【ネギ】
「うーん、ちょと買い過ぎたかもしれへんな」
「大丈夫でしょ。これからしばらくいるかもしれないんだから、余ったら冷蔵庫に入れときゃいいわよ」
「あ、あの、ネギせんせー、大丈夫ですか……?」
僕とアスナさん、このかさん、のどかさんの四人は、それぞれ手にスーパーの袋を下げながら出口へ向かって店内を歩いていく。 両手にスーパーの袋を下げた僕を心配するのどかさんに笑顔を返しながら、腕に少し魔力を流す。 ……ちょっと、重いかも……。
僕達は喫茶店で昼食を終えた後、商店街へと向かっていた。 その途中、このかさんが突然警備員室で志貴さんの歓迎会をしようと言い出したのである。 タタリのことが心配だったが、夕ご飯を食べておくに越したことは無いので、皆と一緒に賛成しておく。 志貴さんは歓迎会と聞いて苦笑しながら遠慮していたのだが、半ばこのかさんに押し切られる形で了承させられ、歓迎会を開くことが決定したのである。 それでも任せっきりでは申し訳ないと、志貴さんは自らの財布を渡してきて、荷物持ちもかって出てくれた。 しかし、志貴さんの懐具合や、脚のことを考えると、あまり負担をかけさせる訳にもいかない。 何とか説得した結果、荷物持ちだけは引き下がってくれて、亜子さんと刹那さんと一緒に外で待ってもらうことになった。 もし具合が悪くなっても、保健委員の亜子さんがいるし、万が一のことが起きても刹那さんがいるから大丈夫だろう。 買い物を終えてスーパーから出ると、志貴さんといるはずの亜子さんと刹那さんがいた。
「あ、買い物終わったん? はー……また随分と買ったもんやなー」
「うん、ちょっと多かったかも知れんなー。……ところで志貴さんの姿が見えへんけど、どうかしたん?」
「少し行った場所のベンチで休ませています。お嬢様達を案内するために、和泉さんとこちらで待っていました」
刹那さんは僕の手からスーパーの袋を一つ持つと、先に立って歩き出す。 ちなみに、食料はスーパーの袋五つにパンパンに詰まっており、総じてかなりの重量がある。 僕達の部屋で料理を担当しているこのかさんに買う物全てを任せていたのだが、思っていた以上に量があって驚いた。 このかさんとのどかさんが比較的軽めの袋を持ち、後の三つは僕とアスナさん、刹那さんでそれぞれ一つずつ持っている。
「でも志貴さんが臨時の警備員さんやって聞いた時は、ホンマに驚いたわー」
「急に決まったことですから、驚いても仕方ないと思いま……わぷっ!?」
隣を歩く亜子さんの方を向いて話しながら歩いていたら、不注意で誰かにぶつかってしまったらしい。 謝ろうと思って前を見れば、先を歩いていたはずの刹那さんが立ち止まっている。 どうかしたのかと思って刹那さんの視線の先を辿ってみると――――そこには志貴さんと、茶色の髪をアスナさんみたいに二つに結った女の人が商店街の道に置かれたベンチに座って話していた。 見た限り女の人は普通に見えるが、微かに香る血の臭いが彼女が普通の人ではないことを知らせている。 町中の、それもこんな人通りが多くて目立つ場所で何かをするなんてことは無いと思うが、とにかく志貴さんの下へと急ぐ。
「志貴さん! えっと、その人は……?」
「ああ、お帰りネギ君。この子は弓塚さつきって言って、その……元同級生だよ。ついさっき偶然会ってね」
「あ、えと、こんにちは……じゃなくて、初めまして、だね。えっと……」
「ネギ・スプリングフィールドです。初めまして、さつきさん」
少し躊躇いながら話す志貴さんを見る限りでは、やっぱりこの女の人……さつきさんには何かあるらしい。 先程の血の臭いの元はさつきさんで間違いは無いのだが、悪い人には見えなくて、パッと見は極普通の女の人にしか見えない。 詳しいことを聞きたかったが、亜子さんもいるし、周りには一般の人も大勢いる。 志貴さんもあまり話したくなさそうだし、ここは聞かないでおいた方がいいのかも知れない。 と、そこへ――――
