第十二話



「はッ!!」

気合の一声と、大気を切り裂く轟音が重なる。

次いで、斬撃にて生じた烈風が、近くに生える草を根こそぎ吹き飛ばしていく。
それほどまでに力強く、疾い剣なのだ。

既に小一時間ほど、爆はその作業を続けていた。

その結果、彼が来訪する以前は、雑草が萌えていたその場所もすっかり土が顔を出し、爆
を中心に円を描いている。

その外側には根ごと吹き飛ばされた雑草が、哀れな骸を日の下に晒していた。

「ふんっ!」

最後に一振りして締め括り、大剣の切っ先を地面に深く突き刺した。

汗の玉が日光を受けて輝きながら、爆の頬を伝って顎の先から落ちる。

上半身は裸で、露になった爆のしなやかに鍛えられた上半身には、熾烈な戦いの痕が生々しく刻まれている。

爆はふと思い、指先で傷をなぞってみた。

これらの傷は、いつかイレブスのGCだったジャンヌにした様に、『浄華』の術で綺麗に消す事が出来た。

細胞の働きを促進させ、塞ぐ事が出来るから。
しかし、爆はそうする気は無かった。


―――戦いの傷を恥じるなど、覇王がやる事では無い。


それにもう一つ、理由があった。

これは、仲間との掛け替えの無い青春譜だからだ。
仲間もまた、同じく負った傷だからだ。

「(そういえば、カイやピンク達はどうしてるだろうか……)」

向こうの世界の友を思い出す。

ちらりと雹の顔も思い出してしまったが、全力で頭の中から排斥する。
同棲している(嫌な言い方だが)ハヤテが気の毒でならない。

そこまで考えてから、爆はらしく無いと頭を軽く振った。

「いや、心配するだけ無駄か」

カイは師匠の激にフネンの山でしごかれているだろうし、ピンクは携帯電話を弄っているだろう。

他の連中も、各々自分の行く道を選んでいる。
自分は自分の道を行くだけだ。

決意も新たに、近くの木の枝に掛けてあった白いタオルを取ろうとした。

しかし、目的の物はそこには無く、爆の手が宙を彷徨った。

「?」

視線を泳がせると、これまた近くにある岩の上で、ジバクくんがスーパーマンよろしくタオルを体に捲きつけて遊んでいた。
油断も隙も無い。

「これ生物、返さんか」

はしゃぐジバクくんから強引に剥ぎ取ると、彼は『ヂィ〜ッ!』と怒りの声を上げたが、爆は意に介さず顔を拭った。

視界を塞ぐやわらかい感触が、鍛錬で昂ぶった気分が静まっていく。

「―――ふう……」

今まで幾度と無く感じて来た感覚だが、彼ははこれが堪らなく好きだった。

その時―――

「きゃっ!」

素っ頓狂な悲鳴が爆の鼓膜を叩いた。

至福の時を邪魔され、爆は渋々タオルを顔から離しその方向を見た。

そこにいたのは、草むらの前で尻餅をついている少女だった。
手には鞘に収められた長刀が携えられている。
傍には、転んだ拍子に落としたのかピクニックバスケットが転がっている。

「刹那? なぜここに?」

少女―――刹那は激痛に腰を撫でた。
纏められた艶やかな髪が後頭部で揺れる。

「あ、爆さん」

爆を見上げた刹那だったが、瞬時に顔を紅潮させると、恥ずかしげに俯いてしまった。

その理由が分からず、爆は一歩前に進んだ。
すると刹那も、尻餅をついた姿勢のまま一歩
後ろに下がった。

「何だ?」

業を煮やして、爆が苛立たしげに顔を背ける刹那に訊ねる。

彼女はそれに、言葉を忘れてしまったのかと思わせるほど、たどたどしく答えた。

「あの……その……上……着て下さい……」

言われて、爆は自分の上半身が裸だという事を思い出した。
どうやら転んだのもそれが理由らしい。

「ん……」

そこまで驚かなくとも、と爆は少々気を悪くしながらTシャツの袖に腕を通した。。
そして爆は改めて刹那に聞いた。

「で、何でお前はここに来たんだ?」

「はい、私も鍛錬にと……」

「そうか、俺の邪魔をせんようにな」

冷たい程素っ気無く言うと、爆はくるりと背中を向けた。

「ま、待ってください!」

慌てて刹那は彼の前に回りこんだ。

「私に、修行をつけてください!」

「何?」

予想外の懇願に、さしもの爆も驚いて目を丸くした。

たしかに彼女の技――神鳴流と言ったか――は未熟な所が見受けられるが、自分の剣技は激に初歩を学んだ以外は、ほとんど我流である。
とても教えられるような代物では無い。

