Act1-3

 

【志貴】


「…乗り換えないといけなかったのか…」

麻帆良駅から三十分程歩くと、目的の建物にすぐに着いた。
地図を見ながら到着した先は、確かに麻帆良大学だった。
…俺の志望している、経済学部のある建物ではなかったが。

「もっと、もっとちゃんと調べておけば…あぁっ、俺のバカー!」

そもそも、屋敷の女性陣に見つからぬように極秘で調べていたので、満足に調べることもできずに行動に移してしまったのである。
とは言え、遠野の屋敷の警備は、当主そっちのけで、盗撮盗聴何でもござれの割烹着の悪魔が牛耳っている。
それ故、俺は彼女…琥珀さんにバレないようにと外で調べるようにしていたのだが、外であっても油断できないため、大学名だけで判断して、学部のことを調べるのをすっかり忘れてしまっていたのだ。

「ま、まあそんなに遠くないから、バスでも使えばすぐ着きますよ」

「うんうん、三十分くらいあれば着くよー♪」

目の前にいるのは、麻帆良学園の学生服を着た女の子達。
ショートヘアの真面目そうな子と、オレンジっぽい髪をした快活な女の子が、落ち込む俺を励ましてくれている。
その後ろにいる、紫っぽいロングのちょっと大人びた女の子は熱でもあるのか、無言で少し赤い顔をしていた。
彼女らの話によると、経済学部棟のある麻帆良大学の場所は、中央駅から二つ前の駅で降りなければいけなかったらしい。
駅でなくとも、バスで三十分程で着けると聞いて、のろのろとポケットに手を伸ばす。
俺のメイン財布である小さながま口を開き、木枯らし寒い自らの財布に涙を零した。

「ぅわ…」

「にゃ…」

「はは…道、教えてくれてありがとう。それじゃ」

がま口を覗き込んだ女の子達の絶句の声が、耳元のすぐ近くで聞こえる。
帰りの切符代は別の財布に入れてあるのだが、俺の財政状況は他の交通機関を使えるほどの余裕など無いのだ。
俺は彼女らに笑顔で礼を告げて背を向けると、がっくりと肩を落としながら、徒歩で大学まで行くことを決めたのであった。


遠野志貴。女難に限らず、不運の付き纏う男である。彼に幸あらんことを――――


〜朧月〜


男の子は、七夜志貴と名乗った。
彼は『鬼神』黄理様の子で、私より三つほど年上であったが、私と変わらないのではないかというくらい幼く見えた。
『鬼神』と呼ばれる方の血を受け継いでいるとは思えないほど、彼は優しく、穏やかな性格をしていて、里の人達が私を不気味がって
遠ざけているというのに、彼だけは私に対して純粋な好意をもって接してくれていた。
そんなお人好しで、純粋で、優しい彼に、私は知らぬ間に心を開き始めていたのである。

しかし、次の日の早朝、彼が優しさだけではないことを知る。
朝方早くに見かけた彼の姿を追って森の中へ入っていくと、小さな広場で彼と彼の父親たる黄理様との訓練を見たのだ。
温和な性格の彼は、黄理様とは違って戦わないのかと思っていたが、その小さな体にはやはり『鬼神』の血が流れているのだと実感させられた。
『魔法』も『気』も使わずに、極限まで鍛え上げられた人の体から繰り出される、神業と見紛うばかりのその動きには大きな衝撃を受けた。


――――アレが人の動きなのか。


信じられなかった。今でも、夢を見ていたのではないかというくらい、その動きは異常だった。
木々の間を、音も立てずに風のように駆け抜け、敵の攻撃を確実に見切り、死角へと入り込んで攻撃する。
蜘蛛のような動きを、獣のような速度で可能とするその様は、並の動体視力では視界に捉えることすら不可能だろう。
一瞬で近づいたかと思えば離れ、離れていたかと思えば、急に姿が消えて敵の頭上から降ってきたりと、目の前で起きている奇怪な出来事は、当時の私には到底理解できるはずも無い。
黄理様は一応手加減をしてはいるのだろうが、志貴ちゃんの体はどんどんボロボロになっていく。
しかし、直撃すれば骨折どころでは済まない威力を秘めた黄理様の一撃を、体を少しずらすだけで避けてみせる彼の底力も計り知れない。

「はぁ、はぁ…。ふぅっ…ありがとうございました、御館様」

「あぁ…更に腕を上げたな、志貴。…そうだな、お前も成長してきたし、刹那が帰る前に一度『アレ』を見せてやるか」

「え…ホント?! 僕、いつか『アレ』を習得したいんだ。お父さ…御館様、約束ですよ!」

子の成長が嬉しいのか顔に笑みを浮かべた黄理様に、志貴ちゃんは疲れも忘れたように目を輝かせながら興奮したように話す。
例え息子である志貴ちゃんであっても、七夜の当主たる黄理様のことは御館様と呼ばなければいけないのだが、それすらも忘れそうになるくらい志貴ちゃんは興奮していた。

