【アスナ】
転んで土塗れになった顔を洗って戻る途中、本屋ちゃんと夕映ちゃんの姿を見かけて、少し気になったので近づいてみる。 しゃがみ込んだ二人の背中越しに覗き込むと、黒い塊……じゃなくて、さっき会ったばかりの黒猫のレンちゃんがいた。 影の動きで私に気付いたのか、夕映ちゃんが驚く事無く振り向く。
「アスナさん? ……ああ、この黒猫は……」
「知ってる。レンちゃんっていうんでしょ? さっきもチーズケーキ食べてたけど、よっぽど好きなのねー」
(甘いものは別腹)
ちらりとこちらを見て言った、レンちゃんのその女の子らしい言い訳に、ついクスリと笑ってしまう。 私から視線をチーズケーキに戻すと、レンちゃんは再び食べることに没頭し始めた。 しかし本屋ちゃんや夕映ちゃんがレンちゃんの頭に手を伸ばすと、食べるのを止めて撫で易いように軽く頭を下げる辺り、レンちゃんが心遣いの出来る優しい子だというのがよくわかった。
「……私もちょっと撫でてみたい」
「あ、アスナさんもどうぞー……」
本屋ちゃんが退いてくれた場所にしゃがんで、撫で易いように下げてくれたレンちゃんの頭を撫でてみる。 撫でている最中に、ふとさっきの黒いコートに黒い大きなリボンをしたレンちゃんの姿を思い出し、昨夜の白い少女の姿がそれに被った。
……でも、今私が撫でているこの子が、昨夜の白い少女と同じ存在だとは思えない。 聞いてみたかったが、結局何も聞けないままレンちゃんは本屋ちゃんと夕映ちゃんの持ってきたケーキを食べ終えてしまった。 けれど、その去り際にレンちゃんは一度私達の方を振り向いて行儀良く座って――――
(ごちそうさま。……このかにも美味しかった、って伝えておいて)
そう言うと、中庭の茂みへと姿を消していく。 それを聞いて、さっきまで白い少女と同一人物だと疑っていた私の気持ちはすっかり消え去ってしまった。
――――黒いリボンのレンちゃんは、昨夜刹那さんに残酷なことを言い放った白いリボンの少女とは違う。 直感でしかないが、私はそう確信したのだった。
〜朧月〜
【さつき】
「……この男の名は、ズェピア・エルトナム・オベローン。私の祖先であり、アトラス院の院長だった男……そして死徒二十七祖九位、アルトルージュ・ブリュンスタッドとの契約によって、千年後の紅い月の時までタタリという現象の存在となる力を得た死徒です」
シオンは、タカミチさんに渡された紙に描かれた男性――――ワラキアの夜となる前の死徒……ズェピアという男性について話し始めた。 その表情は苦々しいもので、その名を口にするのも嫌な様にも見える。 タカミチさん達は時折紅茶を口にしながら、真剣な顔でシオンの話に耳を傾けていた。
「本来、ワラキアはこのようなカタチは持ちません。この姿になったのは――――恐らく、あの白猫にタタリとしての力を奪われ、創り出された存在だからでしょう」
「そう、か……。つまり事件解決に至った訳ではない、という訳だね」
「――――タカミチ。その言葉からすると、既にズェピアが倒された……と判断できるのですが?」
紅茶に手を伸ばしかけたシオンが、タカミチさんの言葉に動きを止める。 タカミチさんは紅茶を一口飲んだ後、苦笑しながら口を開いた。
「そのズェピアという男の似顔絵を描いてくれた子が描いてくれたんだが……」
そう言ってタカミチさんは苦笑しながら、もう一枚の紙を差し出してくる。 シオンが受け取った紙を覗き込むと、そこには――――かなり美化された遠野君が描かれていた。 何とゆーか……さっきの絵も充分上手かったけれど、こっちは更に念入りに描かれていて、背景には花まで咲いている。 そっとシオンの顔を覗き見ると、顔の頬が怒りに引き攣っていた。
「えっと……彼が君達の捜している遠野志貴君、でいいのかな? 彼がそのズェピアという男を倒してくれたらしい」
「あ……そ、そうなんですか。シオン、遠野君が倒したって――――」
「くっ……遅かったか……。今のところ確実なのは、高音とこの絵を描いたココネなる子……。いや、あの志貴のことだ。他にも十人近く落としていてもおかしくない……!」
……とりあえず、今のは聞かなかったことにしておこう。 ブツブツと呟いてまた暴走を始めたシオンを見て、タカミチさんと愛衣さんは乾いた笑みを浮かべていた。 そんな中、それまで黙って聞いていた高音さんが話しかけた。
「シオンさん、このココネさんは十歳ほどの女の子です。心配なさるようなことは――――」
「……高音、甘い。貴女は志貴を甘く見過ぎている。志貴は例え十歳であろうと、女の子であれば食っちまうような獣(ケダモノ)なのですから。例えば、志貴の使い魔である黒猫――――――――」
……また会話がおかしな方向に向かい始めた……。 タカミチさんは煙草を吸いに室外へ行き、愛衣さんも所在無さ気に紅茶を啜っている。 私が無駄だとは思いつつもシオン止めようと思って顔を上げてみると、シオンは真剣な表情で何か考え込んでいた。
「シオン、どうかしたの? まさか……何かわかったとか……」
「……ええ、確実ではありませんが……。あの白猫は黒猫から分かれた存在だと考えるならば、志貴を好いている。ならば志貴を独り占めせんと画策して――――!!!」
――――力説するシオンとそれに賛同する高音さんだったが、その説があながち的外れではなかったことがわかるのは、もっと後の話である。
……アホくさ。
☆
□今日のNG■
「くっ……遅かったか……。今のところ確実なのは、高音とこの絵を描いたココネなる子……。いや、あの志貴のことだ。他にも十人近く落としていてもおかしくない……!」
その頃の遠野志貴――――
「ふぇ……ふぇっくしゅっ!! ……うぅ……風邪ひいたかな……」
超包子のカウンター席から、大きなくしゃみが響く。 この町に来て以来、風邪をひきそうな心当たりがあり過ぎた。 志貴は情けない表情を浮かべながら、軽くため息を吐く。
「……これ、どうぞ……」
「あ……ゴメンね、気を使わせちゃって」
差し出されたティッシュを受け取りながら、五月に礼を言う。
「……志貴は例え十歳であろうと、女の子であれば食っちまうような獣(ケダモノ)なのですから」
「――――何だろう……凄く、人格的に否定された気がする……」
涙がポロリ。 何故だか知らないが、志貴は酷くショックを受けていた。
――――……まあ。ある意味事実であることは、言わぬが花であろう……。 |