第10話:見つからない答え、見つかった答え 投稿者:物書き未満 投稿日:05/01-20:47 No.431
地球が廻り続ける限り、夕陽は堕ち、朝陽は昇る。
この惑星の誕まれた瞬間より恒久的に約束されたその輪廻は、喩えるならばネジを巻かれた永久機関。
喩え地上の総てが一夜に滅ぼうとも、遺された荒野にも陽光は必ず降り注ぐ。
如何に足掻こうとも悩もうとも朝陽は昇り、新しい一日は必ず始まる。
だが、喩え昇る朝陽が同じであろうとも、陽光を浴びる大地の息吹までが同じであるとは限らない。
変わる事の無い輪廻の中で、地上に息衝く生命の波紋は常に変わり続ける。
一見同じ軌跡に思えるだけで、全くの同一のカタチに戻る事は絶対に有り得ない。
それはある意味、心臓の鼓動にも似ているかもしれない。
ネギの描く「日常」と言う名の絵画に、新しい色彩が加わった。
ウェールズに住むネギの「お姉ちゃん」から白い助っ人、オコジョ妖精のカモが送られて来たのだ。
アルベール・カモミール。略して「カモ」。
ネギとは5年前のウェールズ山中、罠に掛かったカモをネギが助けた時からの付き合いである。
この一人と一匹の再会の前後には色々と騒動もあったのだが、それはこの際割愛する。
ともあれカモという助言者を得たネギは、朝一番で中等部校舎に殴り込みを掛け
「エドワードさん! 昨日は本当にごめんなさいっ!!」
職員室の真ん中で、エドワードに深々と頭を下げたのだった。
時の巡りは心臓の鼓動とは違い、常に一定の旋律を描き続ける。
そこに人の思惑の介入する余地は存在しない。
何時までも悩み立ち止まっているよりも潔く開き直ってしまう方が、時には賢明と言えるのかもしれない。
鋼の錬金先生
第10話:見つからない答え、見つかった答え
玉砕覚悟で特攻を掛けたネギの謝罪を、エドワードは二つ返事で聞き入れた。
拍子抜けする程にあっさりとしたエドワードの態度に、ネギは思わず目を瞬かせる。
「実はエドワードさんって、意外と懐大きかったんですね……。簡単には許してくれないと思って色々と覚悟完了して来たんですけど。」
「俺だってそんなに子供じゃねーよ。」
さり気なく至極失礼な事をのたまうネギに、.エドワードは憮然とした表情で机に頬杖をついた。
「昨日お前を追い掛け回した事は、俺も大人げなかったって思ってるよ。それに肝心の当事者達からは、昨日の内に謝罪を貰ってたからな。」
「え? そうなんですか?」
知られざる事実に驚愕するネギを横目で一瞥し、エドワードは大きく欠伸する。
「「流石に悪ノリが過ぎた」って、ユキヒロやらササキやらサオトメやらが謝ってきた。……寮の電話に。おかげでその事をネタにリンの奴から一晩中遊ばれまくったよ。ったく、大体何であいつら俺の部屋の番号知ってるんだよ。」
如何にも「私不機嫌です」と言った風に半眼で愚痴を零すエドワードに、ネギは思わず表情を引き攣らせた。
「……エドワードさん、実はまだ怒ってるでしょ?」
「いーや、俺は断じて怒ってなんかいない。」
ネギの言葉に清々しい笑みで堪えるエドワードだが、その長い金の前髪の下に浮き上がる青筋をネギは見逃さなかった。
……説得力の欠片も無い。
(根に持つタイプなんだなぁ……。)
意外と子供っぽいエドワードの一面に、ネギはそんな呟きを口の中で転がす。
その時、何かを思い出したようにエドワードが口を開けた。
「……あ。」
「どうかしたんですか?」
間の抜けた声を上げるエドワードに、ネギは怪訝そうに首を傾げる。
「いやエヴァンジェリンの事なんだけどな、ガチ合う心配は当分しなくて良いらしいぞ。」
「はぁ?」
何の脈絡も無くエヴァンジェリンの話を始めるエドワードに、ネギは頭上に疑問符を浮かべる。 。
あまりに突然過ぎて、正直言えば意味が分からない。
要領を得ないようなネギの表情から察したのか、エドワードは重ねて口を開いた。
「お前の親父の呪いって奴で、吸血鬼の能力の大半を封じられてるんだ。次の満月が来るまではただの人間と変わらないらしい。」
「そう、なんですか……。」
淡々としたエドワードの説明に生返事を返しながら、ネギは奔る思考を加速させていく。
吸血鬼の力を封じられているという事は、確かに次の満月までは襲撃の心配をしなくて済む。
そして逆にこちらから打って出るとするならば、恐らくは今しかない。
だが、果たして何を打つ?
