【刹那】
「――――ん?」
学園長室へ向かっている途中、私の前を歩いていた遠野志貴が突然足を止める。 振り向いて天井を見上げている彼の視線の先を辿って見るが、何ら変わった点は見られない。 先に進むよう促そうと顔を戻すと、彼は眼鏡の縁に指をかけて少し下へずらすと、裸眼で再度天井の辺りを見上げた。 そして集中するかのように目を細めた、次の瞬間――――
「っっっ……?!」
ぞくり、と背筋が粟立つ感覚と同時に、心臓がバクバクと激しく脈打ち始める。 彼の瞳は、まるで烏族に囲まれたあの時のように――――いや、あの時以上に蒼く、冷たい輝きを放っていた。 そのまましばらく何かを呟いていたが、やがて目を閉じて眼鏡を元に戻すと、こちらに視線だけを寄越す。 胸に手を置いて、未だに続いている激しい動悸を何とか落ち着かせようとするが、一向に治まる気配を見せない。 そんな私に気付いたのか、ネギ先生とお嬢様が近づいてくる。
「せっちゃん、どしたん? 大丈夫?」
「刹那さん、大丈夫ですか?」
「――――は、い。大丈夫ですから、ネギ先生もお嬢様も気にしないでください」
深呼吸をして大きく息を吐き出すと、まだ小さく動悸はしているものの、とりあえずは治まってくれた。 心配そうな顔を向けてくる二人に笑顔で返し、横目で遠野志貴を確認する。 遠野志貴は――――天井の辺りを見上げて、苦笑めいた笑みを浮かべていた。 ネギ先生もそれに気付いたのか、遠野志貴に話しかける。
「志貴さん、何かあるんですか?」
「ん? あ、ああ……ちょっと、ね」
言葉を濁しながら苦笑すると、再び天井の辺りを見上げ――――小さく、一言だけ呟いた。 聞き取りづらかったが、微かに聞き取れたのは「おいで」という言葉。 眼鏡を直した後に再び天井を見上げていたが、視線は定まっておらず、広範に渡って視線を巡らせていた。 さっきのあの蒼い瞳……アレが七夜の『淨眼』だとすれば、遠野志貴は天井の辺りにいた『何か』を視ていたということになる。 『淨眼』で視えて、私達に見えないもの。 ……はて、何か身近にいたような気が……?
「……あ」
相坂さよ。 麻帆良学園中等部、三年A組一番。 3−A教室最前列窓際の席に憑いている、自縛霊。 私や龍宮ですら気付けなかった、恐ろしく隠密性の高い存在。
龍宮の魔眼でその姿を捉えることができたらしいが、七夜の『淨眼』もまたそういった見えざるモノを視るための瞳だ。 もしかすると、遠野志貴は相坂さんを視ていたのかもしれない。 だとすれば――――……いや、判断するには早計過ぎる。 下手をすれば、さっきのは何者かを手引きしていた可能性も充分あり得る。
――――いや……考えるな。 今の私はお嬢様の護衛としてあるのだから、今は彼のことで現を抜かしている場合ではないのだから。
〜朧月〜
【さつき】
麻帆良の町の大通りから逸れた場所にある、路地裏。 町の大きさに比例するのか、路地裏といってもかなり広い。 私はトボトボと歩きながら、深く重いため息をその路地裏の空間へと吐き出す。
「うぅ……今頃、シオンは遠野君に会ってるのかなー……」
『遠野君に会えるかもしれない』。 急なことで心の準備が出来ていなかった私は、それを聞いた途端にタカミチさんの車の扉を押しながら町中を走っていた。 まるで機動隊が盾を持ってデモの人達を押し戻しているようなその姿は、はっきり言って傍目から見ても見てなくても異常である。 町行く人の注目の的になったのは言うまでも無く、こっ恥ずかしさに顔を真っ赤にさせながら、とにかく頭に浮かんだ身を隠せる場所――――路地裏へと向かってダッシュしてきたのだ。 とはいえ、遠野君に会えるせっかくのチャンスだったというのに、私はそのチャンスをみすみす逃してしまった訳なのである。 それが非常に勿体無く思えてきて、今こうして重苦しい後悔のため息を吐き出しているのであった。
「死んでもいいから、会っておけば良かったかなぁ……」
「元から死んでるってのに、これ以上死にようがねぇだろ」
「あはは、それ言えてる……って、誰っっっ?!!」
私の呟きに突っ込んできた誰かの声に笑い返して、はたと気付く。 そして瞬時に身構えながら、声の聞こえた方向を睨み据える。 建物と建物の間に腰を下ろした人影。 顔が建物によってできた日陰で遮られていてよく見えないが、今の声は確かに聞き覚えがある。 そして、ガロガロという音と共にこちらへと転がってきた――――見覚えのある、缶コーヒー。
「遠野……四季」
「よう。こうしてまともに話すのは、お互い幽霊になって以来か。――――つってもそのツラじゃあ、そん時のことは記憶にございませんって感じだな」
遠野四季のセリフに、私は訝しげな顔を浮かべる。 私のその顔を見たのか、建物の隙間にできた闇の中から大きなため息が聞こえた。 油断せず身構えながらも、頭の中で色々と思い出していく。
