第11話:夕陽と錬金術師と、そしてジャグラー…… 投稿者:物書き未満 投稿日:05/15-20:33 No.519
午後の授業は滞り無く終わり、校舎は既に放課後へと時を移していた。
下校する生徒達をエドワードと共に見送りながら、ネギは小さく吐息を零す。
今日も一日何の問題も無く、授業を無事に乗り切る事は出来た。
だがエヴァンジェリンの方は午後の授業にも姿を現す事は無く、結局今日も一日サボられてしまった。
分かり切っていた事ではあるが、やはり些か辛いものがある。
「道はまだまだ長いって事かぁ……。」
「漫画じゃあるまいし、物事がご都合主義みたく上手い具合に進んでくれる訳無いわな。人の心なんて特に。」
落胆の息を吐くネギの背中を軽く叩き、エドワードは前髪を掻き揚げながら天を仰ぐ。
「……諦めるか?」
「諦めませんよ。」
何気なく問われるエドワードの言葉に即答を返し、ネギは気合いを入れるように己の頬を叩いた。
その時、
『兄貴! 兄貴ぃぃぃーーーっ!!』
誰かの狼狽えるような叫び声が、何処からとも無く響き渡った。
エドワードは怪訝そうに周囲を見回すが、声の発生源らしき人影は何所にも見当たらない。
幻聴かと首を傾げるエドワードの耳に、
「カ、カモ君! 何で学校に!?」
今度はネギの喫驚の声が下から上ってくる。
そして視線を足元に落としたエドワードの見たものは、
「えぇぇぇ!? 宮崎さんが寮の裏手で不良にカラアゲされてる!?」
『そうそうこんがりホカホカと、って違ぁぁう!! カツアゲっス、カツアゲ!』
何やら漫才をやっているネギと白イタチ(エドワード主観)。
「………………あ~、」
目の前で繰り広げられる奇天烈な光景に、エドワードは徐に銜え煙草に火を点け、
「……うん、空が蒼いな。」
何も見なかった事にした。
鋼の錬金先生
第11話:夕陽と錬金術師と、そしてジャグラー…
カツアゲされているというのどかを助けに行くべくネギは杖に跨がり、カモと呼ばれた白イタチ(仮)と共に寮へと飛び去って行く。
風の道に乗り寮へ急ぐ一人と一匹を黙って見送り、エドワードは嘆息するように紫煙を吐き出した。
近頃はやたらと喫煙の回数が増えており、特にここ数日は毎日吸っているような気がする。
自分はそれ程愛煙家ではない筈なのにと愚痴を零しながら、エドワードは上着のポケットに右手を突っ込み、金の鎖が繋がった懐中時計を引っ張り出す。
天文時計を模した小洒落た文字盤の上で、針が指す時刻は午後4時半。校舎が施錠されるまで、まだ二時間程余裕がある。
エドワードは懐中時計を仕舞い込み、校舎へと踵を返した。
職員室の一角に宛てがわれた自分の机に腰を下ろし、明日の授業の準備を始める。
仕事はなるべく持ち帰らず、出来るだけ学校にいる内に終わらせてしまう。
それが麻帆良の大学に編入してからの四年半で培われてきた、エドワードの習慣である。
期限ギリギリまで手をつけず結局レポートや報告書の殆どを適当にでっち上げていたという過去の反省もあり、エドワードはこの類いだけは真面目にやる事にしている。
尤も、寮に持ち帰っても碌に仕事が進まないという事も理由の一つに挙げられるが。
担当クラス毎に授業の進行具合を確認し、今後の予定と照らし合わせていく。
他の教師と足並みを揃えなければならない為、この調整が中々難しい。
授業の段取りを組み立てながら、エドワードはふと手を止め顔を上げた。
遠い故郷の学び舎の光景が、幼き日の自分達が、瞳の奥に不意に蘇ってくる。
三角屋根の四方を柱で支えただけの青空校舎、嵐が来る度に潰れていた馴染み深き学び舎。
読み書き計算全てを一人で教えていた村唯一の女性教師、内職や居眠りが見つかる度に勃発していた対決も今となっては懐かしい。
「あの人ってまだ先生やってんのかな……。」
過ぎ去りし過去に想いを馳せるように感傷的に呟き、エドワードは椅子を斜めに傾けた。
キャスターの前輪を浮き上がらせ、後輪だけで椅子のバランスを取り静止させる。