そもそも果たして自分は、一体何がしたいというのか?
分岐と収束を繰り返す果てに、ネギの思考は一つの「答え」に辿り着いた。
歯車の噛み合う音を頭の中に聴きながら、ネギはエドワードへと姿勢を正した。
「あの、エドワードさん。一つお願いがあるんですけど……。」
そして遠慮しながらもはっきりと口にされたネギの「お願い」に、エドワードは思わず目を見開いた
□■□■□
昼休み、エヴァンジェリンは屋上の床に寝転がり、空を眺めながら時間を潰していた。
(昼は、眠い……、)
降り注ぐ春の陽気に身を任せながら、エヴァンジェリンは欠伸を噛み殺す。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは「真祖」と呼ばれる、所謂吸血鬼である。
真祖とは今は失われた秘伝によって自らを吸血鬼と化した元人間であり、強大な魔力と半不老不死の肉体を持ち、映画などで知られる吸血鬼とは違って陽の光の下でも自由に活動出来る。
だが彼女は15年前にネギの父親、サウザンド・マスターに敗れた。
それ以来魔力を極限まで封じられ、同時に掛けられた呪いによって麻帆良学園に縛り付けられている。
ーー「光に生きてみろ。そしたらその時、お前の呪いも解いてやる。」
エヴァンジェリンが麻帆良に来た15年前のあの日、羞恥と屈辱に頬を真っ赤に染めるエヴァンジェリンの頭を優しく撫でながら、サウザンド・マスターはそう諭した。
卒業する頃にはまた帰って来ると、約束を交わして。
以来、エヴァンジェリンは足掻き続けた。
交わした約束を道標に、サウザンド・マスターの言う『光』をひたすら探し続けた。
ただそれだけが、「生きる理由」としてエヴァンジェリンを支え続けた。
だが約束は遂に果たされる事は無く、サウザンド・マスターは10年前、死んだ。
「足掻く理由」の消滅は、そして同時に「牢獄」が「地獄」に変わった事をも意味していた。
エヴァンジェリンが足掻きを止めるまでに、諦めるまでに、そう時間は掛からなかった。
以来10年間、エヴァンジェリンはこの空虚で生ぬるい絶望と諦観の中を生き続けている。
どうしようもない空白を、その心に抱えたまま。
夢は破れ、希望は裏切られ、だがそれでもエヴァンジェリンは生きている。
血臭も憎悪も痛みも無い、しかし希望も光も亡い闇の中を、何処までも堕ちていく。
それはまるで、生きながらにして朽ち果てていくシカバネのように。
「……何処まで行っても、此処から逃げられない。」
晴天の空に右手を翳し、エヴァンジェリンは小さく呟いた。
頭の上に広がる蒼天は憎たらしくなる程、清々しく澄み渡っている。
地上の風景が目覚ましい程に変わっていく中で、空の蒼さだけは数百年前と、15年前と変わらない。
どんなに手を延ばしてみても、あの蒼に届く事は無い。
空に掲げた掌を握り込んでみるが、あの蒼の雫一つすらも掴み取る事は出来ない。
エヴァンジェリンは小さく吐息を零し、眼を伏せた。
「ーーマスター、昼食をお持ちしました。」
唐突に頭の上から降って来た無感情な声に、エヴァンジェリンは億劫そうに瞼を開けた。
何時の間にか傍らには茶々丸が佇み、エヴァンジェリンの顔を覗き込んでいる。
「……いらん。」
茶々丸の手に握られたバスケット型の弁当箱を一瞥し、エヴァンジェリンはそう言って再び目を閉じた。
「しかし……。」
「腹は減っていない。それに別に一食抜いた位で死にはしない。」
食い下がる茶々丸の言葉を封殺し、エヴァンジェリンは寝返りを打つように身体を転がした。
コンクリートの床へと落とされたエヴァンジェリンの視界の中で、蜜蜂が一匹這い回っている。
エヴァンジェリンはゆっくりと指を滑らせ、蜜蜂を優しく掬い上げた。
掌の上を這い回る蜜蜂を指先で弄びながら、エヴァンジェリンは取り留めも無い記憶を紐解いていく。
サウザンド・マスターの直系の血族であるネギが麻帆良に赴任して来ると聞き、エヴァンジェリンは
