Act4-17


【さつき】


 どちらも無言のまま、路地裏の日の当たらない場所からぼーっと空を眺めている。
 時間が経つのも忘れてしまっていたらしく、お腹が鳴ってようやく今が昼なのだと気付いた。
 ……お腹が鳴ってお昼だって気付くなんて、何だか自分が某腹ペコ王みたいで恥ずかしい。
 顔が赤くなっていくのが、自分でもよくわかる。

「ブッ――――ハハハハハハハッ!! ハハッヒャハハハハハハハぶへっ!!?」

 が、すぐ近くで噴き出す音が聞こえ、次いで大きな笑い声が路地裏に響き渡った。
 いつまで経っても止まないその男の笑い声に、恥ずかしさで赤くなっていた私の顔は、怒りによるものへと変わっていく。
 とりあえず、私の腹の音を聞いてケタケタと笑い続けるデリカシーの無い奴の頭を殴っておいた。

「まったくもう……。そういえば……ねえ、あなたはずっとここに隠れてたの?」

「んにゃ、あっちこっち転々としてるぜ。昨夜はとんでもねぇのに襲われたしな。……しっかし、とんでもねぇ腕力だな、オマエ」

 ふと、彼がこれまでどうしていたのか気になり、訊ねてみる。
 遠野四季は昨夜のその襲ってきた相手を思い出しているのか、頭を押さえながら顔を顰めている。
 よく見てみれば、ほぼ治っているようだったが、その体のあちこちに切り傷らしきものの名残が見て取れた。
 ……彼は彼なりに、遠野君を見守りながら戦っていた訳か。

「それで? これからあなたはどうするつもりなの?」

「あー……そうさな、まあまずは情報が無いことには話にすらならねぇ。そこで、だ。――――俺とオマエで、情報交換しねぇか?」

「情報交換って言っても……私は大抵シオンと一緒に行動してるからなあ……」

「シオンって、あの生真面目そうな姉ちゃんか? あー……ダメだ。アレは絶望的なまでに俺との相性最悪だと思う」

 目の前の男にシオンを会わせたら、きっと問答無用で攻撃開始しそうな気がする。
 攻撃しなくても、絶対いい顔はしないだろうし。
 シオンのことを知っているのか、四季は顔を顰めてため息を吐いている。
 まあ、性格的に二人の相性が最悪なのはわかるけれど。
 でも四季とシオンが手を組んだら、何となく凄いような気がする。
 ……単なる私の予想でしかないけれど。

「まあ、吸血鬼が昼に出歩くってのもアレだが、この際仕方ねぇ。――――明日の昼、ここで待ってるからそれまでに情報集めとけ。こっちも出来る限り情報集めとくから、しっかりやれよ?」

「え……ええ?! 明日って……そんな、私情報集めるのなんて苦手だよ!?」

「アホ。お前のすぐ側には、情報集めるのが得意な奴がいるじゃねぇか。そいつから聞き出せばいいってだけの話だ。……そんじゃ、そーいうことで」

 うう……気楽に言ってくれる。
 私がシオンから情報を聞きだすなんて、ほぼ不可能に近い。
 以前当のシオンから言われたが、私は顔に出やすいらしく、嘘を吐けるような人種ではないとか。
 遠野四季は恨めしげに睨む私を見て楽しげに笑いながら缶コーヒー片手に立ち上がると、ふらふらと路地裏の闇に姿を消していった。
 深いため息を一つ路地裏に吐き出し、重い気分になりながらホテルに向けて歩き出す。

「……シオンから情報聞き出すなんて、無理だよぅ……」

 巨大なシオンが怖い笑みを浮かべながら私を見下ろしてくる光景が頭に浮かび、ブルッと体を震わせる。
 うう……前回は巨大な秋葉さんが出てきたりしてたみたいだったけど、今度はシオンが巨大化したりしないよね……?
 私は頭の中の不安が実現しないよう祈りながら、ホテルへと戻ったのだった。



「――――シオンが、まだ戻ってない……?」

「はい。シオン様は戻られておりません」

 ホテルに戻って、フロントの女性にシオンが戻ってきているか聞いてみたが、シオンはまだ戻ってきていなかった。
 もうお昼も過ぎる頃だというのに、まだ戻ってきていないというのは少しおかしい気がする。
 まだ話し合いが終わっていないのかもしれないけれど、シオンならば途中で連絡を入れるなり何なりするだろう。
 それすら無いということは、何かトラブルに――――

「……どうかなさいましたか?」

「あ……い、いえ。ちょっとはぐれちゃって……すぐに戻ってくると思うんで、部屋で待つことにします」

 胸の中の不安を無理矢理押し込めると、作り笑顔で誤魔化して鍵を貰い、部屋へと戻る。
 シオンがまだ戻っていないのは不安だけれど、高音さんや愛衣さんが一緒にいてくれているはずだから大丈夫だろう。


