Act4-14


【のどか】


「いぃぃぃやあああああああああああああーーーーーっっっ!!?」


 校舎に私の悲鳴が響き渡る。
 学園長先生の部屋で今回の事件についてのお話が終わり、学園を出ようと廊下を歩いていたその時、私達の前にそれは現れた。
 上から下まで、半身だけ体の中身が見えている人形――――理科室の人体模型が歩いている。
 普段の状態でも十分怖いというのに、今私達の前に立っている人体模型の右半分……脳味噌や筋肉や臓器が剥き出しになっている方は、生々しい色を持ってどくんどくんと脈打っているのだ。

「ななな何よ、あれーっ?!!」

「多分……タタリだと思う。この学園にある怪談か何かを祟ったんだ」

 あんなものが出た時点で即刀を手にして構えていそうな刹那さんはここにおらず、このかさんと共に学園長室に残っている。
 アスナさんもあの生々しさに気圧されているのか、嫌そうな顔で後ずさりしながら動く人体模型を指差し叫ぶ。
 嫌そうに下がるアスナさんとは逆に、鉄の棒のようなものを片手に前に出た志貴さんがそれに答えるように呟く。
 タタリ――――さっき学園長先生のお部屋でシオンさんが話していたが、それはネギ先生から聞いたとおり、人の持つ『恐怖』や『不安』の噂が実体を持つというモノらしい。
 学園に来る途中、電車の中で志貴さんが話してくれていたとおり、今私達の目の前にいる『動く人体模型』は、学校によくある怪談話に対する『恐怖』が形を持ったということなのだろう。

「くっ、もう動き出しているなんて……。皆さん、気をつけてください!」

 ネギ先生は険しい顔で私達に注意を促した後、志貴さんと共に動く人体模型の前に立つ。
 志貴さんが手に持っていた鉄の棒は飛び出しナイフだったらしく、パチン、という音と共に刃が飛び出す。
 そのナイフを順手に持ちながら構えもせずにただ自然体で立ったままの志貴さんと、体に魔力を纏わせながら身構えるネギ先生。
 一歩ずつゆっくり、ゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる人体模型が後数歩という所まで近づいたところで、ネギ先生が右手に雷を纏わせながら跳び出す。

「はああっ!!」

 力強く踏み出すと同時に、人体模型の腹部に雷を纏わせた右手を撃ち込む。
 人体模型はまるで人間のように、くの字に体を曲げて吹っ飛んでいった。
 そして体が吹き飛ぶと同時に、人体模型の頭部が取れて宙を舞う。
 だが、その人体模型の頭部が廊下に落ちることは無くふわりと空中で止まり、右半分の顔の筋肉や脳を露出させたままニヤリとした嫌な笑みを浮かべた。
 その異常な笑みに私の背筋は凍り、体は恐怖に震え、一歩も動いてくれない。

「あ――――」

 皆が宙に浮いた人体模型の頭部に気を取られている中、私はネギ先生の背後で人体模型の体の方が立ち上がり、ネギ先生目がけて跳びかかろうとしている姿を見つけた。
 それと同時に、牙を剥き出しにした鬼のような形相の人体模型の頭部が、志貴さん目がけて襲いかかって行く。

「ね、ネギせんせー! 後ろーっっっ!!!」

「っ! アニキ! 胴体の方が動いてる!!」

「え……うわっ!?」

 宙に浮いた人体模型の頭部に気を取られていたネギ先生が危険だと思い、咄嗟に叫ぶ。
 それで自分が狙われるとか、そんなことを気にしている余裕は無く、無我夢中で叫んでいた。
 ネギ先生は跳びかかってきた首無し人体模型の手を辛うじて避け、擦れ違い様にその脇腹へと拳を叩きつける。
 人体模型の胴体は、ネギ先生の一撃に体を横にくの字に曲げながら吹き飛び、壁にぶつかってゴロゴロと地面に転がった後、元の人形めいた体に戻って動かなくなった。

「志貴さんっ!」

 胴体の方が動かなくなったのを視界の端で確認しながら、ネギ先生は人体模型の頭部へと意識を向ける。
 目を向ければ、人体模型の頭部は志貴さんへと向かって急降下していくところだった。
 志貴さんは特に慌てた風も無く、体勢を軽く下げた後――――


