【刹那】
「……で、そいつの変な動きのせいで、距離感が狂っちゃってまったく当たらないのよ」
「おや……何の話をしてるでござる?」
「お、楓。おはようアルー」
夕映さんとのどかさんの昨夜の説明については終わったらしく、代わってアスナさんが朝倉さんや古菲に、昨夜の志貴ちゃんとの戦いの話をしている。 HRまで後数分というところで楓が教室に入ってきて、たまたまアスナさんの話している内容が聞こえたのか、興味深そうに話の輪の中に加わっていった。 楓はアスナさんが話す昨夜のことを、頷きながら聞いている。
「……それで、そいつが……」
「……待つでござる。その黒髪の男性、黒縁眼鏡はしていたでござるか?」
志貴ちゃんとアスナさんの戦いの話になった時、楓が不意に真剣な声音でアスナさんに奇妙なことを聞いた。 彼は元々視力が良かった上、そんな暗殺の際に邪魔になりそうな物は身に着けたりしない。 それに私とお嬢様は、学園の奥の方から来た彼と擦れ違っているのだから、間違いようが無い。 妙なことを聞く楓を不思議に思いながら、昨夜の出来事で未だ動揺する心を落ち着かせるために、再び窓の外へと目をやる。
「えっと……商店街近くの道で会った時は、してたわよ。でも、学園前で会った時はしてなかった。私が戦ったソイツは、眼鏡はしてなかったけど……瓜二つってくらいにその黒縁眼鏡した人に似てたわ」
「――――え?」
だが、私の予想に反して、アスナさんは奇妙なことを口にし始めた。 彼は、学園の奥の方から歩いてきたはず……。 学園の奥から歩いてきた志貴ちゃんと擦れ違い、そしてそのまま学園前へと歩いていった姿を、私とお嬢様が確かに見ている。 商店街方面から学園前の方へ歩いてきたと言うのなら、私とお嬢様は彼に出会うはずが無い。
「ふむ……おかしいでござるな。その時刻、その黒髪に黒縁眼鏡の男性は郊外の森にいたでござるよ?」
「……あれ? そういえばあの眼鏡の方の人、ネギの杖に乗って一緒に森の方に向かって……」
「おはよーっ!! かえで姉ー!!」
「おはようございますー。何話してたですか?」
アスナさんは楓に言われて首を傾げながら何か呟いていたが、魔法に関わっていない鳴滝姉妹が入ってきたので、皆で他の話題にすり替えて何とか誤魔化している。 しかし、楓やアスナさんの言葉からすると、昨夜私達が出会った殺人鬼へ変貌してしまった『彼』と、アスナさんと楓が会ったという黒縁眼鏡をした『彼』の二人がこの町にいるということになる。
これは一体、どういうことなのだろう……?
〜朧月〜
【愛衣】
「お姉様、昨夜のことは……」
登校途中、私はお姉様の後をついて歩いていた。 昨夜、お姉様の『黒衣の夜想曲』は、志貴さんに一撃で破られた。 あの後からずっと、お姉様は深刻な表情を浮かべて、何かを考えているように見えた。
「……愛衣。……私のアレが消える直前、志貴さんは確かに眼鏡を外したのよね?」
「え? え、ええ……確かに眼鏡を外して、短刀でお姉様の魔法を消し去りました」
私の答えを聞いて、お姉様は道端で立ち止まり考え込む。 気付くのが遅れてお姉様を追い越してしまい、急いで戻りお姉様の隣に立つ。
――――私も最初、目の前で起きたことが信じられなかった。
お姉様を守る巨大な影人形の防御は固く、武闘会ではネギ先生の強力な一撃すら防いで見せた。 しかし、その堅固な守りが、何てことは無いただの短刀の一撃で崩される……否、消滅させられたのだ。 音も無く影人形の背に突き刺さった短刀からは、何ら魔力的なものは感じなかった。 それは志貴さんが気絶しているうちにしっかりと調べたのだから、間違い無い。 他に考えられるようなことといえば……。
「……愛衣、あの眼鏡は調べた?」
「え……いえ、普通の眼鏡だと思っ、て……?」
ふと、何かが引っかかる。 気絶した志貴さんを保健室に運び込んで、着けたままの眼鏡を外した時に感じた微弱な魔力。 その時は、単にちょっとした魔力が付与された眼鏡だと思い、大して気にせずに置いたのだが……。
「まさか……魔眼、殺し……?」
「そう、それもかなり精巧に造られたものよ。そして……私の『黒衣の夜想曲』を消滅させたのは、彼の持つ……何らかの『魔眼』」
――――『魔眼』。
様々な効力を持つ魔眼が確認されているが、代表的な効果の例を挙げるならば、『魅了』や『石化』などであろうか。 ギリシャ神話のメドゥーサが持つ『石化の邪眼』などが、一番代表的だろう。 しかし『魔眼』というものは、その眼で見た対象のものに、何らかの効力を与えるのが普通だ。
「でもお姉様。眼鏡を外した志貴さんと視線を合わせた私は、何とも無いんですけど……」
突如お姉様の背後に姿を現した志貴さんが眼鏡を外し、短刀を影人形の背に突き刺して消滅させた直後、私は彼と目を合わせてしまっている。 冷たく光る蒼い彼の眼に射抜かれた時、私は恐怖と同時に陶酔したように惚けてしまっていた。 しかし、影人形が彼の魔眼によって消滅させられたのなら、目を合わせた私も消滅していなければならないはずだ。 いや、それ以前に魔法を消滅させる魔眼など、在り得るのだろうか?