 ……まだ会って日が浅いかもしれないけれど、それでも彼女達は私達を信頼した上で守ってくれると約束してくれたんだから、私も彼女達を信じなきゃ。




〜朧月〜




【愛衣】


「魔法の射手 風の五矢!!」

「影よ!」

 私の魔法の射手とお姉様の使い魔が、空中に浮かぶいくつかの肖像画を音楽室の床に叩き落す。
 空中にはまだ数枚の音楽家の肖像画が浮かび、音楽室にある備品が私達目掛けて飛んでくる。
 チョーク、黒板消し、太鼓の撥、メトロノーム。
 そういった様々な物が、私達の隙を窺うように宙に浮かんだままくるくるとメリーゴーランドのように回っている。
 それらを操っているのが、音楽家の肖像画なのだ。
 いわゆる、ポルターガイスト現象である。
 学園でも怪談の一つとして囁かれてはいたが、これほどまでに攻撃的なモノだとは思ってもみなかった。

――――何故私達がこんな事態に陥っているのかというと、それは学園長室で散会になった直後まで遡る。



 私とお姉様は、高畑先生と共にシオンさんを遠野グループホテルまで送り届けるため、学園玄関に向かっていた。
 その途中、シオンさんがトイレに行くと言って行方を眩ませてしまい、高畑先生が彼女を捜しに向かったのだが、その直後、どこからともなくピアノの音が聞こえてきたのである。

 学園でピアノがある場所といえば音楽室だが、今私達のいる場所はその音楽室で弾くピアノの音が聞こえるような場所ではない。
 そもそも防音の効いている音楽室から、これほどまでに明瞭にピアノの音が聞こえてくるはずがなかった。
 私はお姉様と顔を見合わせ頷くと、急いで音楽室へと向かう。
 音楽室前に辿り着いた途端、ピアノの音がピタリと止まる。
 私達が音楽室の中へと入るのを見計らっていたかのように、あの不思議な魔力によって扉が開かなくなり、突然音楽家の肖像画達が宙に浮かび始めたのである。
 そうして、今の状態に至っている訳だ。

「これがタタリの力という訳ね。とはいっても――――大したことないわ」

 お姉様は使い魔と魔法の射手で、宙に浮かんでいる残り数枚の肖像画の内二枚を叩き落す。
 シオンさんの話ではもっと手強い敵だと思っていたけれど、お姉様の言うとおりこれくらいならば私達にとって大した敵ではない。
 ただ、厄介なのはその肖像画が操っている音楽室に置かれていた物で、チョークや太鼓の撥といったものはまだいいのだが、ギターや大太鼓といった楽器の類は破壊するのが躊躇われる。
 果たして、私の危惧どおりに立てかけられていたギターが宙に浮かび、空中メリーゴーランドの中に加わっていった。

「なるべく学園の備品を破壊はしたくないけれど、身を守るためには仕方ないわ。やるわよ、愛衣――――」


「いや、その必要は無いよ、二人とも」


 バン! という音と共に、突然閉ざされていた音楽室の扉が開き、高畑先生とシオンさんが入ってくる。
 そして同時にシオンさんが素早く腕輪から糸――――エーテライトを引き出し、宙に浮かぶ楽器達に目がけて放つ。
 空中をクルクルと回っていた楽器達は全てエーテライトに絡め取られ、シオンさんがエーテライトを強く引っ張ると同時に地面に引き落とされ、あっという間に沈黙してしまった。

「高音、愛衣! 今です、本体を!!」


「影よ!!」「っ! はぁっ!!」


 突然のことに呆然としていた私達へ、シオンさんが鋭い指示の声を飛ばす。
 お姉様はその声にいち早く反応し、使い魔に指示を飛ばして肖像画を攻撃させた。
 私はそのお姉様の声に反応して即座に無詠唱で魔法の射手を放ち、残った肖像画を破壊する。
 宙に浮かんでいた肖像画全てを撃ち落とすと、音楽室全体に漂っていた魔力が消えていくのを感じた。
 それとほぼ同時に、中等部校舎全体を覆っていた魔力も霧散していく。
 とりあえず、ひとまずは終わったということだろう。
 シオンさんはエーテライトを楽器や音楽室にあった物から外してブレスレットに戻し、お姉様と私の方へと歩いてくる。
 そして――――

「すみません、高音、愛衣。私が勝手な行動をしてしまったために、迷惑をかけてしまった」

 小さく頭を下げて、シオンさんが謝罪してきたのだ。
 礼を言おうと思ったのだが、それよりも先に謝られてしまい、お姉様と困惑しながら顔を見合わせる。

「あの……シオンさんはどこに行ってたんですか?」

「……どうしても聞いておかねばならないことがあって、あなた達魔法使いの言う『真祖』――――『闇の福音』に会ってきました」

 『闇の福音』……エヴァンジェリンさんに会ってきたと言うシオンさんの言葉に、お姉様は小さく顔を顰める。
 そういえば、シオンさんとエヴァンジェリンさんは、先程学園長室で志貴さんの宿泊先についていがみ合っていた。
 でも、それは志貴さんが私達の女子寮の警備員室に泊まるということで決着がついたはず。
 ならばシオンさんは何故、エヴァンジェリンさんに会いに行ったのだろう?

