第6話:不協和音 投稿者:物書き未満 投稿日:04/08-05:38 No.99
いつも通りの朝が、始まる。
いつも通りに新聞配達のアルバイトをこなし、いつも通りに登校し、いつも通りに授業を受け、そしていつも通りに一日を終える。
何の事も無い、ありふれたサイクルの繰り返し。
魔法使いの子供先生が同居人に加わって以来多少慌ただしくなってはいるが、それでも慣れてしまえば如何という事は無い。
それは3年生に進級した現在も変わる事は無く、今日もまたいつも通りの日常が始まる。
神楽坂明日菜にとって、新学期最初の授業日とはその程度の認識でしかなかった。
多少の非常識が降り掛かる事はあろうが、予々いつも通りな日常が恒久的に続いていく。
今までそうであったし、これからもそうであると信じて疑う事は無かった。
しかしこの日、いつも通りであるはずの明日菜の朝は、いつも通りではなかった。
明日菜にとって最早日常の一部である小さな同居人、ネギの様子がどこかおかしい。
鋼の錬金先生
第6話:不協和音
明日菜がネギの様子に違和感を覚えたのは、朝食の席での事だった。
いつもに比べてネギの箸の進みが極端に遅い。
加えてネギの顔色も、どことなく悪いようにも見受けられる。
「ネギ、あんた風邪でもひいたの?」
「へ?」
明日菜の問いにネギは虚を衝かれたように目を瞬かせ、否定の意を示すように首を振った。
「いえ、そんな事は無いですけど。何でですか?」
逆に問い掛けるネギに明日菜は一瞬言葉を詰まらせ、歯切れ悪く口を開く。
「いや、何かあんた今日元気なさそうに見えるからさ。……ひょっとして、今何か悩みでもあるの?」
何気なく口に出た明日菜の問いに、ネギは僅かに顔を強張らせた。
まるで、図星を指されたかのように。
「……いえ、そんな事は無いです。」
返答の声は先程よりも遅く、またネギの声色も僅かに硬くなっている。
何か隠し事をしているのは、一目瞭然であった。
明日菜は内心で嘆息した。
10歳という年齢で教職をこなす以上総てが順風満帆という訳にはいかないだろうが、しかし何か悩みがあれば、それを独りで抱え込んでしまうのがネギの悪い癖である。
しかもネギは存外頑固であり、例え無理に悩みを聞き出そうとしても、そう易々と口を割る事は有り得ない。
所詮14歳の自分が出来る事など高がしれている訳ではあるが、それでもネギよりかは年上である以上、少しは頼ってくれても良いのではないか?
それがネギの保護者を自称する明日菜の、素直な感想であった。
結局、ネギは朝食を半分近くも残した。
□■□■□
いつも通りに混雑している駅に降り立ち、いつも通りに中等部校舎へと走る。
別に歩いて通っても充分間に合う時間帯ではあるが、それでも走ってしまうのは既に習慣化している為か、それとも周りが意味も無く走っている為だろうか。
柄にも無くそんな哲学的な事を思考する明日菜の視界に、赤い外套を羽織った人影が映った。
長い金の髪と同じく金の両眼が特徴的な中背の青年、先日より3ーAの副担任となった新任教師。
「おはようございます、エドワード先生。」
「エドさん、おはよー。」
「おう、おはよう。」
明日菜と木乃香の挨拶に片手を上げて返し、エドワードはネギへと歩み寄る。
「ネギ、あれから少しは落ち着いたか?」
意味深な響きを含んだエドワードの言葉に、ネギの表情が僅かに曇った。
「……まだ、心の整理は出来ていません。」
沈んだ面持ちでエドワードに応えるネギの姿に、明日菜は内心眉を寄せた。
自分にも明かしてくれないネギの悩みを、会って僅かしか経っていないこの青年が共有しているという憶測に、自然と心に影が掛かる。
「まぁ昨日の今日だし、あいつらもいきなり仕掛けて来る事は無いと思うけど、用心しておくに越した事は無いだろうな。」
「その事もあるんですけど。それよりも、今日どんな顔をしてあの人達に会えば良いのかが分からないんです。父さんの事もありますし……。」