お姉様と考え込んでいてふと顔を上げた時、ある人物がお姉様の背後に立っていることに気付いた。 私は慌ててそのことを教えようとしたが、お姉様は背後の人に気付かずに口を開く。
「……魔眼所有者、という考えは当たっていると思ったのだけれど……」
「魔眼所有者、か……。高音君、愛衣君、その話を詳しく聞かせてもらえないかい?」
お姉様は驚いて振り返り、声の主が高畑先生だと気付くとバツの悪そうな表情へと変わる。 昨夜、高畑先生から危険だから外に出ないように言われたが、私達はそれを聞かずに出歩いていたのだ。 お姉様が責任に問われると思い、庇うために私が口を開こうとした時、シスター服の女の子が凄い勢いで横を駆け抜けていった。
「おっと……美空君! ちょっと来てくれ」
「へ? ……あ、高畑先生。どうかしたんですか?」
少し走り過ぎ去ったところで急停止して戻ってきたシスター服の少女は、ネギ先生の担当する3−Aの春日美空さん。 シスター・シャークティに師事していて、陸上部に所属しているせいか足が速かったのを覚えている。 ……主に逃げ足が。 高畑先生は、私達に学園長先生が呼んでいることだけを告げると、何の咎めも無く歩み去っていった。 しかし、学園長先生が呼んでいるということは、今回の事件がそれだけ重大だということなのだろう。 私とお姉様は表情を引き締め、学園長室へと向かう。
……ちなみに美空さんは、やる気無さそうな大きなあくびをしながら、私達の後ろをゆっくりと歩きながらついてきていた。
☆
□今日の裏話■
「ふーん……黒縁眼鏡に黒髪の男性で、昨夜商店街の方で会った時は茶のパーカーに黒のジーンズを着てたワケね?」
メモ帳を懐から取り出した朝倉和美は、アスナから聞き出した男の特徴をそこに書き込んでいく。 アスナが事細かに聞いてくる朝倉の手帳を覗き込むと、そこには聞きだした情報から想定されることなども書かれていた。
「……朝倉、捜してくれるの?」
「まあねー。任せなさいよ、私にはとっておきの情報源があるんだから。ね、さよちゃん?」
『あう……あんまり遠くまでは行けないと思いますよ? 何と言っても自縛霊ですから』
朝倉はすぐ隣で浮かんでいる自縛霊――――相坂さよに笑いかける。 彼女は朝倉の隣の席…通称『座らずの席』の主で、六十余年近く自縛霊としてそこにいた。 自縛霊と言っても、怖がりなので至って無害と言ってもいい。 その姿を見るのは魔法使いであってもかなり難しいらしく、朝倉は隣の席だからという理由で見えるらしい。
「ん……まあ、そりゃそうかもしれないけど……。気をつけてよ、さよちゃん。……あの男の人、霊すら殺しそうな気がするもん」
『はい〜、それじゃあちょっと見てきますー。朝倉さん、授業の方お願いしますね』
さよは学園から外に出ると、朝倉に教えられた特徴を持った男性を空から捜し始めたのだった。 |