Act4-19


【刹那】


 和泉さんの悲鳴を聞き、お嬢様を抱きかかえながら先を行く遠野志貴の後を追う。
 遠野志貴は教室の扉の隙間から中を窺い、何かを見つけたらしく急いで中へ入っていった。

「君、君! 大丈夫か?!」

 その後を追って教室に入ると、遠野志貴はぐったりとした和泉さんに呼びかけていた。
 和泉さんは気を失っているだけらしく、見た限りでは問題は無さそうに見える。
 お嬢様を下ろして和泉さんの無事を確認しに行こうとしたその時、突然扉が閉じ、教室全体が異様な魔力に覆われる。
 扉の向こう側にネギ先生達の姿が一瞬見えたが、どうやらネギ先生達と私達を分断するつもりらしい。
 直後、教室の机や椅子が宙に浮かび、その中心にぼんやりと浮かび上がる――――セーラー服を着た女の姿。
 この教室の最前列窓際の席の主――――相坂さよさん。
 いや……以前と違って彼女から殺気を感じる点を考えると、恐らくタタリによるニセモノだろう。


『トモ、ダチ……ニ  ガ  サ ナ  イ……!』


 浮かび上がった机や椅子が飛んできたため、お嬢様を抱えて避ける。
 遠野志貴も気を失ったままの和泉さんを抱きかかえ、飛び交う机や椅子を巧みに避けていく。
 しかし飛んできた机や椅子は私達に向けられず、廊下側に積み上げられていき、バリケードを築いた。
 退路を閉ざしたつもりなのかもしれないが、私達にとって問題となり得な――――

「……しまった、和泉さんと遠野志貴……!」

 一般人の和泉さんと、限りなく一般人のそれに近い遠野志貴にとっては、机や椅子が雪崩のように崩れ落ちてきたら致命傷を負う可能性がある。
 遠野を名乗るならば何らかの力を持っていそうなものだが、昨夜の私との戦いで危機に陥っても遠野志貴は混血の力を解放しなかったことから考えれば、限りなく一般人に近い存在と考えた方がいいだろう。
 となると、私が張本人であるタタリを倒す以外に解決の糸口は無い。
 だが、さよさんの隠密性は、私や龍宮ですら気付けなかった程のものである。
 さよさんとなったタタリの姿は消え、その気配は既に感じ取れなくなっていた。
 姿を現した一瞬を狙うしかないのだろうが、むざむざ姿を現すようなことはしないだろう。

「く……厄介な……っ!」

 今度は明確に私達を狙って飛んできた机を夕凪で弾き、更に飛んできた椅子を手で受け止める。
 遠野志貴に視線をやると、遠野志貴は和泉さんを背後の床に寝かせ、左腕と右手の短刀一本で襲いかかる机と椅子を防いでいた。
 防いでいるとはいえ、その表情はかなり辛そうなもので、じりじりと後退して既に和泉さんの手前にまで至っている。
 何とかこの状況を打開したいところだが、相手の姿形を掴めないのでは手の打ちようがない。


『遊ビマショ……トモ、ダチ……。アナタ達 モ……一緒ニ……ナリマショウ……』


「っ、そこかっっっ!!」

 声の聞こえた方向に斬魔剣を放つが、外れたらしく何の手応えも見られなかった。
 私が放った一撃に危機感を覚えたのか、私の方向へ飛んでくる机や椅子の量が増える。
 夕凪で次々に襲いかかる机と椅子を弾きながら、和泉さんと遠野志貴へ視線を向けると、気を失っていた和泉さんが気が付いたらしく遠野志貴の背後で泣き出しそうな顔で怯えていた。