半年間をかけて学園の生徒を襲って血を集め続け、ネギに対抗出来るだけの力を貯えた。
再び、エヴァンジェリンは足掻き始めた。
理由は、エヴァンジェリン自身にも分からない。
サウザンド・マスターの血を色濃く受け継いだネギは、しかしエヴァンジェリンがかつて約束を交わしたサウザンド・マスター本人ではないというのに。
所詮ネギは封印を解く「鍵」でしかなく、「足掻く理由」足り得ないというのに。
だが、何もせずにはいられなかった。
このまま大人しく朽ち果てていく訳にはいかなくなった。
胸を内側から灼くような衝動に身を任せ、エヴァンジェリンは再び闇の中を奔り始めた。
理由は、エヴァンジェリン自身にも分からない。
その時、屋上出入り口の金属の扉が内側から開かれ、重い音が屋上に響き渡った。
掌の上の蜜蜂が羽根を震わせ、空の中へと飛び去っていく。
エヴァンジェリンは一瞬不機嫌そうに眉を寄せ、無粋な客人へと視線を向ける。
「あ、いたいた。」
己に向けられる剣呑な視線に気付いているのかいないのか、眼鏡を掛けた赤い髪の少年、ネギは屈託の無い笑みをエヴァンジェリンに向けた。
そして校舎の奥を振り返り、ネギは声を張り上げる。
「エドワードさん、エヴァンジェリンさんいましたよ! エドワードさんの読み通りです!」
嬉しそうなネギの呼び掛けに応えるように、扉の奥からもう一人姿を現した。
金色の瞳と、一瞬眼が合う。
「ネギ、だから言ったろ? 馬鹿と煙とサボリ魔は高い所が好きだって。」
エヴァンジェリンの姿を認めたエドワードは、そう言って茶化すように肩を竦めた。
その腕には購買で売られている幾つかのパンと紙パック入りのコーヒーが抱えられている。
「……何の用だ?」
エドワードの一言は取り敢えず無視して、エヴァンジェリンは剣呑そうにネギへと尋ねる。
「いや、たまにはアスナさん達以外の人とお昼ご飯を食べようかなーなんて思いまして。」
あっけらかんとしたネギの呑気な返答に、エヴァンジェリンは邪険そうに鼻を鳴らした。
「私と貴様等は敵なんだぞ? 何故にわざわざ一緒に飯なんぞ食わなきゃならんのだ?」
「でも今は停戦中なんでしょ?」
間髪入れずに入れられたネギの反論に、エヴァンジェリンは一瞬言葉に詰まる。
「エドワードさんに聞きました。次の満月までは吸血鬼じゃなくなるんですってね? だったら今の僕と貴女は、担任教師とその教え子って関係だけです。敵なんかじゃありません。遠慮する必要なんて何処にもありませんよ。」
そこまで一気に言い切り、ネギは一旦言葉を切った。
そして「それに」と前置きして、ネギは人差し指を立てながら、
「それに貴女に呪いをかけたのは父さんであって僕じゃありませんから。貴女が父さんを恨もうが呪おうが、ぶっちゃけ僕の知った事じゃありません。」
と、にこやかにのたまった。
「…………あ~。」
屁理屈としか言い様の無いネギの言葉に、エヴァンジェリンは頭痛を抑えるように額に手を当てた。
「……うん、お前やっぱりナギの息子だよ。」
沸き上がる百万語で半ば飽和状態の思考の中、エヴァンジェリンは辛うじてそれだけを呟いた。
「たまげる」という言葉は、「魂消る」と記すらしい。
数百年と時を生きてきた真祖の吸血鬼、エヴァンジェリンはこの瞬間、永い生涯で初めて「魂消る」という心境を実感した。
呆れて過ぎて物も言えなくなった、とも言い換えられるが。
「……って、冗談はこれ位にして……。」
唐突に表情を引き締め、ネギは神妙な面持ちでエヴァンジェリンに視線を向けた。
「……僕は、未熟です。」
エヴァンジェリンの瞳を真直ぐに見つめ、ネギは静かに言葉を切り出す。
「未熟だから、貴女の呪いは解けません。未熟だから、貴女の苦しみは想像出来ません。未熟だから、今貴女を何とかしてあげる事は出来ません。僕は、貴女を救えません。」
