はそう思っていた。
 けれど、どうしてもそれはできない。
 彼を引きとめたところで、澤村翔騎という人物は消えてしまうだけ。

 嘘だと言って、真実から逃げても結局また真実の壁が前に現れるだけだった。

 澤村の背中越しに、ネギと明日菜の姿が見える。
 2人とも顔を伏せていて表情はわからない。ただ、この気持ちは自分と一緒なのだろうと刹那は思った。
 目を合わさないようにしながらも、澤村が刹那達に歩み寄る。

「澤村殿」

 ずい、と長瀬楓が澤村の前へ出てきた。彼は、少しだけ目を丸くさせると、すぐに表情を戻して彼女に苦笑を向ける。

「あまり話す事ができなくて、残念だったでござる。でも澤村殿の信念が見れてよかった。学ばせてもらったでござるよ」

 楓らしい言葉だった。
 澤村も一度は眉間に皺を寄せたものの意味がわかったらしく、微笑を浮かべて答える。

「……ありがとう」

 彼の言葉を聞き、楓は大きく一度頷くとそのまま刹那達の後ろへと退いていってしまう。
 彼女の別れはこれで終わりらしい。
 しかしこの後に誰も続こうとしなかった。
 そのためなのか、それとも楓と話して気持ちがほぐれたのかはわからないが、澤村の方から刹那達に語り掛けてくる。

「その……なんと言うか、お世話になりました。いろいろ、さ……迷惑かけたりして、手伝ってとか言ったくせに邪魔者扱いみたいにしちゃってさ……」

 しどろもどろだった。
 それでも一生懸命、彼は自分達に伝え様としてくれている。

 あの時と同じだった。

 自分は烏族と人間のハーフ。それなのに怖くないのかと刹那が彼に聞いた時と同じ。
 綺麗な言葉なんて選ぶこともせず、素直にまっすぐ気持ちを伝えようとしている。

 それが嬉しい反面、悲しくてしょうがない。

「でも、気持ちは嬉しかった。あー、あとは、えっと……」

 自分の額を拳でごつごつと押しながら考え込む澤村。
 少しだけその動作をしたあと、あ、と声を上げて刹那達を見た。
 やっと目が合う。
 群青の瞳に刹那達がしっかりと映っていた。

「俺の部屋にも机があるんだけど……其処にあるものを見て欲しい」

 この後、すぐに。

 そう言ってくる澤村に、皆が戸惑いの表情を浮かべていた。
 刹那自身もどういうことだろうと思ったが、今はきちんと頷いて彼を安心させようと思う。
 頷いて見せると、澤村はありがとうと頷いてくれた。
 そして、歯を見せながら苦笑して、

「俺、もう行くから……それじゃ」

 くるりと踵を返して歩き始めた。

 何か、言わないと。

 このままお別れなんて、あってはいけない。
 そう思い、刹那は足を踏み出した。
 だが、其れよりも早く駆け出す人物がいた。

「―――――翔騎君っ!」

 近衛木乃香。
 刹那がこの身に代えても守ると決めた、大切な人。





 大きな背中に近衛木乃香は地を蹴り駆け寄る。
 戸惑いの声をあげる澤村の首元に顔を押し当てながら、木乃香は縋った。
 くしゃりと、澤村の服に皺ができる。肩には染みができていた。気付かないうちに泣いていたのだろう。

「ウチ……ウチなっ……!!」

 自分より先を歩んでいた彼の後に続こうと思っていた。
 けれど、そんな彼はもうすぐいなくなる。
 道を照れしてくれる灯りがなくなってしまう。
 それでも木乃香は前に進まなくてはいけない。魔法使いになることを決めた以上、後戻りなんてしたくなかった。