明日菜には分からない話題を話し合う二人の姿に、明日菜は言い様の無い不快感に襲われた。
ネギの保護者を自称し、誰よりも自分がネギに近いと思っていたのに、そのネギがいきなり自分から遠ざかってしまったように思えて仕方が無い。
淋しさと口惜しさが胸に渦巻く中、自分の位置と入れ代わるようにネギと言葉を交わす者が、否、今までの自分よりも遥かにネギの内側に入り込み言葉を交わしている「奴」が、目の前にいる。
根拠の無い錯覚が明日菜の心の奥深くに根を張り、烈しく軋みを上げて吼え猛っている。
それが「嫉妬」という名の感情であるという事に、明日菜はまだ気付いていない。
「……行こ、このか。」
ネギとエドワードから視線を逸らし、明日菜は木乃香の右手を執った。
「え? でもアスナ、まだネギ君とエドさんが……。」
「センセイ同士で何か話してるみたいだし、私達は先に行こ。」
言い淀む木乃香の右手を固く握り締め、明日菜は憮然とした表情で歩き出した。
「あ、アスナさん……。」
歩き始める明日菜に気付いたのか、ネギが控えめに声を掛ける。
だが明日菜が振り返る事は無い。
「私達は先に行くから、あんた達はどうぞごゆっくり。ネギセンセイ!」
「ネ、ネギ君また学校でな~!」
突き放すような明日菜の言葉と迷うような木乃香の声が、人込みの中へと消えていく。
「アスナさん……。」
置いて行かれた事に困惑を隠せず、ネギはエドワードを不安そうに見上げた。
だがエドワードは肩を竦めるだけで、何の言葉も口にしてはくれない。
「……行くか、ネギ。そろそろ行かないと遅刻する。」
「……はい。」
出発を促すエドワードの言葉に、ネギは俯くように頷いた。
□■□■□
「……エヴァンジェリンさんのやった事は許せない事ですが、でもそうしたい気持ちは何となく分かるんです。」
通学路の人波に乗りながら、ネギは視線を落としたまま唐突に口を開いた。
「15年間、ってエヴァンジェリンさんは言ってましたよね。という事はあの人は、もう4回もクラスメイトの人達の卒業を見送っている事になります。アスナさん達で、5回目。」
淡々と紡がれるネギの科白を、エドワードは黙って聞き入っている。
「3年間同じ教室で過ごしたクラスメイト達は皆新しい世界に飛び出して、でもエヴァンジェリンさんは立ち止まったまま。新しく入って来る人達は誰もあの人を知らなくて、クラスメイトとの繋がりは白紙からやり直し。進む事も振り返る事も許されず、不老不死であるが故に恒久に続く「いつも通りの日常」の中、あの人はいつも独りぼっち……。」
ネギは奥歯を噛み締め、爪が食い込む程に拳を握り締めた。
「……地獄じゃないですか、そんなの……!」
絞り出されたように口にされるネギの呟きは、震えていた。
「地獄、か……。」
ネギの言葉にエドワードは小さく呟き、前髪を掻き上げ空を仰いだ。
昨晩エヴァンジェリンの野望を一笑に伏した事を、今更ながらに少し後悔する。
「……だから、チャチャマルはあいつに与えられたんだろうな。」
ポツリと呟かれたエドワードの言葉に、ネギは思わず顔を上げた。
「チャチャマルの動力炉は、エヴァンジェリンの魔力で動いて。元々はバッテリー稼働式の予定だったのを、学園長に圧力掛けられて魔力動力に切り替えたんだ。補助動力としてゼンマイも組み込んでるけど、主動力がエヴァンジェリンの魔力である以上、チャチャマルはあいつ無しでは生きられない。」
ネギは黙ってエドワードを見上げ、両目を僅かに細めた。
動力炉やら稼動やら用途不明な単語が多少混じってはいたが、茶々丸がエヴァンジェリンに支えられて生きているという事だけは何となく分かる。
そして昨晩の戦闘を省みてみれば、エヴァンジェリンもまた茶々丸に依存している事も見て取れた。
互いが互いを支え合って生きている。
それは、パートナーとして最高の形と言えるのではないか。
ふと湧き上がる憧憬の念を、ネギは心の奥底深くに仕舞い込んだ。