「蹴り――――穿つ」


 迫り来る人体模型の顔面へ、志貴さんの蹴り上げが勢い良く決まる。
 反動で廊下の天井に激しく叩きつけられた人体模型の頭部は、ぐしゃり、と嫌な音を立てながら地面に転がり、元の人形めいた人体模型へと戻っていった。
 胴体の方もネギ先生の一撃で沈黙したらしく、いつもの人体模型の姿のまま廊下に転がっている。
 志貴さんはふわり、と音も無く廊下に着地すると、色の無い瞳で人体模型を見つめていた。

「ふぅっ……のどかさん、助かりました」

「い、いえ。その……ネギ先生が無事でよかったです」

「嬢ちゃんが叫んでくれなけりゃ、俺っちも気付けなかったぜ」

 一つ息を吐いたネギ先生が、優しい笑顔で礼を言う。
 既に気付いていたかもしれないけれど、ネギ先生の助けになれたなら嬉しい。
 志貴さんが人体模型に近づいていくのを見て、ネギ先生もそれに続く。
 ネギ先生は志貴さんと話しながら人体模型に手を触れてしばらく調べた後、立ち上がっていつもの笑顔でもう大丈夫だと告げてくれる。


 その笑顔に安心したけれど……今後、人体模型を見るとあの脈動する人体模型の半身を思い出してしまいそうで、私は気付かれないように小さくため息を吐いたのでした。




〜朧月〜




【刹那】


 集会が終わった後、私とお嬢様は学園長先生から話があるので残るよう言われた。
 学園長室には私とお嬢様の他に、高畑先生やネギ先生達を除いた魔法先生と魔法生徒が残っている。
 この部屋の主たる学園長先生は私達に背を向け、無言のままじっと窓から外を眺めていた。
 恐らく……私に話があるというのは、学園長先生ではなく――――

「……学園長、彼を――――遠野志貴をこのまま女子寮の警備にさせるつもりですか?」

 しばらくの間沈黙が続いた後、一歩踏み出したガンドルフィーニ先生が重々しく口を開く。
 やはりそのことか、と思う。
 何となく、予想はしていた。
 魔法先生の内数名は、色々と隠している素振りを見せていたシオンさんを、明らかに不信の眼差しで見ている。
 私はそのシオンさんの知り合いだという遠野志貴を、女子寮の警備員室に泊まらせることを提案した。
 ガンドルフィーニ先生の言葉に、私に対して厳しい視線が向けられるのを感じる。

「元は七夜だとか言っていましたが……所詮混血殺しの暗殺者。しかも『魔法』も『気』も扱えぬ一族。そんな男が二十七祖と戦うなど……ただの足手纏いにしかなりません。泊める必要は無いので、早々に町から退去させてしまった方が良いのでは?」

「ふむ……君の言うとおり、彼が『魔法』も『気』も扱えぬというのならば――――女子寮にいる刹那君であっても押さえることは容易い。ネギ先生もおるしの。……女子寮の警備員室に彼が泊まったとしても、特に問題は無いのではないかね?」

 背を向けたまま言った学園長先生の言葉に、ガンドルフィーニ先生もこちらへ不満そうな視線を向けてきた。
 変わらず窓の外を眺めながら、学園長先生が話を続ける。

「それに――――彼のあの言葉には、一点の曇りも存在しておらんかった。余程良い人生の師に恵まれたようじゃのう……。そうは思わんかね、刹那君?」

「は? あ――――はい。そう、かもしれません……」

 突然話を振られ、戸惑いながら答えた。
 学園長先生は小さく笑みを浮かべながら、こちらに視線を向けてくる。
 確かに、彼のあの言葉を聞いたからこそ、遠野志貴が――――私の記憶にある志貴ちゃんであるという可能性を、もう少しだけ信じてみたいと思ったのだ。
 そしてそれを判断するために、私が彼を監視できる女子寮の警備員室を提案した。
 彼を警戒しながらもその点は認めているのか、ガンドルフィーニ先生は多少厳しさを和らげながらも学園長先生へと意見する。

「しかし、そうだとしても……彼は二十七祖を倒すどころか、戦うだけの力があるかどうかすら――――」



「もうっ!!! 学園長先生が決めたことなんやから、それでええやないの!!」



 私のすぐ隣から、大きな怒鳴り声が聞こえた。
 驚いて隣に視線をやれば、怒った顔のお嬢様がガンドルフィーニ先生を睨んでいる。
 突然のことに、学園長先生やガンドルフィーニ先生もポカンとした表情で固まっていた。
 他の魔法先生方もそれに倣うように、呆けたような表情を浮かべて固まっている。
 唯一、美空さんだけが楽しそうな笑みを浮かべながら口笛を鳴らす。