「絶対、魔法使いになるっ。なんでも治せる、魔法使いになるなっ……!」

 うん、と澤村のはっきりした声が聞こえてきた。
 振り返ることはしてくれない。ただ声が聞こえるだけ。

「―――――頑張って。応援する」

 その言葉を聞こえたと思ったら、木乃香の前から大きな背が離れて行く。掴んでいた手も離してしまった。
 何かを抑えた、震える声。
 木乃香は、改めて思う。

 ―――――もう会うことはできないのだ。

「忘れへんからっ……!!」

 そう零しながらも膝ががくりと折れた。
 嗚咽が止まらない。
 涙も止まらない。
 もっと言いたことがあるのに、嗚咽が邪魔をする。

 ありがとう。

 そんな言葉を何度も木乃香は心の中で叫んだ。
 離れて行く背にできるだけ感謝の言葉が伝わるように、と。
 けれどそれも駆け寄ってくれた刹那が、肩を優しく抱いてくれることで忘れてしまった。
 その温かさがとても恋しくて、彼女の首に腕を回して泣きつく。何故こんなにも涙が出るのかわからなかった。
 溢れ出る感情と涙に全てを任せる。もう何も考えられなかった。もう何も見れなかった。
 腕に更に力をこめる。
 刹那も含めた和美達の声が、自分の嗚咽と混じって聞こえてきていた。





 振り返ることはできなかった。
 この黒い感情を抑えつけるのに、気を張らせているせいだろう。

 心が限界にきていた。

 なんで。
 なんで俺が封印されなくてはいけない?
 封印されなくてはいけないのは、アイツじゃないのか!?

 違う。
 これでいいんだ。
 身体が偽者ならば、封印されるべきなのだ。アイツじゃない。俺なんだ。

 必死に言い聞かせる。

 黒い感情は、澤村の心を確実に飲み込んでいた。
 縋る木乃香に苛立ちを一瞬だけだが感じてしまった。
 それすらも今は苛立ちにしか感じない。

 アイツを殺して本物になれ。そうしたら全てが終わる。

 本能が言ってくる。

 ―――――このまま、欲望に流されてしまおうか。

「澤村さん!」

 揺れる心に、声が響く。
 足を止めることはしない。別にカッコつけたいとかではない。今止めたら黒い感情が押し寄せてきそうだっただけだ。

「忘れませんから、あなたのこと!」

 刹那の声。少しだけ、震えているように聞こえた。
 木乃香も泣いていたようだし、彼女も泣いているのかもしれない。
 でも、振り返ることはできない。泣いているのなら何か言葉をかけたいけど、それもできない。
 足も止めない。
 今止めたら、引き返したくなる。
 黒い感情とか関係なく、戻りたくなってしまう。

「そうそう! 修学旅行の時の写真、ちゃんと持っとくからさっ。嫌だって言われても、サワムンのことは忘れないからっ!!」

 ああ、そんな写真も取ったっけ、と微笑が漏れる。写真は希望制だったために、結局貰っておらずすっかり忘れてしまっていた。
 自分の姿が写真に残っているのは嬉しいことだが、それでも振り返ることはできない。
 写真を取ってくれた和美に感謝しつつ、ゆっくりとだが歩を進める。
 彼女のおちゃらけた声も震えているような気がするが、気のせいだろう。

「あー、えと……一緒に修行できて、楽しかたアルヨっ! 私も忘れないアル!」

 古菲らしい言葉。
 楽しい、と言っていいのかはわからないが、サッカーの練習をしているときのような充実感はあったかもしれない。
 走馬灯とはこのことか、今までのことが少しずつだが思い返されていた。

「あまり時間を共にすることはありませんでしが、あなたのことは忘れませんですっ!!」

 そこまで交友が深くない夕映にまでそう言われるのが、なんだかくすぐったい。
 もうすぐネギと明日菜の傍につく。相変わらず2人は、顔を伏せたままだった。
 そのまま歩き続ける。

「……その、私も忘れませんから! ずっと、ずっと忘れません、澤村さんのことっ!!」

 男性が苦手であるのどかにまでそう言われてしまう。
 男子中等部や部活の友達達もこうやって言ってくれたのだろうか。

 6年間。

 幸せだったと思う。
 サッカーがあって、友達が居て、楽しく暮らせて―――――悔いはない。
 黒い感情は、彼女達のおかげかなんとか抑えられそうだった。

 ならば、もう少しだけやるべきこと……やりたいことがある。

 ネギと明日菜の前に立つ。

「ネギ先生」

 澤村の一声にネギは身体を震わせたが、顔を上げることは無い。
 今は時間が無いのでそのまま無視して澤村は口を開く。

「あなたに言いたいことがあります。俺は―――――」

 大きく息を吸い込んで、
 口を大きく開いて、
 はっきりとした声で、

「―――――あなたの事が、大嫌いです」

 宣言する。
 顔を上げたネギの顔は、結構酷いものだった。
 目が赤く腫れぼったく涙でぼろぼろと零れていて、鼻からは鼻水が少し垂れていた。
 子供らしい泣き方と言ってもいいかもしれない。
 ひっく、と嗚咽を漏らすネギに、澤村は小さく苦笑を向けるだけすぐに視線を横へずらす。