「せっちゃん、志貴さん達が!」

「――――くっ……お嬢様! 二人の下へ向かって走ってください!!」

 これまで戦ってきた疲労がピークに達したのか、遠野志貴は両腕をだらりと下げたまま、荒い息を吐いている。
 私の声にお嬢様は頷き、遠野志貴達の下へ向けて走り出す。
 走っていくお嬢様を飛び交う机と椅子から守りながら二人の下へ走るが、お嬢様の向かう方向から机と椅子が襲いかかってきた。
 お嬢様の足は止まってしまい、私も足を止めざるを得なくなってしまう。
 見れば遠野志貴には机が二つ迫っており、それに反応して遠野志貴が両腕をクロスさせて身を守ろうとするが、恐らくは吹き飛ばされるだろう。


――――しかし、次の瞬間。
 急にふわりと浮かんだ机が二つ、遠野志貴へと迫っていた机と大きな音を立ててぶつかり合い、教室の床に転がった。




〜朧月〜




【志貴】


「く……っ、痛ぅ……!」

 悲鳴が聞こえた教室へ入って気絶している女の子を見つけた直後、ポルターガイスト現象が起きて、机や椅子が飛び交っている。
 飛び交う机や椅子は退路を断った後、俺達を亡き者にせんと襲いかかってきて、俺は七つ夜と、昨日エヴァちゃんから貰った左腕の篭手でそれを弾き、何とか防いでいた。
 背中にはついさっき目を覚ました女の子が、怯えたまま動けずにいる。
 俺の『眼』を使ってどこかを壊して逃げてしまえばいいのだろうが、生憎迫り来る机と椅子の勢いがそれを許してくれない。
 加えて、その机と椅子を弾く衝撃で俺の腕は痺れてきており、感覚は既にほぼゼロに近い。
 七つ夜を握っている右腕に至ってはもう取り落としてしまいそうなくらいで、感覚は既に無かった。

 眼前に二つ、大きな机が迫っている。
 上がらない両腕に鞭打って、左腕を前に両腕をクロスさせて防御を試みるが、それも気休め程度だろう。
 でもまあ、吹き飛ばされて後ろで怯える女の子にぶつからないよう、何とか踏ん張らないとな。
 覚悟を決めて目を閉じ衝撃を待つが、いつまで経っても衝撃はやってこない。
 代わりに聞こえたのは、ガシャン!! という大きな音と、ガランガランという金属でできた物が転がるような音だった。

『志貴さん、大丈夫ですか!?』

「さよ、ちゃん……?」

 突然聞こえてきたのは、聞き覚えのあるほんわかした声。
 目を開けて見回してみるが、机が四つ転がっているだけで声の主は見えない。
 すぐにまだ感覚の残っている左手で眼鏡を外して意識を集中すると、『線』だらけの教室の中にセーラー服を着た赤い瞳の女の子の霊――――さよちゃんが姿を現す。
 それと同時に、教室の中央に浮かぶ、さよちゃんの姿をしたタタリの姿も見えた。

 本物のさよちゃんの出現に動揺したらしく、タタリの攻撃の手が緩む。
 その数秒と無いであろう隙に、自分の状況を素早く確認する。
 右手は七つ夜で机や椅子を弾いた衝撃で感覚が麻痺し、元の間隔が戻ってくるまで少しかかりそうだ。
 左手は、机や椅子がぶつかってできた腕の打撲ぐらいのもので、エヴァちゃんのくれた篭手のお陰で感覚はまだ残っている。
 開いて閉じる動作を二度程繰り返して左手の感覚を確かめ、七つ夜を痺れに震える右手から無事な左手に持ち替えた。
 利き手ではない左手で七つ夜をしっかりと握り締め、俺達を守ってくれているさよちゃんに視線を向けた。

「――――さよちゃん、この子を頼む!」

『あ……は、はい!』

 俺の背後で怯えている女の子をさよちゃんに頼み、教室の中央で浮かぶタタリを倒さんと走り出す。
 倒す――――いや、殺すためにも、まずは天井高くに浮かんでいるタタリに近づかなければならない。
 七夜の暗殺術は、壁や天井をも足場とする三次元的移動。
 屋内での暗殺に向いているこの身体技能は、この状況において敵に近づくことを容易なものとする。