その旨を刹那に伝えたが、彼女は首を振って、

「それでも、爆さんの剣が私より上なのは確かです。学ぶ所は、あるはずです」

きっと強い意志で見上げてくる刹那。
爆はそれに、他人には見抜けない程度だが、少し困った様な顔をした。

「(……言っても聞かないか……)」

最近うすうす分かってきた事だが、女には、男を怒声を用いずに言いなりにする技能を持っているらしい。

「……わかった」

爆は仕方なく、刹那の願いを受理する事にした。


「――とりあえず打ちこんで来い」

爆は地面に突き刺したまま剣の柄を左手で握ると、前方で刀を正眼に構える刹那を手招きした。

「はいっ!」

刹那が張り切って答える。
全身に気を巡らせ、基礎体力を増幅させる。

「はっ!」

思い切り足元を踏み締め走ると、跳躍し、爆に向けて長刀を振り下ろした。
その一撃には一切の手加減は加えられていない。

ひゅっと風を切り、そのまま爆を切り裂かんと接近する刃に、彼は眉一つ動かさない。

「ふんっ」

金属音が二人の間を隔てた。
目にも留まらぬ早業で、爆が大剣を引き抜き、その刀身を盾にしたのだ。

「!!」

攻撃を防がれたのを見て、刹那は頭で考える前に背後に飛び退いた。
彼女の彼女の予想に反して爆の反撃は来なかったが、それは訓練だからだ。

これが実戦だったのならば、重い蹴りの一つでも入れられていたかも知れない。

「動きが一直線過ぎる」

爆の淡々とした指南が飛ぶ。

ならばと、刹那が再び行動を開始した。
左右に跳ねながら接近するというトリッキーな動きだ。
たちまち爆に肉迫すると、彼の右側より横薙に刀を一閃した。

だが、鋼が打ち合う音も、肉を切り裂く音も聞こえない。

爆が一瞬でその場所から掻き消えたのだ。
探知する間も無く、刹那の首筋にひやりとした感触が走った。

刹那は横目で、肩に乗せられた銀色の刃を見る。

「う……」

「ばらばらに動けばいいと言うものでもない」

真後ろから爆の声が聞こえて、大剣がすっと下ろされた。

「お前の攻撃はモーションが大き過ぎて小回りが効かんな」

理由としては、その武器にある。

刹那の学んだ神鳴流は、元来魔を討つためのものであり、必然として大威力の大太刀が武器として選ばれる。
それゆえ、技も速度より威力を重視した大味なものになってしまうのだ。

しかし、大太刀よりも重量のある大剣を扱う爆も同じかと言えば、そうではない。
彼はその常軌を逸した筋力により、一撃一撃を統制しているため、先程見せたような高速の防御も可能だ。
更に、最近では気による強化のため、その統制はより完全なものになっている。

「すみません……」

がっくりと肩を落とす刹那。
爆はそれを見て、顎に手をあて数秒ほど思案すると、

「そうだ、良い物を教えてやろう」

何事か思いついた爆は、ジバクくんがいびきを立てて眠る岩に近づいて行った。

「よく見ていろ」

一度振り返って刹那に言うと、岩に視線を戻し、精神を集中させる。

「ふっ!」

爆は、大して力を入れずに岩を殴りつけた。
一瞬後、岩が、まるで内部から爆破されたかの様に粉砕された。

「!?」

その現象に、刹那は言葉を失った。
爆は振り返ると、親指で岩の破片に埋もれたジバクくんを指差す。

「これは、『極目』という技だ。『秘点』を見抜き、それを突く事で物の構成を崩すんだ」

「すごい……でも、どうやってやるんですか?」

「とにかく、精神集中だな。とりあえず座禅でも組んでみるか?」

ちなみに、『極目』は素質のある武術者が10年みっちり修行して、会得出来るか出来ないかの大技である。

(刹那にとって)不幸な事に、爆はそれを忘れていた。


二時間後―――夕暮れ時。

「そろそろ休憩にするか……」

その一言で、刹那は組んでいた足を思い切り伸ばした。

「……疲れた……」

疲れ(徒労)を払う様にぐっと背伸びをする。
その時、爆の腹がぐ〜〜と空腹を訴えた。

「む……」

それを聞き逃さず、刹那は疲れも何処へやら颯爽と立ち上がると、傍に置いてあったバスケットを突き出した。

「あの……私お弁当作ってきたんですけど……一緒に食べませんか?」

その申し出に、爆はもちろん首を縦に振った。

「……うまいな」

爆は手にしたお握りを食べると、口をもぐもぐさせながら無愛想に賞賛した。

「あ、ありがとうございます」

隣に座る刹那は、頬を赤く染めてはにかむように微笑むと、自らもお握りを齧った。

大きいリアクションはしないが、爆は嘘をつかない事を知っていた。
だから、彼は本当に美味しいと思ってくれている。
爆はお握りを嚥下すると、刹那に向けて再び口を開いた。