「おお、そうじゃ。このか、見合いの話が……」

「お見合いは受けへんよ、爺ちゃん。それじゃ、失礼しました。行こ、せっちゃん」

「あ――――ちょ、お、お嬢様っ?!」

 お嬢様は何か言いかけた学園長先生の言葉を笑顔で一蹴し、私の手を引きながらさっさと学園長室から出る。
 私はどうすればいいのかもわからず、お嬢様に手を引かれるがまま付いていくしかなかった。
 去り際、ふと学園長先生が私に向けて微笑んでいる顔が見えた気がした。
 ……もしかすると、学園長先生がお嬢様を残したのはこれを見越してのことだったのかもしれない。
 私はお嬢様に手を引かれながら、心の中で学園長先生へ頭を下げた。




「まったく……話があるゆーたけど、結局つまらん話しかせぇへんのやもん。爺ちゃんもまた見合いの話やったし……」

 膨れっ面のお嬢様に、私は苦笑を返す。
 そして同時に、申し訳なく思う。

 だって、遠野志貴を女子寮に留めようと提案したのは、私の我が侭でしかないから。
 遠野志貴が、私の知る志貴ちゃんであるのか否か……それを見極めるためにした、勝手な我が侭。

「……もー……せっちゃん、またそんな顔してるー。せっちゃん、悩んでることあるんやったら、ウチらに相談してくれなアカンよ?」

「――――お嬢、様……」

 お嬢様のその優しい笑顔に、胸が大きく高鳴る。
 その優しさについ何もかも話してしまいたくなった……が、これは私の、私自身の問題。
 それは、私自身の力で解決しなければいけないもの。
 過去に失ったはずの大切なものが――――志貴ちゃんが生きているかもしれない。

 私は、誓ったのだ。
 剣も幸せも選ぶ、と。
 ネギ先生やアスナさん達……そして、お嬢様。
 その誰もが皆、私を大切に思ってくれている。
 私もまた、皆を大切に思っている。

 そして、七夜の里での三日間の思い出も私にとっての大切なもの。
 その温かな思い出をくれた彼もまた――――……。



「いぃぃぃやあああああああああああああーーーーーっっっ!!?」



「……今の……?」

「のどかさん……!?」

 突然聞こえた悲鳴に、お嬢様と顔を見合わせる。
 のどかさんは、ネギ先生やアスナさん達と一緒にいたはず。
 ということは……!

「まさか……ネギ先生達の身に何かが?!」

 お嬢様と共にそちらへ向かおうとしたところへ、携帯が鳴る。
 ディスプレイを見れば、そこには『学園長』と表示されていた。
 携帯ディスプレイの上方が目に入り、電波の受信率を示すアンテナが消えかけている。
 私達のいる場所は、電波の通りが悪いような場所ではない。
 つまりそれは、何者かが意図的に電波を妨害している可能性があるということ。
 のどかさんの悲鳴の聞こえた方へとお嬢様と共に走りながら、急いで携帯を取る。

「学園長先生、どうかしましたか!?」

『おお、刹那君。――――いきなりでスマンが、頼まれてはくれんかの?』

「手短にお願いします。どうやら、こちらでも何か起きたようですので」

 右手で持っていた携帯と、左手に持っていた夕凪を持ち替えて短く言葉を伝える。
 その最中もお嬢様の手を引きながら、のどかさんの悲鳴の聞こえた場所へと急いでいた。
 もう少しで着くというところで、ドガッ! という何かがぶつかる音が聞こえ、次いで――――


「ね、ネギせんせー! 後ろーっっっ!!!」


『どうやら、学園……『魔』が蔓延って……うじゃ。……刹那君、このか、頼む――――』

 叫ぶようなのどかさんの声とほぼ同時に、学園長先生からの電話が切れる。
 携帯のディスプレイにアンテナの表示が無くなり、受信率が限りなく低いということを示していた。
 ようやく、先程のどかさんの悲鳴の聞こえた場所に辿り着いてすぐに、ネギ先生が何かを見上げていることに気付く。
 その視線を辿った先――――空中に浮いている、その何かを見て顔を顰める。
 本物の人間のような顔の生首が、顔面の右半分の肉と脳味噌を剥き出しにして浮いていたのだ。