 再び飛び交い始めた机や椅子を避けつつ教室の壁を駆け上がり、天井に向かって跳ぶ。
 天井に逆さまに着地し、足の裏を天井に張り付かせると同時に膝を折り畳み、両脚の筋肉が爆発するかのような感覚と共に畳み込んだ脚のバネを解放し、天井を蹴ってタタリに向かって跳んだ。
 自らに向かって寸分の違いも無く迫ってくる俺に危機を感じたのか、タタリが幾つもの机や椅子を俺に向けて飛ばしてくる。

「っ、はぁぁぁっ!!」

 タタリが自らの身を守るために机や椅子を飛ばしてくることは予想済みだったので、直死の眼で最小限に破壊しようと考えていたが、飛んできた机と椅子はどこからか放たれた衝撃波らしきものによって全て吹き飛ばされた。
 聞こえたのは勇ましい声。
 その勇ましい声の主に心の中で礼を言いながら、順手に持った七つ夜を眼前のタタリに向けて真っ直ぐ突き出す。
 胸部にあった死の『点』に、突き出した七つ夜の切っ先が音も無く吸い込まれていく。
 さよちゃんを模ったタタリは、断末魔の叫び声をあげながら、まるで砂が崩れていくように消滅していった。


――――まあ、倒したのはいいんだが。
 ここのところ続いていた連戦の疲労がピークに達したのか、元から体力が少ないことが災いしたのか、体がまったく言うことを聞かない。
 そういえば、天井からタタリに向かって跳ぶ瞬間、太腿の辺りからミチリ、とかいう嫌な音が聞こえたような気もする。
 後先考えずに動いたせいで、僅かに残っていた体力も使い切ってしまったらしく、為す術の無い俺は重力に従い教室の床へ向かって頭から真っ逆さまに落ちていく。
 死ぬことを覚悟して目を閉じるが……不思議と恐怖感は無かった。



「――――もう少し、自分の体を考えて戦ったらどうですか」



 てっきりそのまま床に頭をぶつけて死ぬものだと思っていたのだが、俺の体は固い教室の床ではなく、ふわり、と柔らかいものに抱きとめられる。
 目を開ければ、そこには怒っているかのような刹那ちゃんの顔があり、ゆっくりと優しく床に下ろされた。
 教室の床に寝転がりながら、しばらく見下ろしてくる刹那ちゃんの怒ったような顔を惚けたように見つめ続ける。
 そして、抱きとめられた時にかけてくれた優しい言葉を思い出し、その怒ったような顔とのギャップに、思わず小さく噴き出してしまう。

「なっ……何がおかしいんですか! た、ただ敵を倒してくれたあなたが死んでしまったりしたら、後味が悪いと思ったから助けただけで……!!」

「せっちゃん、照れんでもええのにー」

「な、お、お嬢様っ?! あ……ま、また笑う!」

 俺が噴き出したのが気に入らなかったのか、刹那ちゃんは顔を赤くしながら怒ってきたが、このかちゃんにからかわれて慌てるその姿が何だか微笑ましくて、また噴き出してしまう。
 眼鏡をかけてふと視線を横に動かすと、この教室で気絶していたショートカットの女の子がポカンとした顔でこちらを見ていた。
 そういえば、この薄い髪の毛の色を見て思い出したのだが、俺はこの子を知っている。
 一昨日の夕方頃に、ナイフを持った男に脅されているところを見かけて割って入って助けたのが、この女の子だったはず。
 女の子の方も俺のことを何となく覚えているのか、じっと俺の顔を見ていた。

「和泉さん、大丈夫ですか?」

「あ……う、うん。そこの人が守ってくれたから大丈夫やったけど……。な、何やったん、今の?」

 一般人には理解し難いことだろうから、説明するのはちょっと難しい気がする。
 まあ、かく言う自分もほんの一年位前までは一般人だったんだよなあ……。
 今でも一般人のつもりだが、随分と足を突っ込んでしまっている気がしないでもない。
 そんなことを思いながら一つため息を吐き、このかちゃんに背中を支えてもらってゆっくりと身を起こす。
 体……特に脚は思うように動かず、しかも動かす度に悲鳴をあげているが、ここのところ七夜の技で酷使し続けていたのだから当然といえば当然か。
 ようやく上半身を起こしたところで、教室の窓からネギ君が中に入ってきた。
 へたり込んでいる女の子を見て、心配そうな顔で女の子の下へと駆け寄る。