「さつきさんっ! もうシオンさんホテルの方へ戻られていますよ!?」
慌てた風の愛衣さんが、さつきさんの横に駆け寄ってきて慌てた風に話す。 ふと愛衣さんが走ってきた方向に目をやれば、タカミチと高音さんの姿が見えた。 愛衣さんの言葉から察するに、どうやらさつきさんはシオンさんの知り合いでもあるらしい。 そういえば朝学園長室に集まった時に、諸事情で一人来れなくなったってタカミチが言ってたけど、恐らくさつきさんがその来れなくなったという人なのだろう。
「あ、愛衣さん。えぅ……擦れ違いになっちゃったのか」
「あー……そっか、さっき秋葉に頼まれてシオンと一緒に来たって言ってたっけ。はあ……俺が秋葉に一言言っておけば、こんなことにはならなかったんだろうな。……巻き込んでゴメンな、弓塚」
「ええ?! ああいやあの、秋葉さんからお給金というか報酬というか貰ってるから、迷惑とかそんなこと全然無いから遠野君が謝る必要なんか無いって! 寧ろ感謝しなくちゃいけないのはこっちなんだから! えっとほら、凄い高級ホテルに泊まれたし!」
すまなそうな顔で謝る志貴さんに慌てたさつきさんは、まるで弁解するかのように怒涛の勢いで言い切って肩で息をしている。 タカミチに小声で聞いてみると、さつきさんはシオンさんのボディーガードとして遠野家当主に依頼されてこの町に来たらしく、シオンさんと同じく遠野グループホテルに泊まっているらしい。 諸事情によって今朝学園に来る途中でシオンさんとはぐれてしまったさつきさんは、一旦ホテルに戻ったものの、シオンさんの帰りが遅いので心配して捜しに出たのだが、擦れ違いになってしまったのだとか。 タカミチ達は、再び擦れ違いにならないようシオンさんにホテルで待機してもらって、さつきさんを捜しに来た……という訳らしい。
「えっと……その、それじゃあまたね、遠野君」
名残惜しそうにしながらも、さつきさんは笑顔で志貴さんに手を振って、タカミチ達と共に去っていく。 志貴さんは――――安堵したような、けれどどこか悲しそうな横顔で、遠くなっていくさつきさんの背中を見送っていた。
〜朧月〜
【志貴】
「ああ、買い物は終わったんだね? ……それじゃ、行こうか」
「あ……は、はい」
隣に立っているネギ君の手に下げられたスーパーの袋を見て、買い物が終わったことに気付く。 ネギ君は何か言いたげな顔でこちらを見ていたが、今はあまり詳しいことを聞かれたくなかった。 それを察してくれたのか、引き下がってくれたネギ君に心の中で礼を言う。
死んだと――――俺が裏切って殺してしまったと思っていた弓塚が、生きていた。 商店街の雑踏の中でその姿を見かけた時は、タタリが作り出したタチの悪い冗談かとも思った。 けれど話してみると、彼女は体こそ吸血鬼になったものの、以前とはまったく違っていて、人間としての心を持っていて、これまで一人たりとて人間を殺したりはしていないらしい。 ホッと安堵しながらも、彼女への申し訳ないという気持ちが、俺の胸を締め付けていた。
「――――ええ、はい。え? ……志貴さんでしたらすぐ隣にいますけど……代わりましょうか?」
ふと聞こえた声にそちらを見ると、ネギ君の携帯に誰からか電話がかかってきていたらしく、何か話していた。 その中に俺の名前が出てきていたので疑問に思っていると、ネギ君が携帯電話を俺に差し出してくる。 疑問に思いながらもネギ君の携帯を受け取ると、ディスプレイには『夕映さん』と出ていた。 はて、『夕映』というと…………ああ、確かアキラちゃんの友達と一緒にいた、あの変なジュースを飲んでた背の低い方の女の子がそんな名前だった気がする。
「もしもし、代わりました。遠野志貴ですが」
『どうも、先日お会いした綾瀬夕映です。晶さんはもう既に帰ってしまわれたのですが、その際に志貴さんへの伝言をお願いされましたので、あなたを捜していました。なるべく早く伝えて欲しい、と言っていたので、早く見つかって良かったです』
