プロローグ1:ウェールズ1997 投稿者:物書き未満 投稿日:04/08-05:34 No.92
人は何かの犠牲無しに、何も得る事は出来ない。
何かを得る為には、同等の代価を必要とする。
それが、錬金術における『等価交換』の原則である。
ある少年の話をしよう。
『神』の領域に挑み、地に堕とされた咎人の話を。
絶望の縁から這い上がり、ヒカリを求めて進み続けた身の程知らずの軌跡を。
『鋼』の二つ名を背負い『子供』である事をやめた、錬金術師の末路を。
鋼の錬金先生
プロローグ1:ウェールズ1997
絢爛な装飾の施されたオペラハウス。
無人のダンスホールに佇む、一人の少年がいた。
髪は金、年の頃は15,6歳程。
両腕と胸、額に何かの紋様が描かれたその少年は、床に大きく描かれた七つの角を持つ大きな紋章の中央に立ち、顔を伏せ、瞑想するようにその双眸を閉じている。
「………親父の言った事が確かなら、」
少年の口から淡々と紡がれる小さな呟きは、静寂な虚空に消える事無く響き渡る。
「今ならアルの肉体も魂も、『門』の内側に在る。」
四年前、『門』の中に肉体を持っていかれた弟
鋼の鎧に魂を宿し、元の身体を取り戻す為に共に旅を続けてきた弟。
死んだ自分を蘇らせ、代わりに消えてしまった弟。
今ならまだ、間に合うかもしれない。
「命の代価は他に無い。俺の総てを捧げても、無駄かもしれない。でも……。」
少年が顔を上げ、その金の瞳に光が反射し淡く輝く。
それはまるで、灯が点されたかのように。
「……でも、お前が消えちまう事なんてないんだ。戻って来い、アル……。」
少年は胸の前で両掌を打ち鳴らした。
パン、と乾いた音が周囲に響く。
少年は何かを抱くように、胸の紋様に両掌を当てた。
刹那、少年の胸の、額の、両腕の紋様が、そして床の紋章が蒼い光を放ち、周囲の風景を呑み込んでいく。
床が白い闇に消える。柱が白い闇に溶ける。観客席が白い闇に呑まれる。天井が白い闇に沈む。
白一色に染まるセカイの中心で、漆黒の『門』が少年の眼前に顕現した。
徐々に開かれていく扉の内側で、無数の『眼』が闇の中を無気味に蠢く。
何時の間にか少年の口元は、歪な笑みを形作っていた。
それは果たして恐怖からか、狂気からか。
「足だろうが、両腕だろうが、心臓だろうが、……くれてやる!」
無数の『眼』を敢然と睨み返し、少年は闇へと一歩近付いた。
闇は無数の触手へと変わり、少年の身体に絡み付いていく。
「その代わり! アルは返して貰うぞ!!」
怒号と共に少年は自ら『門』の中へと身を投げ出し、扉は轟音と共に再び閉ざされた。
大陸暦1914年。
『等価交換』の原則を信じて走り続けた少年は、『世界』から消えた。
□■□■□
舞台は変わる。
西暦1997年、ウェールズ。
雪の降る夜、魔法使いを目指す幼い少年は、一人の男と対峙していた。
少年の住む魔法使い達の隠れ里が悪魔の大群に襲われた時、この目の前の男は圧倒的な強さで悪魔達を薙ぎ払った。
そして警戒し震えながら杖を握り締める少年の頭をくしゃりと撫で、男は手の中の大きな杖を少年に差し出した。
男の顔は、フードに隠れ分からない。
だが少年は確信した。この男は自分の父だ、と。
言いたい事は山程ある。だが感情が先走り、言葉にならない。
「……もう、時間が無い。」
後方を振り仰ぎ、男は淋しそうに呟いた。
「ネカネは大丈夫だ、石化は止めておいた。……悪いな、お前には何もしてやれなくて。」
淋しそうに呟く男の身体が、突如宙へと浮かび上がった。
「元気に育て、幸せになれ。……『俺』からの遺言だ。」
別離の言葉を残し空へと昇っていく男に向かって、少年は本能的に走り出していた。
「お父さん!お父さん!!」
走りながら少年は叫ぶ。
言いたい事が山程在るのに、何一つ言えずに別れる事に耐えられなかったから。
小石に躓き、少年の身体は地面に叩き付けられる。
少年が再び顔を上げた時、男の姿は何処にも無かった。
「おとう……、」
地面に両膝をつき、天を仰いだ少年が父を叫ぼうとしたその時、
「へくしっ」
空の向こうから小さなくしゃみが響いた。
瞬間、空に虹色の孔が穿たれ、ナニカがドサリと少年の目の前に落ちてきた。
人間だ。
右腕と左足が千切れたように喪失していたが、金の髪の、まごうことなき人間だ。
一瞬、沈黙が舞い降りた。
「う……っ!」
少年は立ち上がり声を上げようとしたが、何かに足を滑らせ尻餅をついた。
地面についた掌を、赤い液体が濡らす。
「これ、血……?」
気がつけば、辺りは血溜まりと化していた。
「う、う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
少年の絶叫が、夜のウェールズに響き渡った。
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