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プロローグ:俺は何かを失った 投稿者:造形師 投稿日:07/19-22:45 No.949

 ここはどこだ?

 ずぶ濡れの身体と泥にまみれた地面を握り締めながら、男――否、まだ歳若い青年はただそう考えた。

 軋む身体を押さえつけて、シトシトと降り注ぐ空を見上げる。

 つい先ほどまで目にしていた“光”の残滓が網膜に残像のように焼き付き、炎が降り注いでくるような錯覚を覚えて身震いする。

 ここはどこだ?

 木霊のように鳴り響く疑問が、青年の脳髄を揺さぶる。朦朧としていた意識が、ハンマーに殴り飛ばされるかのように揺さぶられる。

 視界に見えるのは、巨大な樹木。そして、自分の周りに折れた木々の枝が散らばっていることから、上から落下してきたらしいことが分かる。

 そこまで考えて、青年の脳裏に鋭い痛みが走った。

「がっ……」

 ――先生。

 声がした。

 ――先生。

 声がする。声がする。

 なんだ? これはなんだ?

 思い出せない。

 頭が割れんばかりに押さえつけても、頭痛と幻聴は酷くなるばかり。

 何も思い出せない。何故ここにいるのか。何故ここに立っているのか。

 目の前の全てが分からない。

 ――分からない。

 ただ、脳裏に浮かんだのは。

 ――“メイゼル”。

 ただその一言だけだった。





 その雨の降り注ぐ日に、宿直となっていたのは麻帆良学園中等部英語教師の源 しずなだった。

 いつものように校舎の中を懐中電灯片手に見回りをし、異常がないかどうかを調べる。

 ただそれだけのこと。

 薄暗い廊下を手に持った懐中電灯の光が照らし出し、見えるようになった廊下をコツンコツンと歩いていく。

 大型の校舎といっても、一時間も掛からない単調な作業。

 ただそれだけだったはずのなのに。

「え?」

 不意にしずなは校舎の外に向けた電灯の光が、何かに反射したような気がした。

 その先にある《世界樹》の見える窓へと近づき、見下ろしてみる。

「……なにかしら?」

 薄暗い外を見てみるが、生憎の雨と深夜の闇でよく見えない。窓ガラスに打ち付ける雨が視界を遮っていた。

 ……何か世界樹の根元で動いているような気がしたのだけれど。

(不審者かしら?)

 ここの生徒たちを狙って時折パパラッチみたいな盗撮犯が出没することがあるが、それらはいつも通報により出動する屈強な警備員たちによって排除されるのが常だった。

 もし盗撮犯だったとしたら、今すぐこの場で携帯なりで警備員たちに連絡すればよい。この場は二階、地上にいる不審者はしずねに手出しすることなど出来ようもない。

 それにしたってこんな雨の日に出没するなど酔狂なことだ。

 などと、半ば感心しながら、しずねは窓ガラスの鍵に手をかけた。

 いずれにしても確認しなくては連絡も何もない。

 ガラリと窓を開け、降り注ぐ雨にしかめながらも下に覗き込む。

 そこにいたのは……

「人?」

 うずくまるように、誰かが世界樹の根元で倒れているように見えた。その人相は、闇の所為で見分けが付かない。

 雨に打たれるまま、ただうずくまっている。

「そこに誰かいるのですか」

 少なくとも盗撮犯ではないようだと判断して、しずねは声をかけた。

 しかし、雨で聴こえていないのか、それはまったく動く気配を見せない。顔を上げようともしなければ、返事をする様子もない。

 降り注ぐ雨の所為で、その詳細を知ることが出来ない。

(……しかたないですね)

 少々悩んで、しずねはぼそりと口の中で“言葉”を発した。

 それはおまじない。僅かに雨を押さえて、人物の顔を見ようと思って生み出した小さな奇跡。

 ただそれだけ。

 それだけの効果のはずだったのに。

 ――“炎”が上がった。

「!?」

 視界の中に、きらめくような、幻影のような“魔炎”が上がる。

 葉も、地面も、しずね自身にも、熱も何も影響を与えず、ただ光を放つのみの焔。

 そして、蹲っていた青年を照らし出し、“こちらを見据える瞳”が見えた。

 魔炎に照らし出され、“鬼”の如き紅く染まった瞳。そして、焔に照らし出され見えたその全貌。

 見えたのは、どこかのサラリーマンか何かのようにスーツを身につけた若い青年の姿。茶髪に染めているのだろう赤毛色の髪は打たれる

雨で濡れそぼり、スーツも泥まみれに染まっている。

 それだけならば単なる青年。不自然極まりなく、なぜこんなところにいるのだろうかと考えるがまだ一般人だと考えられる。

 しかし、その傍らに真っ黒な刀身に染まった日本刀が突き刺さり、金属色の長い銃身を持つ金属の塊――ライフルが転がっているのを見て単なる一般人と考えることなど出来ない。

 その身体のあちこちは真っ赤に染まり、怪我を負っているようだった。

 そして、しずねが見ている前で謎の青年はふらふらとこちらを見据えたまま立ち上がる。

「っ!?」

 危険を感じて、しずねが窓から離れようとした瞬間。

「め……いぜ……る」

 その一言を残して、青年は泥の地面へと突っ伏した。

 ばしゃんと水音を立て、気絶した。

 それが青年――“武原 仁”が麻帆良学園に“観測”された時。

 そして、仁はこの後しずねに助けられることになる。



 しかし、この時は誰も知らなかった。

 彼が“神無き世界”と呼ばれる世界の人間だということを。

 そして、奇跡を焼き尽くす虐殺鬼スローターデーモンだということを。

 “この世界の誰も観測していなかった”。







 プロローグ 終了

沈黙なりし魔炎 第一話:空白の心

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