幽霊になって以来……確か、私は遠野四季に血を吸われた後、その衝動の赴くままに人の血を吸って吸血鬼と成り、夜の公園に遠野君を呼び出して――――そして、彼に殺された。 私という存在が消えていく中で、自分が死ぬ最期の瞬間に見た遠野君の顔が酷く悲しそうだったのを覚えている。 それで死んだと思ったのに、気付けば私は幽霊のような存在になっていて、この世ではないどこかを彷徨っていた。 そこで会ったのが――――
「……お、その顔からすると、思い出したか? さすが、他とはスペックが違うねぇ。いや、スペックは関係ねぇのか?」
思い出して呆けたようにポカンと口を開けた私の顔に気付いたのか、屈託の無い笑顔が建物の影から姿を見せる。 姿を現した白い髪に紺色の着物の男――――遠野四季は缶コーヒーを片手に、近くに置かれていた手頃な木箱に腰を下ろす。 私を吸血鬼にした張本人である遠野四季からは、殺気らしきものは一切感じられず、憮然としながらも多少警戒を解く。 ――――どうやらこの遠野四季は、私を吸血鬼にした存在……ロアとは別物らしい。
「ま、お前の血を吸ったのは俺だからな。一応、お前の『親』という扱いにはなるらしい」
「……不愉快だけど、何となく覚えてる。はぁ……こんなのの言うこと聞かなきゃいけないなんて、私って不幸だなあ」
「こんなのとはひでぇな。だが……何、そう悲観したモンじゃねぇ。お前も志貴を助けたいんだろ? なら、目的は一緒。俺達は協力関係にあるって訳さ。つー訳で……今知ってること、全部話せ」
木箱の上に横になり、ニヤニヤと笑いながら命令してくる。 当然こっちに拒否権は無いから、私も近くの廃材に腰を下ろして、今知っていることを話し始めた。
「なるほどなぁ……まあ、お前のことだから志貴に会えちゃいねぇとは思ってたが、何にしろ悪い状況には無さそうだな」
「一言多いー……。……でも事実だから言い返せないー……」
知っていることと言っても、私は大して詳しく知っている訳でもないので話はすぐに終わる。 一言多い遠野四季に文句の一つも言ってやりたいところだが、事実なので言い返されて私の方が言葉に詰まるのが目に見えていた。 ……シオンとの付き合いの中で覚えた、『諦める』という高等技術である。
「しかし……何だなぁ。ホント、アイツも騒動に事欠かねぇよなあ……」
そう呟いた遠野四季の横顔は、純粋に楽しそうで。 その笑顔が、遠野君と笑い合っている時の乾君の笑顔に似ていて、去年のある日までのことをまるで昔のことのように懐かしく思いながら路地裏から覗く空を見上げる。
――――戻りたい、なあ……あの頃に。
☆
□今日の裏話■
「――――ん?」
ここ麻帆良学園の学園長室へと向かっている途中、ふと後ろから何かを感じて振り向く。 後ろにいた刹那ちゃんが突然振り返った俺を見て訝しげな顔をしているが、その何かが敵である可能性もあるので、気にせず何かを感じた方向へ視線を巡らす。 敵かもしれないと言ったが、実を言えばその何かを、俺はどこかで感じたことがあるような気がしていた。 ふと、この町で出会ったある女の子の姿が脳裏を過ぎり、眼鏡の縁を上から押してずらす。
「――――――――くっ……!」
これまで歩いてきた廊下に、壁に、天井に走る、黒い罅。 吐き気すら催すが、その中で天井におかしな『線』を見つけた。 更に意識を集中させることで、この『直死の眼』の元となった『淨眼』を発動させる。 すると――――
「……やっぱり、さよちゃんだったか」
『あ……お、おはようございます、志貴さん。でも、どうしてここに?』
「ん……まあ、色々あってね。状況に流されるままに、ってトコかな」
ズキリ、と頭痛に顔を顰めながらも、話ができて嬉しいのか笑顔を浮かべるさよちゃんに何とか笑顔を返す。 ふと訝しげな顔を浮かべていた刹那ちゃんのことを思い出し、眼鏡を元に戻して刹那ちゃんの方へと視線を向けた。 刹那ちゃんは、どうやらこの『直死』の殺気に中てられたことで動悸が襲ってきたのか、胸を押さえて少し蒼い顔をしている。 少し胸が痛むが、さよちゃんの会話は早めに切り上げるとしよう。 再度『淨眼』を発動させて彼女の姿を確認すると、会話を切り上げる旨を告げる。
「ゴメン、さよちゃん。そろそろ眼を使うのが辛いから――――またね」
『は、はい。こちらこそゴメンナサイ、無理させちゃって』
すまなそうな顔で謝ってくるさよちゃんに苦笑を返す。
「志貴さん、何かあるんですか?」
「ん? あ、ああ……ちょっと、ね」
刹那ちゃんを心配してこちらへ来ていたネギ君が、苦笑している俺を見て不思議そうに話しかけてきた。 特に問題があるという訳でもないが、この眼のことについて詳しく述べるのは避けたいので、とりあえず言葉を濁しておく。 ネギ君は首を傾げてはいたが、特に気にする風も無くアスナちゃん達の下へと戻っていった。 俺もその後に続きながら、最後に一度振り返ってさよちゃんのいた辺りに向けて、
「おいで」
そう、一言だけ告げておいた。 幽霊という孤独な立場にある彼女が、せめて寂しくないように。 ……まあ、孤独なのかどうかは知らないが、とにかくそれだけ告げてネギ君達の下へと急いだのだった。 |