「明日菜さん」

 やはりこちらも顔を上げてくれなかった。

 彼女には、感謝することが多い。

 彼女の心の強さは、澤村にとって憧れだった。
 強くて美しいその心に惹かれずにはいられない。
 好きで好きでしょうがない。

 でもそれは、絶対と言いきれる―――――叶わぬ恋だった。

 ただの憧れかもしれない。錯覚なのかもしれない。勘違いなのかもしれない。
 それでも澤村翔騎が好きだと認識したのは確かなこと。

 ――――――そう、6年間だけ生きた澤村翔騎が、神楽坂明日菜という女の子を好きだと思ったことに嘘偽りはない。

 できることなら、彼女のこの腕の中に閉じ込めたかった。

 けれど、それをやる資格は自分にはない。
 彼女のことを思うのならば――――――この想いは、胸に秘めて置くべきじゃないだろうか。
 色恋なんて彼女相手が初めてだから、澤村にはそこのところが詳しくわからない。
 ただ、もし自分なら知らないほうがいいのではないかな、と思ったのだ。

「お願いがあるんだけど」

 神楽坂明日菜は強いが故に優しい。
 澤村にそう言われ、彼女は顔をゆっくりとだが上げてくれた。
 こちらもまたネギと同様にひどい顔をしていた。あえてあ気にしないこととしよう。こういう時の女の子の顔はあまりじろじろ見るものじゃないだろう。
 服でごしごしと涙を拭って、しっかりと明日菜は澤村を見てくれた。

「何」

 鼻声で不機嫌そうだったけれど、それは確かに明日菜の声。
 自分のことで泣いてくれているんだなと思うと、嬉しさは隠せそうになかった。
 澤村は微笑を浮かべて右手を差し出す。

「―――――握手、してもらえないかな」

 たぶんこれが、澤村翔騎が頼んでいい最大限のモノだと思う。
 この想いも一緒に封印させてしまおう。
 それに、初恋が最期の恋でもあるのにそれを秘めておくなんて、ロマンがあるではないか。

 明日菜は少しだけ呆けてこちらを見ていたが、こくりと頷いて手を差し出してくれた。

 ゆっくりと、
 しっかりと、

 澤村は明日菜の手を握った。

 自分より薄い手。
 けれど、その手の平に感じるごつごつとした感触は、彼女の強さだった。
 このままこの手を引いて抱きすくめたいのを堪えて、澤村はもう一度ぎゅっと手に力をこめる。
 少し痛かったのだろう、明日菜は一瞬顔を顰めたが何も言わないでくれた。