「『アレ』って…?」

「この里の中でも、御館様にしか使えない技だよ。せっちゃんも、きっと凄いって思うよ!」

興奮したように話す志貴ちゃんに、私もその技がどんなものなのか見てみたいと思った。
彼がこんなに目を輝かせながら言うのだから、さぞかし凄いのだろう。
…ふと、志貴ちゃんに影響を受け過ぎているな、と思ったが、彼と一緒に喜ぶことができるのなら私はそれだけで嬉しかった。


朝の訓練が終わって、私は志貴ちゃんと一緒に森の奥にある川へ来ていた。
この川まで私を先導してくれた彼は、疲れからなのか、どこか元気の無い顔をしていた。
澄み切っていて透明な川の水は、近づくだけでその冷たさを感じるくらいの冷気を持っている。
少しでも彼に元気を出してもらおうと、私は思い切って水の中へ脚を入れてみた。

「きゃ…! 冷たい…でも、透き通ってて、とても綺麗な水…。ねぇ、志貴ちゃんも…」

「うん…。…ねぇ、せっちゃん。…烏族って、何?」

「!!」

ビクリ、と体が飛び上がりそうになる。
恐らく、里の人から聞いたのだろう。
烏族という存在が、『魔』に類する者であり、私もそれと同じ…いや、それ以上の化け物であるということを。

優しくて穏やかな性格の彼から、そんなことを聞かれるとは考えてもいなかった。
いつも私は遠ざけられていたから、こんなにも近くにいてくれた彼が離れていってしまうのが、
とても悲しく、辛かった。
でも、彼を騙す訳にはいかない。
…例え嫌われても、彼に嘘だけはつきたくなかったから。

「…烏族、いうんは…化け物のこと…。ウチもその烏族と同じ…ううん、それ以上の化け物なんよ…」

「里の人達もそう言ってた…。…でも、僕はそうは思わない」

「嘘…本来黒い翼を持つべき烏族の中で、ウチはたった一人白い翼を持って生まれてきたんよ…? ウチは化け物やから…ずっと一人でいた方が、周りの人のために…」


「違う…せっちゃんは、化け物なんかじゃないよ。だって、こんなにも綺麗なんだから」


言われた言葉は、心からの素直な言葉で。
とても直球で、直球過ぎて、私は思考が追いつかなかった。
遅れて彼の言葉の意味を理解し、川の水面に映った私の顔は一瞬で茹で蛸のように
耳まで真っ赤になっていた。

おずおずと後ろを振り返って見ると、彼は優しげな微笑みを浮かべながら私を見ている。
からかっているのか、とも思ったが、純粋過ぎる彼にそんな真似はできないだろう。
…というより、自分が言ったことの意味に気付いていないのではないだろうか?

「あ…そういえば、せっちゃんて白い羽を持ってるんだよね? 僕、見てみたいな…」

「…! でっ…でも…っ! あんな醜い姿…見せとうない…」

何でそう、彼は残酷な要求をするのだろう。
優しいとか、穏やかだとか、全部嘘だったのではないか。そんな風にすら思えてきた。
疑心暗鬼に捕われ始め、開きかけていた心の扉は、ゆっくりと閉じられていく。
…でも、結局心の扉は閉じられることは無かった。


――――彼の言葉を、聞いてしまったから。


「…大丈夫。どんな姿になっても、僕はせっちゃんのこと好きだから」





□今日の裏話■


「ん…どしたの、美砂?」

「…いいわぁ…」

頬を赤く染めて、志貴の去っていった方向へとうっとりとした視線を向ける美砂。
円は同じ方向へ視線を向け、志貴の容姿を思い出しながら肩をすくめる。

「ねぇ桜子。あの人、そんなに良かった?」

「んー…見た目はいい人っぽいのに、なーんか危険な感じがしたんだよねー」

「キケンな香り…いい響きだわ。あーん、誘えば良かったー!」

桜子の言ったことをどう受け取ったのか、美砂は更に陶酔したような表情を浮かべ、声をかけなかったことを後悔していた。
暴走し始めた美砂の頭に円のチョップが決まり、ストップをかけた。

「アンタは彼氏いるでしょーが…。でも、あの人のどこがそんなに良かったのよ?」

ふと、志貴のどこに興味を持ったのか不思議に思い、暴走を止めた美砂に訊ねてみる。

「そりゃあ…私達より年上なのに、どこか子犬ちっくな感じがあるところに決まってるじゃない。そのギャップがまたいいのよ!」

胸を張って堂々と答えた美砂に、円は呆れたようにため息をつく。
そんな彼女の隣で、桜子は唇に指を当てて呟いた。

「なーんか、あの人の近くから猫のいる気配がしたんだけどなー…」

         

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