一気に言い切られたネギの言葉に、エヴァンジェリンは咄嗟に言葉が浮かばなかった。
とうに分かり切っていた事の筈なのに、正面から改めて言われてしまうと些か堪えるものがある。
沈黙するエヴァンジェリンの姿に一瞬眼を伏せ、ネギは言葉を重ねる。
「でも何も出来ないからと言って、何もしないというのは嫌だったんです。貴女は僕の生徒です。敵だろうが命を狙っていようが、それに変わりはありません。僕に何が出来るのか、昨日ずっと考えてました。考えて考えて考えて、結局思いついたのはこうして一緒にご飯を食べる事位なんですけど。」
そう言って情けなさそうに笑うネギを鋭く一瞥し、エヴァンジェリンはゆっくりと口を開いた。
「……それで、何故そんな結論に辿り着いたというのだ?」
目の前の童(わっぱ)の意外な一面を垣間見れはしたが、しかし今のネギの話は肝心な所には一切触れられていない。
エヴァンジェリンの鋭い視線にネギは曖昧な笑みを浮かべ、困ったように頬を掻いた。
「うーん、何と言ったら良いのか……。別に大した理由がある訳じゃないんですけど……。」
ネギは言葉を纏めているのか暫くの間腕を組んで黙り込み、そして納得のいく解答が浮かんだのか、笑みを浮かべて口を開いた。
「簡単に言っちゃえば、「地獄」から出してあげられないんだったら、その「地獄」を「天国」に変えてしまえば良い。そんな風な事を考えまして、取り敢えず一緒にご飯でも食べる事から始める事にしたんです。」
「はぁ?」
エヴァンジェリンはネギの言葉を一瞬理解出来ず、間の抜けた声を上げる。
だがその言葉の裏にあるネギの意志を掴み取った時、エヴァンジェリンは堰を切ったように笑い始めた。
「ク、ククク、ハハハハハ……ッ!」
肩を小刻みに揺らしながら、エヴァンジェリンは愉快そうに哄笑を上げる。
「地獄」を「天国」に変える。
戒めの鎖を外せないのならば、その鎖の繋がる牢獄そのものを自分が創り替えてしまえば良い。
要するに、ネギはそう言っているのだ。
「逃げる」ではなく、「変える」。
それはエヴァンジェリンにとって、「コロンブスの卵」の格言そのものであった。
自身が思い付きもしなかった結論を導き出したネギの発想力に、そしてそれを実現するべく一歩を踏み出したその行動力に、エヴァンジェリンは敬意を込めて笑い続ける。
「……成る程な。確かに小僧、貴様の言う通り私は些かぼーやを見誤っていたらしい。」
目尻に浮かんだ涙を拭き取りながら、エヴァンジェリンはエドワードへと一瞥を投げ掛けた。
「俺の方も吃驚してるよ。……大物なのか只の馬鹿なのか、判断に困る所はあるけどな。」
エヴァンジェリンの言葉に肩を竦め、エドワードは腕の中の紙パックを一つ手に取り、エヴァンジェリンへと放った。
弧を描いて落下する紙パックを両手で受け止め、エヴァンジェリンは茶々丸を振り返る。
「……気が変わった。昼食の用意を頼む。」
「はい、マスター。」
主人の命令に一礼を返し、茶々丸はバスケットを床に置いた。
エヴァンジェリンの解答にネギとエドワードは顔を見合わせ、成功を祝うように拳を軽くぶつけ合う。
渡された紙パックにストローを差しながら、エヴァンジェリンは二人へと一瞥を投げ掛けた。
道理から言えば、敵の戯れに付き合ってやる義務などエヴァンジェリンには無い。
今回の選択は単なる気紛れに過ぎず、自ら向こう側に歩み寄るつもりは自分には毛頭無い。
ストローの先端を口に銜えながら、エヴァンジェリンは己に言い聞かせる。
だがその一方でそんな気紛れを肯定もしている自分に気付き、エヴァンジェリンは静かに眼を伏せた。
ストローを介してコーヒーが吸い上げられ、口の中にほろ苦い味が拡がっていく。
ミルクも砂糖も入っていないブラックのコーヒーはその胃の中には冷たく拡がり、その胸の奥には温かく浸透していった。
鋼の錬金先生 | 第11話:夕陽と錬金術師と、そしてジャグラー…… |