「――――シオン、何故言ってくれなかったのです? 言ってくれれば私達が……」

「すみません、高音。……知っている者以外の人間には聞かれたくない内容でしたので、高音達に話すことは出来なかった」

「それでも、です。魔力を封印されているとは言え、相手はあの『闇の福音』なのですから、あなたに危険が及ぶ可能性も考えられるでしょう。……私達は、あなた達の信頼を受けて守っているのですから」

 聞かれたくなかったと言われ引き下がると思ったのだが、お姉様は真剣な顔でシオンさんを注意する。
 そんなお姉様の真剣な態度に、シオンさんは目を丸くさせ、そしてクスリ、と小さく笑った。
 何故笑ったのかわからず怪訝な顔を浮かべる私達を見て、シオンさんは苦笑めいた笑みを浮かべながら口を開く。

「いえ……会った時から何となく感じていましたが、矢張りあなたは秋葉によく似ている。……高音、あなたは信頼した相手、あるいは気に入った相手には厚意を惜しまないのでは?」

「え? ええっと……そう、なのかしら……?」

 シオンさんの言葉に、お姉様は困惑したような顔を浮かべながら首を捻っていた。
 私はシオンさんの言う秋葉……遠野グループ会長の遠野秋葉さんのことは知らないが、お姉様は確かにそんなところがある。
 まあ、他人から見た自分というのは中々わかり難いもので、指摘されて初めてわかることもあるのだろう。
 ふと高畑先生に目をやると、高畑先生は苦笑しながらシオンさんとお姉様を見ていた。

「まだ学園内にタタリが残っているかも知れません。行きましょう、高音、愛衣」

「あ……ええ、そうね」

 シオンさんとお姉様は最初こそ険悪な仲になりそうだと思ったが、様々な経緯の中で信頼し合ってきているように思えた。
 ……その経緯については、志貴さんが可哀想なのであまり触れない方がいいと思うが。

「愛衣! いつまでそこでぼうっとしているの!?」

「は、はいっ! ごめんなさい、お姉様!」


 お姉様の怒った声が音楽室の外の廊下から聞こえ、私は慌てて音楽室から駆け出していくのでした。





□今日の裏話■


――――ふと、思う。


 私は、遠野志貴に影響されている、と。
 分割思考をするまでもなく、既にわかりきっていることだ。
 彼の周りにいる女性は皆、私と同じように彼に何らかの影響を受け、慕い、想っている。

 真祖の姫君。
 埋葬機関の代行者。
 遠野秋葉。
 感応能力者の姉妹。
 夢魔。
 さつき。
 ……。

 数えるのも面倒になり、思考を切り替える。
 これだけの女性を侍らせているにも関わらず、志貴はその中から誰一人として選ぼうとしない。
 一度、志貴が誰を選んでいるのかエーテライトで確かめてみようと思ったことがあったが……結局、できなかった。
 ……怖かったのだ。
 志貴が誰かを選んでいることが、では無い。


――――誰一人として、彼の心にいないことが、である。


 皆が嫌いだからという訳ではなく、孤独でありたいと願っている訳でもない。
 志貴の心の中には、確かに私達はいるけれど、誰もいない。
 周りにいる私達のことを皆心の中で大切に思っていて――――だからこそ、志貴は自らの心に誰も置こうとしないのだ。

 志貴の本心を知りたい。
 でも、怖い。
 そんな心の中でのせめぎ合いの結末は、平穏でどたばたした生活が続いていることからもわかるだろう。
 いずれ、悲しみと共にそれが終わることを予測しながら、その幸せな一時を選んだ。
 他でもない志貴自身がそう望んでいるのだから、私がそれを崩壊させていい権利など、無い。


 ちらり、と隣を歩く高音に目を向ける。
 私はこの町に来て、彼女と友人となった。
 けれどそれは――――偽りの、私。
 他者に侵入して情報を引き出すためには『自己の世界』が邪魔になるため、自我の発達を抑えなければならない私が、遠野家での平穏な時間を共有するために作り上げた、私という名の偶像。
 秋葉と同じような性格の彼女が、理解し易かっただけの話でしかない。

 私もまた、彼と同じ……いや、それ以下だろう。
 思い上がりも甚だしい。
 優しさ故に偽る彼と、全てを偽る私を一緒にしていい訳がない。

 ……私は、皆を欺き続ける。
 だから私は、高音の本当の友人とは成り得ない。
 秋葉も、さつきも。誰であっても。
 私には――――本当の友人など、永遠に出来るはずがないのだから……。


前へ 戻る 次へ