アキラちゃんからの伝言……? 俺に伝えたいことというと――――……矢張り、未来視関連だろうか。 今度会う日の約束か何かだったりするといいなー、などと望み薄で心にも思っていないことを思ったせいかどうかは知らないが、綾瀬さんの口から告げられた言葉は最悪なものだった。
『えぇと……『どこかのお城の中で、金色の眼をした金髪の女性に会っちゃダメだ』、と言っていたです』
ド、クン……! 心臓が一つ大きく脈打ち、俺は呼吸することすら忘れてしまっていた。 金髪で金色の眼をした女性で思いつくのは――――……アイツしかいない。 アイツの目は普段こそ紅いが、金色となると魔眼を行使している時という訳で、そんな状況になるのは大抵戦う時くらいのものだ。 まさか、アイツと戦うことになるというのか……? だとすれば、最悪だ。どれだけ考えても絶望的な展開しか頭に浮かばない。 普段こそアイツは天真爛漫なバカ女だが、一度本気になれば最強の真祖と呼ばれるに相応しい殺戮を振り撒くだろう。 目の前が紅と白で明滅してきて、そのあまりにも強烈な眩暈と吐き気に、思わず地面に膝を着く。 下手をすれば戻してしまいそうだったが、何とか喉元で抑え込み、嚥下する。
「志貴さんっ!?」
「ぅ……ぁ、ああ……だい、じょうぶ、だ。……ネギ君、コレ――――」
「大丈夫やない! そない顔真っ青にさせて言っても、説得力皆無や!」
ネギ君の驚いたような声に何とか答えながら携帯を返すが、凄い剣幕で怒ってきたこのかちゃんにその手を引かれ、近くにあった適当な場所に座らされる。 あまり心配をかけたくはなかったが、正直今は息を整えたくて仕方が無かった。 荒い息を吐きながら、とにかく肺に酸素を送り込むことのみに集中する。 目を閉じれば、真っ赤な、鮮血のイメージが浮かび、中々消え去ってくれそうにない。 ズキン、ズキンとまるで脈打つような頭痛に加え、全身が小刻みに震えて立ち上がれずにいた俺の額に、何か冷たいものが触れた。 その冷たさが気持ち良くて、思わず額に触れている何かに手を乗せてみる。 それは小さくて柔らかな、誰かの手だった。 誰だろうと思って目を開けてみると、目の前には何やら顔を赤らめて俯いた刹那ちゃんの顔。
「そっか……刹那ちゃんの手、なのか。……うん、冷たくて気持ちいいや……」
どうやら、俺の頭はまともに働いていないらしい。 ぼうっとしたまま、熱に浮かされたように呟く。 刹那ちゃんには悪いと思ったが、ひんやりとしたその小さな手をもっと感じていたくて、彼女の手の上に自分の手を重ね、痛くないように自分の額へ優しく押し当てる。 額を通して伝わってくる冷たさに、頭痛はあっという間に消え去り、気が付けば体にも力が入るようになっていた。 ……うん、冷静になって考えてみれば、まだアキラちゃんの視た女性がアイツだと決まった訳じゃない。 他の金色の眼をした金髪の女性、という可能性も……少しはある、かもしれない。 ――――と、そこへ突然聞こえた、パシャリ、というシャッター音。
「うーん、久々にいい絵が撮れたわ」
突然聞こえた声に驚いて、思わず額に置かれた刹那ちゃんの手の上から自分の手を浮かせる。 刹那ちゃんはまるで跳び退くように俺から距離を取り、何故か絶対に俺と視線を合わせようとしない。 仕方なく聞こえた声の方に目をやると、そこには赤い髪の毛を後ろで結い上げた、まるでパイナップルのような髪型の女の子が、デジカメを構えて不敵な笑みを浮かべながら立っていた。 ……うん、琥珀さんには及ばないものの背筋が冷たい。
「ふーん……あなたが志貴さんか。初めまして、私は朝倉和美。さよちゃんから話は……」
「(あ、朝倉さんっ!)」
「お、とと……あはは、まあ色々とあって噂は聞いてるわ。後で取材に行くかもしれないから、はい。コレ、どうぞ」