蛍光灯から降り注ぐ明るく無機質な光が、此処が故郷からどうしようもない程に遠く離れた異邦の地である事を再認識させる。
エドワードは瞼を臥せ、肺に溜まった空気を吐き出した。
「……教師がするような格好じゃないよ、それ?」
不意に背後から掛けられた呆れたような声に、エドワードは億劫そうに片目を開けた。
どこか狐を彷彿させる細面の青年教諭が、上下逆さにエドワードを見下ろしている。
「セルヒコ……。」
同僚である青年の名を口の中で転がし、エドワードは椅子と姿勢を戻した。
「……何の用だ?」
能面にも似た薄い笑みを浮かべる瀬流彦の顔を見上げ、エドワードは胡散そうに口を開いた。
その物言いに瀬流彦は小さく肩を竦め、仮面じみた笑みを浮かべたまま窓の方へと視線を向ける。
「施錠の時間が近づいてきたから、校舎の見回りを手伝って欲しいんだ。」
瀬流彦の言葉に促されるように、エドワードは窓へと一瞥を投げ掛けた。
ブラインドの隙間から差し込む光は何時の間にか茜色に染まり、壁に掛けられた時計は午後六時を指そうとしている。
広い校舎の内を見回るとするならば、確かに頃合いの時間帯と言える。
エドワードは面倒そうに後頭部を掻き、天井へと視線を上げた。
瀬流彦は笑顔は胡散臭く肚の底も分からぬ男ではあるが、しかし立場上はエドワードの『先輩』という事になっている。
そしてルームメイトのリンや学園最高責任者である近衛翁の言によれば、この島国では『先輩』とは上下関係に於ける一種のステータスであり、『先輩』の命令には喩えそれが無茶な要求であったとしても絶対服従と暗黙に義務付けられているらしい。
思考と逡巡を巡らせた果てに、エドワードは嘆息と共に椅子から腰を上げた。
□■□■□
夕陽の色彩と静寂に支配された校舎の廊下を、エドワードは左右で音の違う足音が響かせ独り進んでいく。
任された範囲は三年生の階だけではあるが、それでも十以上もの教室を全て見回るのはやる気の無い身としては中々面倒な事である。
大方の生徒は既に下校しているらしく、エドワードは職員室を出て以来誰ともすれ違っていない。
「悪い子はいねぇかーー、……なんてな。」
教室の一つ一つに立ち寄っては戸を開けてナマハゲよろしく声を上げてみるが、返事をしてくれる相手がおらず何とも言えぬ空しさだけがエドワードの心に堆積していく。
「ここが最後、か。」
階の最端にある空き教室の引き戸の前に立ち、エドワードは若干の疲労を含ませながら小さく呟く。
引き戸に掛けた右手を静かに引き、エドワードは薄暗い教室の中へと一歩足を踏み入れた。
廊下と同じ色彩に染まった教室をゆっくりと見渡そうとしたエドワードの耳に、何かが弾むような音が聴こえる。
「っ!?」
エドワードは思わず息を呑み込み、音の発生源へと視線を走らせた。
金の双眸が夕陽の光を受けて淡く煌めき、窓際に佇む小柄な人影を確かに捉える。
その傍らにはテニスボール程の大きさの球が七つ、机の上に無造作に並べられている。
逆光で顔は判別出来ないが、中等部の制服を着ている事だけは辛うじて判る。
(まだ生徒が残ってたのか。)
その服装からそう推察するエドワードだが、使われていない筈のこの教室に生徒が居る理由の方は見当付ける事が出来なかった。
声を掛けるべきか一瞬躊躇するエドワードに気付かぬ様子で、窓際の少女は卓上の球に左手を延ばした。
手に執った球は三つ、その内一つを少女は自身の頭上へと右手で放る。
弧を描くように宙を舞う球が重力の法則に従い落下を始める直前に、少女は左手の中にある二つ目の球を放った。
二つの軌道が空中で邂逅し、二つの球は十字を切るように少女の頭上で交錯する。
そして一つ目の球が少女の左手に到達するその前に、少女は更に三つ目の珠を右手から解き放った。
三つ目の球が徐々にその高度を上げ、対照的に二つ目の球が落下運動を始めたその時、漸く最初の球が少女の左掌の中に収まる。
短いようで長い旅を終えて漸く少女の掌に届き収まった一つ目の球は、再び虚空へと投げ上げられる。