「ありがとう。それと―――――――頑張って。明日菜さんなら、きっと気持ちを伝えられるはずだから」

 そう言って、ゆっくりと手を離す。
 全て、伝わらなくていい。
 せめて今言った言葉の半分でも伝われば、もう何も望まない。

 後はもう、サワムラ達の元へ行くだけだった。

 明日菜の横を通りすぎて、歩を早める。
 サワムラ達が魔方陣を書いて待っていた。

「澤村さ――――」
「―――――翔騎君っ!!」

 ネギの声を覆う様に、明日菜の大きな声が澤村の耳に届き……思わず振り返った。
 この感情をなんて呼べばいいのだろう。

 嬉しさと悲しさが溢れるような―――――
 全てを投げ出して手に入れたくなるような―――――

 ――――――そんな愛しさと切なさをなんと言っていいのか、澤村には……わからなかった。





 ネギの視界に映るのは、澤村を見る明日菜泣き顔だった。
 彼女の視線を追って、ネギは澤村を見る。

 ―――――彼の顔を見た瞬間、ネギは声を出すことを忘れた。

 自分も何か言おうかと思ったが彼の顔を見たら、自分は口を挟んではいけないのだと漠然と思った。

 よくはわからない。
 どうしてそう思ったのか、正直わからない。

 ただ、澤村の顔がとても複雑な表情をしていたから。

 嬉しいとか、
 悲しいとか、
 幸せとか、
 辛いとか、

 たくさんの感情を持った血で少し汚れた顔は、ネギではなく明日菜に向けられていたから。

「私も忘れないからっ……絶対、絶対に忘れないからァっ!!」

 被りを振って、
 涙を散らして、

 明日菜は叫ぶ。

「忘れないからっ! 全部、忘れたりなんかしないからっ!!」

 金切り声になっても、
 声が裏返っても、

 明日菜は叫ぶ。

「あり、がとっ……ありがとうっ!!」

 何故彼女は、こんなにも泣き叫んでいるのだろう。
 自分が知らない間に2人は何かあったのだろうか。
 澤村は、大きく息を吸い込むとく、と息を止めた様子を見せて踵を返しそのまま歩き始めた。
 木乃香と同じように、明日菜も泣き崩れてしまう。
 ネギはしゃがみこんで彼女の背を撫でながら、澤村の背をしっかりと見た。

 忘れるわけにはいかない。

 彼もまた、自分と同じ道を歩み……別のところへ向かう魔法使いだから。
 この出来事も、きっと忘れない。
 忘れてはいけない。

 自分の道と目標をしっかりとその胸に抱き続けるために、この出来事は決して忘れてはいけないものだから。

 たぶんそれが、ネギ・スプリングフィールドができる澤村翔騎への感謝だ。





 澤村翔騎が自分に感謝することなどないだろう。
 近付いてくる彼を見ながらエヴァンジェリンは思う。

 それが、澤村翔騎なりのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルへの優しさでもある。

 ならばこちらも、それなりのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルなりの澤村翔騎への優しさを見せようではないか。
 澤村がサワムラの前へとやってくる。
 サワムラが申し訳なさそうに澤村から目を逸らしたが、エヴァンジェリンは見なかったことにする。

「……俺は、何をすればいい」

 声が震えているのも聞こえなかったふりをする。

「魔方陣の……中央に立ってくれ」

 ふるふると揺れる指先で、サワムラは魔方陣を指す。
 澤村はしっかりと頷いて魔方陣の真中へと立った。
 自分の横を通りすぎるときに見た顔も、見ないふり。知らないフリをする。無視をする。

「エヴァンジェリン、お願いがある」

 呼び捨てにするな、と一言戯れて、エヴァンジェリンは澤村を睨みつけた。
 おかしな顔が更におかしくなったが、気にしない。

「じいちゃん―――――学園長に伝言」

 その伝言は、別れの言葉にしては随分と短いものだった。
 けれど、らしいと言えばらしい。
 それに覚えやすいし伝えやすい。

「覚えていたら伝えてやる」

 それともう一つ、と澤村は苦笑を漏らして人差し指を立てた。

「……ちょっと、限界だ。明日菜さん、達に……見えない、ように……して欲しい」

 途切れ途切れの言葉も気にしない。
 限界なのは理性ではなく別のことかもしれないが、全て無視する

「なら、俺っちの出番だな」

 マグネシウムとジッポを持ったオコジョ妖精・アルベール・カモミールがフフンと胸を張っていた。
 そういえばネギと戦っている時、彼にこれを受けてまんまと明日菜の蹴りを受けてしまったのを覚えている。
 何故持っているのか聞いたが、一応持ってきたとのこと。まぁ、こういう小細工やら知恵が回るからこそネギの助言者なんてできるのだろう。

「よし、ならオレが底上げしよう。きっかけがあるなら、持続は可能のはずだ。まぁ、数分くらいだろうけど」

 棒でポンと手を一叩きして、サワムラが申し出る。少し無理して明るめの声を出しているように思えた。
 エヴァンジェリンは魔法を今は使えない。彼が最適だろう。茶々丸もそういった機能はついていないから丁度よかった。

「……旦那、良い旅を」

 ぼそりとカモは呟くと、金属音を鳴らしてマグネシウムに火を灯す。
 視界が白く染まるが、エヴァンジェリンの後ろでやっているため視界の邪魔にはならなかった。
 サワムラの呪文詠唱が聞こえる中、エヴァンジェリンは高らかに声を上げる。
 エヴァンジェリンは、手にしていた本を開いた。

 受け取るがいい。これが――――――

「澤村翔騎。苦痛と絶望に飲まれ『共歩き』らしい最期を向かえるがいい!!」

 ――――――エヴァンジェリン吸血鬼なりの優しさだ。





 あの高らかな言葉は、エヴァンジェリンなりの優しさだろう。
 視界が白に染め上げられるのを感じながら澤村はそんなことを思う。
 たぶん、自分の顔はぐしゃぐしゃになっているはずだ。視界が白く染められてから、流れる涙の量が多くなったのを頬で感じていたから。

