Act3-37


【エヴァ】


「フン……面白くない」

 志貴を引き取って帰るつもりだったのが、手ぶらで帰らされることになるとは思わなかった。
 まあ……それについては明日、ジジイに直談判して私の家に住まわせることを認めさせればいい。
 私を不機嫌にさせている理由。
 それは――――

「何だ、桜崎刹那のあのツラは……!」

 麻帆良武道会で剣も幸福も選ぶなどとぬかしていたが、先程見た桜崎刹那はまるで道に迷った子供のようだった。
 迷いを捨て切れぬ者に、何を守り、何を得られるというのか。
 加えて、刹那は志貴に何らかの感情を抱いている。
 自らで否定しているようだったが、恐らくは――――思慕。
 更に迷いを重ねるかのようなモノを抱え込んで、刹那は自らの力を揮えなくなっているようだった。


「マスター、到着しましたが……」

「完璧ニ聞イテネェナ。ソンナニ志貴取ラレタノガ気ニイラネェンダッタラ、ヤッチマエバ良カッタジャネーカ、ゴ主人」


「……喧しいぞ、そこ」

 低い声で威嚇するように、後ろにいた茶々丸の頭の上に座ったチャチャゼロを睨む。
 まあ、確かに志貴を引き取れなかったことも気に入らないが、腑抜けた刹那が何よりも気に入らなかった。
 ……とはいえ、あの『このかお嬢様一筋』の刹那が、ああも容易く志貴に靡くというのもおかしい話ではある。
 だとすれば、考えられるのは志貴と刹那が過去に面識があったという可能性、か。

――――それと。
 志貴と刹那の間に、何か因果めいた『力』を感じた。
 そう……例えるならば――――――――


 ……もしかすると、この二人の過去には何かがあるのかもしれんな……。




〜朧月〜




【刹那】


 ネギ先生が去ってから、遠野シキの眠るベッドの隣に腰を下ろす。
 その寝顔はまるで――――死んでいるのではないかと思うくらいで、小さく上下する胸の動きでようやく生きているとわかる程だった。
 黒縁眼鏡を外して眠るその顔は、まさしく志貴ちゃんそのものでしかない。
 ……あの殺人鬼となってしまった志貴ちゃんは、確かにこの男が退魔の血を引いていると言った。


『手出しするなよ、志貴。……何せコイツは、『退魔』の血を引くお前を殺そうとした『化け物』なんだからな』


「『化け物』……」

 自分の手の平に視線を落とし、呟く。
 脳裏に浮かぶのは、昨夜の血に塗れたもう一人の私の姿。
 アレは――――『化け物』以外の何者でもなかった。
 その姿に、記憶に無いはずの、血に塗れて哂う幼い頃の私の姿が重なる。
 同時に、手の平が血に塗れるのを幻視して、ビクリと体を震わせる。

「違う――――! ……私、は……」

 力無く否定する私を、心のどこかであの血塗れの私が嘲笑っているような気がした。
 否定しようの無い事実を、滑稽なまでに否定しようとする私を、『無駄なことを』と哂っている。
 私が烏族の血を――――それも白い翼を持つ、忌み嫌われし血を引いていることは覆しようのない事実。
 それは修学旅行で起きた事件で振り切れた――――そう、思っていた。

「ん……」

「っ!!」

 突然聞こえた小さな声に、胸が飛び出さんばかりに驚いた。
 声の主は、変わらず死んでいるかのような寝顔をして静かに眠っている。


『どんな姿になっても、僕はせっちゃんのこと好きだから』


 その穏やかな寝顔を見て、幼い頃に聞いた優しい言葉を思い出す。
 幼い頃、私が『化け物』であることを否定してくれた男の子の言葉は、確かに私の救いになっていた。
 だが……『化け物』と私を言ったのも、同じ男の子の言葉だった。


――――違う。アレは……殺人鬼になったのは偽者で、目の前で寝ているのが本物の志貴ちゃんだ……!


 心の中の誰かが、そう叫ぶ。
 目の前で眠る彼が、本物の志貴ちゃんだと信じたい気持ちは確かにある。

 ただ……七夜の頃の記憶が無いということが心に引っかかった。
 ネギ先生の話からすれば、確かに記憶が無いということについて納得は出来る。
 彼が七夜であるという証は無く、本物の『遠野』であるかもしれない可能性がある限り、信じることは出来ない……そう、ネギ先生に言ったが――――かの『七夜』の技は、その血を引く者のみが可能とする外れた暗殺術。
 戦っている最中、私は冷静さを欠いてしまい斬りかかってしまったが、その事実からすると彼が志貴ちゃんであるという可能性は高いと思えた。

 それでも、私はネギ先生に彼を志貴ちゃんだと認めないと口にしていた。
 どうやら今の私は、何もかもちぐはぐになっているらしい。
 心では彼を志貴ちゃんとして認めたいと願っているのに、口はそれを否定し、頭はそれを最善だと判断する。
 言葉で正しそうなことを言っている間、私の心の中で誰かが囁いていた。

――――私は彼のことを覚えているのに、何故……彼は私のことを覚えていてくれない?

 そんな理不尽でくだらない感情が、私に彼を志貴ちゃんだと認めさせなかったのだ。
 それはまるで――――――――



「刹那さん? 交代しますから、休んでください」

「あ……は、はい……」

 愛衣さんの声が聞こえ、ふと時計を見ればもう結構な時間が経っていた。
 医務室から出る直前に振り返って見ると、相変わらず死んでいるかのような安らかな顔で眠り続ける、遠野――――志貴。


 心を締め付けてくるかのような感覚を振り切るように、私は彼から顔を背けて逃げるように医務室から出たのだった……。


□今日の裏話■


「それでは愛衣さん、お願いします。……交代は午前二時ごろでいいですか?」

「はい、わかりました」

 何か考え込んでいたらしい刹那さんは、いつものしっかりとした表情に戻っている。
 けれど、私が医務室に入った時の刹那さんの表情は、どこか辛そうに見えた。

「あの……無理、しないでくださいね」

「――――……ありがとうございます、愛衣さん」

 軽く会釈して去っていく刹那さんの背中に声をかけると、刹那さんは振り向いてきょとんとした表情を見せた後、少し悲しそうな笑顔で礼を言って医務室から出て行った。
 予想でしかないが、恐らく志貴さんに関わることなのだろう。
 ……無意識なのかもしれないが、私が医務室に入った時、刹那さんは志貴さんを悲しそうな表情で見つめていた。
 さっき、まるで仇を討たんばかりに志貴さんに対して刀を振るっていたので、刹那さんにとって許せない存在なのかと思ったが、今の刹那さんは――――志貴さんを斬ってしまったことを酷く後悔しているように見える。

「さつきさんとシオンさんの話からすると、志貴さんは凄くいい人らしいけど……。刹那さんとの間に何があったんだろう……?」

 ……何だか、酷く気になる。
 謎の力を持った優しげな男性が、神鳴流剣士の女の子から憎しみの刃を向けられる。
 まるで何かのドラマの始まりのようなストーリーに、胸がドキドキしてきた。


――――……背後の医務室の窓から感じる視線には、もっとドキドキだけど。


 ……へるぷみー!!!


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