その、繰り返し。
不規則的に、しかしどこか秩序的な規則性を持って三つの球が少女の左右の掌を往き来する。
ふと気付けば宙を舞う球の数は三つから四つに増え、逆に机の上の球はその数を一つ減らしていた。
更に球は四つから五つとなり、五つから六つとなり、速度を変え軌道を変えながら少女の周囲を縦横無尽に奔り回る。
そして少女が机の上に載る最後の一つに手を延ばしたその時、不意に少女はエドワードへと顔を向けた。
球の一つが少女の掌から滑り落ち、瞬間まるで掛けられていた魔法が解けたかのように六つの球は次々と床に墜ち、四方へと非秩序的に散らばっていく。
そして何時の間にか少女のジャグリングに魅入っていたエドワードもまた、掛けられた催眠が解けたかのように現実へと引き戻された。
爪先の前に転がる赤い球を左手で拾い上げ、エドワードは再度教室を見渡した。
鮮やかな色彩の球が教室のあちらこちらに転がり、夕陽の光を受けて煌らかに輝いている。
少女は床に両膝をつき、教室中に散らばった球を一つずつ拾っている。
エドワードはばつの悪そうに球を握った左手で後頭部を掻き、少女を手伝うべく教室の中へと足を踏み入れた。
近くに転がる黄色い球を拾い上げ、赤い球と共に少女へと差し出す。
「ほらよ。」
ぶっきらぼうに差し出された二つの球に、少女は手を止めエドワードを見上げた。
褐色の肌に銀鼠色の髪、道化師のようなペイントの施された少女の顔に、エドワードは見覚えがあった。
「お前、ザジ・レニーデイ、だったか……?」
3-A学級名簿の最左端に書かれていた生徒の名を口にするエドワードに、ザジは無言で小さく頷く。
褐色の頬が僅かに赤く染まっているのは、窓から差し込む夕陽の光のせいだけだろうか。
それとも、失敗を見られてしまった事を気にしているのか。
「悪ぃな、練習を邪魔しちまって……。」
きまりの悪そうに謝罪するエドワードにザジは小さく首を振り、差し出されている二つの球に片手を延ばした。
エドワードのものよりも若干小さな褐色の掌が二つの球を握り込み、その指先が手袋に覆われたエドワードの掌に僅かに触れる。
瞬間、突如ザジは両肩を大きく揺らして掌を離し、飛び退くようにエドワードから離れた。
大きく見開かれたザジの瞳の中に揺れているのは、『畏怖』の色彩。
「っっ……!!」
声にならない声を小さくあげ、ザジは逃げ出すようにエドワードの傍らを駆け抜け通り過ぎた。
「お、おい!?」
慌てるようにエドワードは背後を振り返り声をあげるが、既にザジの姿は教室の何所にも見当たらない。
「……ったく。」
エドワードは小さく舌打ちし、差し出したままの掌へと視線を落とした。
軽く拡げられた掌の上には、未だ二つの球が載せられたままとなっている。
一体何を恐怖したのかはエドワードの知る処ではないが、どうやら角ザジは球を受け取らぬまま教室から走り去ってしまったらしい。
「どーすりゃ良いんだよ、コレ。」
途方に暮れたように大きく息を吐き出し、エドワードは誰にでも無く呟いた。
その後、見回りを終えたエドワードは生徒用下足棟にて、
「な、何やってるんだ……? ネギにカグラザカ……?」
気絶したのどかを校舎へと運び込むネギと明日菜と鉢合わせしたのだった。
「「エ、エエエエエドワードさん(先生)!?」」
唖然と固まるエドワードの姿を目にした瞬間、ネギと明日菜は狼狽えたように上擦った声をあげる。
「お、お前等まさか……!」
様々な推論憶測妄想その他が瞬時に脳裏を駆け巡り、エドワードの顔から血の気が引いていく。
「わぁぁぁぁっ! 違います誤解です間違いです!!」
「エドワード先生がナニを想像したかは知りませんけど兎に角それは多分絶対違いまぁぁぁぁすっ!!」
青褪めた表情でのどかを指差すエドワードに、ネギと明日菜は必死に弁明を始めるのだった。
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