「―――――夢の妖精」

 サワムラの声で呪文詠唱が唱えられる。

「力現す結界となり、縛鎖となりて」

 唱えられる度に強くなる痛み。

「うつろう物質、陽炎となり失せる」

 死の痛みだった。
 全てが襲ってくる。

 感情。
 欲望。
 痛み。

 全てが入り混じって、澤村を襲ってきた。

「う、あ――――――」

 膝が折れて、地に両手をついた。

「魔力の奔流、触媒を力とする」

 心が、別れる。

「ぐっ……」

 澤村ではなく、サワムラが発するさわむらしょうきの声。

 残っている彼の作られた心も呪文に反応しているのだろう。
 澤村もそれは同じだった。

 心臓を引っ張りだされるような感覚が襲っていた。

 もうすぐ、封印されると実感が湧いてくる。
 後悔なんてない。
 覚悟もできている。
 皆、自分のことを覚えていてくれる。

 けど、けど―――――!!

「ぐ、ああ……っ!」

 死が怖くないはずがない。

 自分の存在が、偽者であることに―――――悲しみを感じないはずがない!!

 まだやることは、たくさんあるんだ。

 確かにこの決断に後悔はないけれど、それでもやるべきことはたくさんある。

 痛いのは嫌だ。
 苦しい。
 助けて。

「ああ、ああぁぁぁぁあああっぁぁああああ―――――――!!」

 熱い。痛い。
 痛みが熱さを呼び起こす。
 熱さが痛みを呼び起こす。

 両手で胸を掻き毟る。
 痛い。痛い、痛いっ痛いいたいいたいイタイイタイ――――!!

 涙と涎と鼻水がぼろぼろと零れ出てきた。
 何か声が聞こえてくるがそれを理解することもできず、鬱陶しいとしか思えなかった。

「ぁああああ、ぐ、あああぁあああああ―――――!!!」

 苦しい。悲しい。
 それでも発していけない一言。
 言葉は口に出すな。
 声だけ。
 発することを赦されるのは、言葉にならぬ声のみ。

「土は……土にっ! 塵は、塵に!」

 早く封印してくれ。
 早く楽にしてくれ。

 そうじゃないと、全てを台無しにしてしまう。

 全てを持っていくのだ。この黒い感情も含めて全て持っていくのだ。
 拷問のような苦痛の中、
 混濁する意識の中、

 ――――――澤村は『さわむらしょうきの心』で思う。

 死んだって口にするものか。
 この言葉ごと、澤村翔騎……いや、サワムラ・ショウキは消えて無くなる。
 これは、最期の意地だ。
 そして、澤村翔騎のちっぽけな誇りである。


「――――――汝、在るべき姿へっ……還れぇえーーーーーーーっ!!」


 ――――――――― 生 き た い 。


 口には出さないと誓った言葉を思い浮かべた時……全てから解放され、なんとも言えぬ心地よさの中――――――皆の声に紛れる、愛しい人の声が耳に届く。


そ れ が 、 サ ワ ム ラ ・ シ ョ ウ キ の 最 後 の 記 憶 。







 学園長室には、部屋の主である近衛近右衛門と高畑・T・タカミチ、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル……そして、サワムラ・ショウキ――――――ではなく、澤村翔騎がいた。時刻は深夜。澤村は少し眠そうだった。
 『Co-Walker and Coexistence』の一件の報告だった。
 居心地悪そうにしている澤村を余所に、エヴァンジェリンは昨夜起きたことの全てを説明する。

「―――――以上だ」

 エヴァンジェリンが全てを言い終えた時、椅子に座っている近右衛門とエヴァンジェリンの横に立っている高畑の顔は驚きの一言でしか現せない表情をしていた。
 近右衛門は、ふむ、とひとつ頷いて見せると冷静な声で言った。

「つまり……今わしらの目の前にいる彼が本物の澤村翔騎君なのじゃな」

 はい、とエヴァンジェリンではなく、澤村が答える。

「この度は、自分勝手な行動を含め……村の壊滅させた魔物との協定等、数々の魔法界の規則を破ったこと―――――申し訳ありませんでした」

 澤村翔騎は、どちらのさわむらしょうきではない、澤村翔騎に変わった。
 澤村自身に自覚はないものの、確かに彼は変わったのだ。
 いや、戻ったと言ってもいいかもしれない。
 いろいろと記憶の混乱があるが、それでももう普通の心を持った人間であるのは確かだった。
 擬物の心はなくなったのだ。