「亜子さん、大丈夫ですか!?」

「あ、ネギ君……。うん、ウチは大丈夫やけど……」

 女の子――――亜子ちゃんというらしい――――の心配そうな視線がこちらに向けられていることに気付き、苦笑する。
 まあ、確かにこの状態で大丈夫とは言い難いか。
 心配させたくない気持ちはあるのだが、残念ながら虚勢を張れるほどの余裕は無い。

 幸いなことにタタリは今ので終わりだったらしく、この学園の建物を覆っていた魔力は既に消えている。
 恐らく、あの学園長室にいた他の人達が倒してくれたのだろう。
 安堵の息を吐きながらも、床に手をつき、腕と脚に力を入れて、体をゆっくりと持ち上げていく。
 アルクェイドみたいに平然と男を抱き上げたりするような子はいないと思うが……できるならそんな展開は避けたい。
 くだらない男の意地みたいなものだ。
 だと言うのに――――

「志貴さん、志貴さん。立つんやったらウチが肩貸すえ」

「いえ、私が彼に肩を貸します、お嬢様」

「え、あ、いや……その……ゴメン。……肩借ります」


 ……女の子の肩を借りることくらいは許してくれ。
 アルクェイドやら先輩やらで、俺の男の意地とか沽券とかはとっくの昔にどっかに逝っちまってるんだから。





□今日の裏話■


「――――さよちゃん、この子を頼む!」


 遠野志貴は突然そう言って、教室の壁に向かって走り出す。
 一瞬横目に見えただけだったが――――遠野志貴の瞳は、蒼く輝いていた。
 そして遠野志貴の言った、『さよちゃん』という名前。
 恐らく、遠野志貴には相坂さんの姿が視えている。
 私達には見えないが、その蒼く輝く瞳でその姿を捉えているのだろう。
 本物の相坂さんと――――相坂さんを模った、タタリの姿を。

 遠野志貴は和泉さんを相坂さんに任せると、飛び交う机や椅子を掻い潜りながら瞬く間に教室の壁を駆け上がり、その勢いのまま天井に向かって跳び、天井に『着地』する。
 そこから一秒とかけずに、天井の中央にいるであろうタタリに向かって、弾かれるように跳ぶ。
 まあ、タタリが驚くのも当然だろう。
 見えるはずの無い自身を視て、明確なまでの殺意を向けながら迫ってきているのだから。
 それまで私達へと向かって飛んできていた机や椅子が、突如目標を変えて遠野志貴一人目がけて襲いかかっていく。


「っ、はぁぁぁっ!!」


 気付けば、私は遠野志貴へと迫る机や椅子全てに斬空閃を放っていた。
 遠野志貴は逆さまのまま、左手に持った短刀を何も無い空間へと向けて無造作に突き出す。
 そして次の瞬間――――ニセモノの相坂さんがゆらりと姿を現し、耳障りな叫び声を上げながら消滅していく。
 同時に、遠野志貴が逆さまのまま落ちてくる。
 まるで眠るかのような安らかな顔で、受け身をとるような動きも見えない。
 私は咄嗟に疾り出し、頭から落ちてくる遠野志貴を何とか抱きとめた。

「――――もう少し、自分の体を考えて戦ったらどうですか」

 ホッと安堵すると同時に、自然と口から言葉が出てしまっていた。
 ふと幼い頃とは逆になってしまったな、と思って苦笑し――――すぐに顔を引き締める。
 違う。この男は遠野志貴であって、志貴ちゃんじゃない。


 そう自分に言い聞かせながら、しかし邪険にもできずに、遠野志貴の体を床に優しく下ろしてやるのだった……。


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