エドワードの言葉は続く。
「どうして学園長が俺達に最新魔法の閲覧を許可してまで魔力動力炉に拘ったのか、……漸く納得出来たよ。」
乾いた笑みを漏らし、エドワードは小さく息を吐いた。
永劫に続く孤独を共に歩ませるべく、茶々丸はエヴァンジェリンに与えられたのだろう。
独りではなく二人で歩ませる事で、闇の中に僅かな光明を見出させる為に。
だが、それは根本的な解決策とは程遠い。
地獄を二人で歩かせたところで、そこが地獄である事に変わりは無いのだ。
その場しのぎの気休めや中途半端な優しさは、逆に人間を傷つける。
嘗てその為に、エドワードが弟を傷つけてしまったように。
未だその為に、エドワードが父親を許せないでいるように。
「地獄かぁ……。」
エドワードは再び同じ言葉を呟いた。
地獄なら、とうの昔に見てきたと思っていた。
己の片足と弟を生け贄に捧げた末に、哀しく禍々しい命を造り上げてしまった「あの時」に。
目の前で数千数万もの人間が一瞬にして消滅させられる様を見せつけられた「あの時」に。
だが今エヴァンジェリンの捕われている「地獄」は、エドワードが見てきた何れにも該当しない。
血臭も憎悪も痛みも無く、ただ生ぬるい絶望と諦観のみが自分を支配する。
その苦痛を真に理解する事は、エドワードには出来ない。
「くそっ……。」
エドワードは小さく舌打ちし、重く沈んだ不快感を振り払うように頭を大きく振った。
「……エドワードさん。僕、偉大な魔法使い(マギステル・マギ)になります。」
唐突に口に出されたネギの言葉に、エドワードは視線をネギへと落とした。
「マギステル・マギになって、僕がエヴァンジェリンさんの呪いを解きます。」
固く決意するように拳を握るネギを見下ろし、エドワードは徐に口を開いた。
「……それで、その後はどうするんだ?」
「え? どういう意味ですか?」
困惑したように目を瞬かせるネギを見下ろし、エドワードはポケットから携帯電話を取り出した。
白い折り畳み式の携帯電話のボタンを操作し、液晶画面をネギへと差し出す。
「少し気になる事があって、あの後少し調べてみたんだ。」
エドワードの言葉に、ネギは差し出された液晶画面を覗き込んだ。
液晶画面に表示されていたものはエヴァンジェリンの顔写真と、斜線の引かれた「600万ドル」の文字。
「これって……!」
「『まほネット』に掲載されている賞金首一覧の内の一つだ。15年前までまであいつの首にはそれだけの賞金がかけられていたらしい。」
言葉を失うネギに追い討ちを掛けるように、エドワードは更に言葉を続ける。
「異種族への偏見や畏怖からの過剰な敵視を差し引いても、600万ドルなんて金額は尋常じゃない。つまりそれ相応の事を嘗てあいつはしてきたって事だ。理由や本人の心情はともかく、な。」
沈黙するネギを冷たく一瞥し、エドワードは小さく息を吐いた。
「もう一度聞く。仮にお前があいつの呪いを解けたとして、その後お前はどうするんだ? あいつが再び畏怖されるようになったら、お前はどうするんだ?」
「それは……、」
エドワードの問いにネギは一瞬言い淀むが、心を落ち着かせるように息を大きく吐き出し、エドワードの瞳を真直ぐに見上げ口を開いた。
「ーーその時は、僕がマギステル・マギになって何とかします。」
何の迷いもなく言い切られたネギの答えは、具体性に欠けた曖昧極まりない子供の夢想ではあった。
だがその無謀さや無計画さを差し引いても余りある程に、その理想は力強さに満ち溢れている。
エドワードは僅かに肩を竦め、苦笑と共に息を吐き出した。
「まぁ、精々頑張れ。でもまずは大層な理想を語る前に、今これからの事を何とかしなくちゃな。」
「きっと何とかなりますよ。何となく、そんな気がしてきました。」
楽観的な言葉を口にするネギの表情からは、先程よりも僅かだが陰りが薄らいでいた。
校舎は、既に二人の目前にまで迫っている。
鋼の錬金先生 | 第7話:波乱の序曲 |