「いや、その件に関してはわしらにも非がある……」

 責任は澤村だけではない。
 魔法界にもある。
 どちらの方が責任が大きいという話ではない。
 極めてデリケートな問題。
 これは後々処分が決まることだ。
 今は置いておこう。

「これからどうするんだい?」

 高畑がエヴァンジェリン越しに澤村に問う。これからとは、今日のことではない。
 澤村翔騎のこれからのことだ。
 選択肢は二つあった。

 麻帆良に留まるか、魔法学校に戻るか。

「―――――ここに住んでいたのは、俺ではありませんから」

 自分の呼び方すらも、少しだけ変わっていた。
 消えてしまったサワムラ・ショウキのような呼び方。
 けれど、澤村はここに留まることを拒んだ。

 少しの間だけ、沈黙が訪れた。

「そう、か……なら、こちらから魔法学校の方に連絡を入れておこう」
「お願いします」

 少しだけ堅い声で近右衛門は呟いたが、澤村は気に留めずに答える。
 すると、ああ、と思い出したような声をエヴァンジェリンが発した。

「そうだ、じじぃ。サワムラ・ショウキから伝言を預かっている」

 長い眉から鋭い眼光が除いた。
 エヴァンジェリンがニマリと口を歪める。

「1回しか言わないからな」

 す、と一度だけ息を吸うと、少しだけ音量を上げて彼女は言った。

「『――――――お世話になりました。6年間、楽しかったです』」

 それだけ言うと、エヴァンジェリンは澤村の腕を掴み、

「こいつはうちに泊める」
「お、おい、闇の福音どういうつもりだ、俺は――――」
「――――いいから行くぞ」

 半ば引きずるような形で学園長室から出ていった。
 扉が開いてまた閉まる。

 高畑が口を開こうとしたが小さく苦笑を浮かべて、学園長室を後にした。

 取り残されたのは、肘を机に突いて片手で目を覆う学園長の姿だけが残っていた。



 

 サワムラ・ショウキの遺言通り、ネギ・スプリングフィールド達は彼の部屋に訪れていた。
 皆、見るからに疲れていたけれど眠いと口にする者は誰一人いない。
 気になっていたのだ。
 彼が残した言葉をすぐにでも確かめたい。
 ただそれだけのことだ。

「机の上に置いてあるものと言っていましたけど……」

 木乃香の方を抱く刹那の声が、若干暗めだった。
 表情も暗い。……目元も少し赤かった。
 明日菜と木乃香は、あれから一言も口にしていない。
 口から出るのは、嗚咽だけ。
 木乃香は少しわからなくも無かったが、明日菜が泣いていることには意外だった。
 ネギの中の明日菜は、強くて、優しくて、綺麗で―――――泣いている顔なんて、1回くらいしかない。

 その1回よりも、彼女の泣き方は酷かった。

 あまり見ていられない。

 初めてネギは知った。彼女は強い分、折れた時には弱いのだと。
 守らないといけない、と漠然とだが思った。
 だからネギの目に涙はない。目元が赤いのはどうしようもなかったが、それでも毅然とした表情……教師の顔でいた。

 部屋は家具が少ないものの、澤村の部屋はきちんとした部屋だった。
 誰かが住んでいるとわかる部屋。
 それが今のネギ達にとっては酷なものだった。
 こんなに存在感のあるというのに、部屋の主は――――もういないのだ。
 サワムラが言っていたものはすぐに見つかった。

 皆へ、と男らしい字で書かれている4つ折りのルーズリーフ。

 皆が顔を見合わせた。

「誰が開ける?」

 和美が問う。
 皆が目元の赤い顔を見合わせる。目元が赤くないのは楓くらいのものだった。
 ネギも明日菜の背中を擦りながら黙っていた。

 皆、見るのが怖かったのだ。

 何が書いてあるのか。
 彼は偽者だと本能的にわかっているようなところがあった。

 ―――――ならもし、『生きたい』という文字が書かれていたら?