 そしてのどかさんの言葉どおり、ネギ先生の背後に目をやれば、首の無い何か……恐らく宙に浮かぶ生首の胴体だったのだろう、人体模型の胴体らしき物が跳びかかろうとしている。
 咄嗟に夕凪を抜き放ち援護しようと思ったが、それよりも早くネギ先生が跳びかかってきた人体模型の胴体を避け、その擦れ違い様に放った一撃が人体模型の脇腹にクリーンヒットして吹き飛んでいった。
 そして宙に浮かぶ何か――――人体模型の生首は、ネギ先生の向かいに立っていた遠野志貴へとその牙を向ける。
 空中から急降下しながら牙を剥き出しにして襲いかかってくる生首に対して、特に動じた風も無い遠野志貴は、軽く身を下げた次の瞬間――――その生首の顔面目がけて跳び、蹴り上げた。


「蹴り――――穿つ」


 夕凪が、鞘から途中まで刀身を見せた状態で止まる。
 遠野志貴の見せたソレは、七夜の使う技の一つ――――『閃走・六兎』。
 三日前の夜、アスナさんと戦った志貴ちゃんも使っていた、斜め前方へと跳びながら強烈な蹴り上げを喰らわせる技だ。
 ぐしゃり、という音と共に天井へ勢い良く叩きつけられた人体模型の頭部は、ゆっくりと廊下へ落ちて転がる。

 音も無く地面に着地する、遠野志貴。
 その姿の何もかもが――――あの日の、彼の姿に重なってしまった。
 ドクン、と高鳴る胸を手で無理矢理押さえつけていると、お嬢様が心配そうな表情で私の顔を見ていることに気付く。

「せっちゃん……?」

「大丈夫です、お嬢様。……ネギ先生達と、合流しましょう」

――――まだ……だ。
 そう簡単に、遠野志貴を信じる訳にはいかない。
 遠野の姓を名乗る者を、信じる訳にはいかないのだ。


 そうだ。
 混血の宗主たる遠野に連なる者に、心を許すつもりは……無い。





□今日の裏話■


「……ま、相手になる訳が無いわよね」

 学園の屋上近くの階段。
 エヴァンジェリン達の姿は無く、気配も感じられない。
 そこに散らばるガラス片と、転がったままの赤子らしきものの残骸を見下ろしながら白レンが呟く。

 白レンは学園内で実体を持てずに漂っていたタタリの残滓を、過去から現在に至るまで学園で噂になっていたモノへと誘導していた。
 彼女自身もタタリの残滓によって実体を持った存在であるが故に、形を持たない残滓を方向付けることは容易である。
 しかし、タタリの残滓と一言で言っても様々な大きさのものが存在しており、残滓の塊が小さければ過去に噂にはなったが、今では噂もされないような弱いモノへと導き、残滓の塊が大きければ現在においても恐怖の対象とされている強いモノへと導く。
 エヴァンジェリン達に襲いかかった『ホルマリン漬けの赤子』の噂は過去に噂となったもので、現在ではその実物自体が倉庫に仕舞われ
たまま人目につかないため、大した力を持っていなかったのである。

 不安や恐怖の強い噂は理科室や音楽室といった特殊教室に多く、そういった場所はこんな休日に人が足を踏み入れることは少ない。
 なので、人が通ったと同時に鏡を通して移動するトラップを、学園内の人が通るような場所へ幾つか仕掛けて回っていたのである。

 最後に残ったトラップを仕掛ける場所を探して移動している途中――――


「あら……」


 白レンは窓ガラスの中からふと見つけたその存在……桜咲刹那に目を止める。
 刹那はこのかと共に廊下を走りながら、どこかへと向かっているようだった。
 恐らく、先程聞こえた悲鳴の下へと向かっているのだろう。
 先程聞こえた悲鳴は、確か――――宮崎のどかのもの。

「宮崎のどかは志貴達と一緒にいたはず……。……クスッ、丁度いいわ」


 呟き、しばらく思案するような仕草を見せた後、何か思いついたらしい白レンは、可愛らしいその顔に残酷な笑みを浮かべ、その姿を消したのだった……。


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