……どうやらこの朝倉さんという子は、あのさよちゃんと話せるらしい。 とはいえ、ネギ君が亜子ちゃんの方に目を向けながら、小声で彼女に注意しているところを見ると、あまりさよちゃんについての話題は出さない方がいいのかもしれない。 そんなことを思いながら朝倉さんから手渡された名刺に目を通すと、『まほら新聞報道部・突撃班』と書かれてあり、内線番号なども書かれてあった。
「んふふ、ビッグニュース大歓迎だから、何かネタがあったら教えてね。ま、あなた自身がネタになってくれてもいいけど。それじゃ!」
朝倉さんは俺に妖しい流し目をくれると、刹那ちゃんの方へと近づいていって小声で二言、三言話していた。 刹那ちゃんは何か言われたのか、顔を赤くさせて怒ったような表情を浮かべながら朝倉さんを睨む。 からかうように笑いながら自転車に跨った朝倉さんは、こちらに軽く手を振りながら女子寮の方へと走っていく。 その後ろ姿を見送り、再び名刺に目を落としてため息を一つ吐いた。
「……俺の場合、毎日がネタだらけなんだけどね……」
そう。俺の毎日はネタだらけなのである。 そもそも遠野家は、特に裏庭なんかはもう既に人外の魔窟と化している。 アレを管理できる辺り、琥珀さんは色々とおかしいと思う。 ここではさすがにそんな遠野家のような出来事は無い…………と、信じたい。
……遠野家でのことを嗅ぎ付けられないよう、一応彼女には注意しておこう。
☆
□今日の裏話■
お嬢様は、崩れ落ちるように地面に膝を着いた遠野志貴の手を引いて、近くで座れる場所を見つけて座らせる。 夕映さんからの電話を受け取って二言、三言話したと思ったら、突然真っ青を通り越した白い顔をして倒れそうになったのだ。 遠野志貴は腰を下ろしても俯いたまま荒い息を吐きながら、全身を小刻みに震わせている。 何かあるといけないので心配するお嬢様を下がらせて、近くで遠野志貴の様子を窺う。 目を閉じたまま酷く辛そうな表情を浮かべ、覗き込んでいる私にも気付いていない。
「――――ぁ……」
ふと気付けば、私は遠野志貴の額に手を触れていた。 自分でも何をしているのかよくわからず、とりあえず弱った者を心配するのは当然だ、と心の中で言い訳をしてみる。 小さく呻いた遠野志貴は未だ小刻みに震える手を動かして、私の手の上に重ねてきた。 温かく包み込むその手に、胸がドクン、と一つ大きく脈打つ。 ……ふと周りからの視線を感じて、自分の顔が真っ赤になっていくのがわかる。
「そっか……刹那ちゃんの手、なのか。……うん、冷たくて気持ちいいや……」
顔を上げうっすらと目を開けた遠野志貴は、ぼんやりとしたその瞳で私の姿を確認して、安堵したかのような表情を浮かべた。 いや……あの、その……安心されても、困る。 痛ければ手を引き抜いても良かったのだが、こうも痛くないように気遣って優しく重ねられたのでは、どうすればいいのかわからない。 引くに引けずに衆人環視の中で固まること数分。 パシャリ、というシャッター音らしきものが聞こえ、私の手の上に重ねられていた遠野志貴の手が一瞬浮く。 その一瞬を逃さずに手を引き抜いて、その場から一気に跳び退く。
「うーん、久々にいい絵が撮れたわ」
真っ赤になっている自分の顔を見られたくないので、遠野志貴の方を見ないようにしながら、シャッター音がした方へ視線を向けると――――予想通り、ニヤニヤとした笑みを浮かべる朝倉さんがいた。 朝倉さんは遠野志貴と少し話した後、こちらへ近づいてきて小声で話しかけてくる。
「(――――あの人、彼氏なの?)」
「(……違います。違いますから、そのデータを渡してください)」
「(い・や。んふふ、こんな極上のネタ、手放す訳無いじゃない! 続報、待ってるからね〜)」
朝倉さんはニヤつく口元を手で隠しながら自転車に跨り、寮の方へと去っていった。
……証拠となるものさえ無ければ、ネタにはならないはず。 抹消するなら、早めの方がいいだろう―――― |