 書かれていない、とは言いきれない。

「私が……私が見ます」

 堅いのどかの声。
 一人が言い出したら、今度は逆だった。

「私が見るアルネ」
「いや、私が見るです」

 古菲、夕映がそう名乗り出る。
 質問をだした和美すらも言い出す。
 楓はそれを黙って見ていた。
 刹那も木乃香の肩を抱いたまま事の成り行きを見ている。
 明日菜と木乃香は、泣くばかりでそれどころではない。
 ネギも明日菜の背を擦りながら私が、と言い出した4人がまた静まってしまうのを見届ける。

 皆、やはり怖いのだ。

 なら、この役割はきっと自分だろう。

 彼の担任として、見る必要がある。

「―――――僕が見ます」

 視線が集まる。
 明日菜も木乃香も自分を見ていた。

 机の上にポツンと置かれているルーズリーフを手に取り、少し震える手で開いた。
 
 其処に書かれている文字はすぐに読み終えることができた。

「ネギ、先生……?」

 のどかが遠慮気味に声をかける。
 ネギは、黙ったままルーズリーフを翻し、皆に見えるようにした。
 皆……いや、明日菜と木乃香を除いた者たちがそれを見た。

「らしい、でござるな」

 楓が零す。

 そう。

 本当に彼らしいと思う。
 不器用さが、よく出ていた。

「ネギ先生、それいいですか?」

 刹那にそう問われ、ネギは素直に彼女にルーズリーフを手渡した。
 何をするかと思えば、それを木乃香の前に出したのだ。

「お嬢様……澤村さんの残した手紙です。お辛いでしょうけれど、読んであげてください」

 澤村さんのために、と。
 泣きっ面のまま、木乃香は刹那に肩を抱かれて文面を読む。

「しょう、き……くん……っ!」

 また嗚咽が酷くなる。その場にしゃがみこんで両手で顔を覆ってしまう。
 刹那はしゃがみこんでそんな木乃香を抱きすくめた。
 彼女の頭を何度も撫でて、宥めようとしている。

「アスナさん、あなたも読んであげてください」

 刹那は木乃香を片手で抱き締めたまま明日菜の方にルーズリーフを差し出す。
 明日菜は首を左右に振るばかりか、ルーズリーフから目を逸らしてしまう。

「アスナさん」

 刹那の手からルーズリーフを奪い、もう一度彼女の前へとネギは持っていく。
 明日菜はまだ首を左右に振っていた。

「澤村さんのためです」

 たぶん、また同じ気持ちになるのが嫌なのだろう。
 澤村がいなくなったという事実を見るのが嫌なのだろう。

 けど、それでもこれは読んで欲しい。

 澤村翔騎の不器用な想いをきちんと受けとめて欲しい。
 それでも答えない彼女にネギは、小さく溜息を漏らすとルーズリーフを自分の方に向けて息を吸い込んだ。

「『自分が本物なのか偽者なのか、わかりません。だけどここを離れることは、かわりないので言えなさそうな言葉をここに書いて―――――」
「―――――止めて。自分で読むから」

 鼻声だったが、はっきりとそう言われた。
 彼女の性格上、人に手をやかせるなら自分で済ますタイプだ。
 微笑んで彼女にルーズリーフを手渡す。

 ルーズリーフの文面の追う彼女の目はすぐに止まる。
 そこまで長くはないのだ。

「……書くこと、いっぱいあったくせにっ……なんで……」

 ぐしゃり、とルーズリーフが握られる。
 木乃香と同じようにその場に座り込んでルーズリーフを持った両手を額に押し付けて、明日菜はまだ乾いていなかった瞳から涙を流す。

「なんで……! なんでっ、こんなぁ……っ」

 力なく下ろされる明日菜の両手から、皺くちゃになったルーズリーフが零れ落ちる。

 ルーズリーフを変えなかったのは、彼なりの当て付けだったのかもしれない。
 何度も何度も書き直された跡のあるルーズリーフには、こう書かれていた。


自分が本物なのか偽者なのか、わかりません。
だけどここを離れることは、かわりないので言えなさそうな言葉をここに書いておきます。

ごめん。
ありがとう。
さようなら。

PS.キザっぽくなってしまったけれど、許して下さい。



 本当に彼らしい。
 思わず苦笑が漏れてしまうほど、彼らしい手紙。

 彼のことは、絶対に忘れない。

 そして、彼の残した言葉と、想いと、手紙に改めて誓おうと思う。

 ―――――――ネギ・スプリングフィールドは、偉大なる魔法使いになることを。

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