「しかし、お前は意外と大喰らいなんだな」

「え?」

「一人で食べるには、この量は多すぎだぞ?」

それは、当然だった。

元々、爆のために作って来たのだから。

これは最初から計画していた事なのだ。
爆が修行のため森に行くと聞いて、刹那はすぐさま弁当を作り、その後を追ったのだった。
修行とはただの名目に過ぎない。

刹那もまた、爆に思いを寄せていた。

あの初めて出会った夜、助けられた時から、その萌芽はあった。

その心の強さに、垣間見る優しさに惹かれた。

それは日を重ねるごとに募っていき、そして今回、このような大作戦に出たのだった。

しかし―――

「(……私の『秘密』を知れば、爆さんだって……)」

自分を忌避するだろう。
そう思うと、不覚にも涙が零れそうになって、刹那は静かに顔を伏せた。

「? どうした?」

刹那の突然の変化に爆が声を掛ける。

「……いえ、何でも無いです……」

その時だった。

『ほう、うまそうな匂いをさせてるな。俺にもわけてくれ』

低い、唸り声の様な声。
森の草木を掻き分けて、大鬼がその巨体を現した。
その同胞である妖怪達も次々に森の奥から飛び出し、平和な森は一瞬にして妖気立ち込める異界と変貌する。

「くっ……逢魔ヶ時か!」

刹那が叫ぶ。
夕暮れの薄暗い時、それは妖怪達が活発になる時間帯だ。

『うまそうな奴らだ……』

巨大な蜘蛛の妖怪が顎を打ち鳴らす。

『早く喰いてえ……』

黒い狼が舌なめずりをする。

膨大な殺気と食欲が、四方八方から爆達に向けられる。

「ちっ……行くぞ刹那!!」

傍らの大剣を引き抜いて、夕日に白刃を輝かせた。

「はいっ!」

刹那も素早く刀を鞘から抜き放ち、八双に構える。

『殺せッッ!!!』

鬼の号令と共に、戦いが開始された。

「やぁ!!」

『ぐえ!』

牙を剥き出しにして飛び掛る狼を、刹那の銀閃が左右に両断する。

「はっ!」

『うぎゃあ!』

爆の切り上げた剛刃が大蜘蛛の腹を掻っ捌いた。
その勢いのまま宙で弧を描き、緑色の体液を撒き散らして、巨躯が妖怪達の前にどさりと叩きつけられる。

『ひっ!』

一瞬で屍に変えられた仲間を見て、小鬼が小さく悲鳴を上げた。

『怯むな!囲め!!』

大鬼に活を入れられ、自分達の数の上での有利を思いだし、瞬く間に二つの円を形成した。
その中心にいるのが爆と刹那であり、タッグを組ませず個別に倒す事にしたらしい。

『へへ、肉団子にしてやらあ!!』

大鬼が下碑た笑いを浮かべる。
異形の壁に隔てられ、たちまち刹那の姿が見えなくなったが、しかし爆は何の心配もしていなかった。
彼女とて、立派な戦士だ。
今は自分の事だけを考えれば良い。

そうだ―――

「ちょうど良い、あれを試すか」

不敵に笑って、左腕を柄から離す。
そして残る右腕に、大量の気を注いで行く。

「行くぞ」

爆は、羽毛の如く軽くなった右腕を、無造作に振り回した。

しかし、彼を囲む妖怪達にはそれを認識する事は叶わなかった。

見えたのはきっと、鉄色の閃光。

一秒後、壁は肉片と血の混合物となって、円を描いたままその場に崩れた。

「……思ったよりすごい威力だな……」

少し驚いた表情で自分の腕を見る。
気を右腕に集中させて高速で斬るという単純な技だが、割と役に立ちそうである。

「斬岩剣!!」

一声と共に、背後から妖怪の上半身が横を通り過ぎた。
振り返ると、刹那の包囲網も切り崩され、妖怪達は地面に倒れ伏している。

「爆さん!」

刹那が駆け寄ろうとした、その時。
彼女の体がふわりと浮き上がった。

「きゃあ!?」

巨大な鷲が、刹那の肩を鉤爪で掴んでいる。

『へっ、油断したな! 空から叩き落としてやる!!』

爆が斬りかかるが、大鷲はすぐさま夕焼けの空にばさりと舞い上がった。

「ちぃっ!」

巻き起こった陣風に爆が目を覆うと、その隙に大鷲はより高く上昇した。
こうなっては、爆には手も足も出ない。
ジバクくんやシンハ、サイコバズーカでは刹那ごと撃墜してしまう。
テレポートでは追いつけない。
自らの無力さに、爆は苛立った。

「くっ、この!」

森の上空で、刹那は必死の抵抗を試みた。
しかし、この体勢では剣を振っても当たらない。

『けけっ無駄無駄。そら、もっと高くするぜ!』

嘲りの声に、刹那は怒りに顔を紅潮させた。
憤りに任せて、刹那は空中で必死にもがく。

「この、この、この―――」

『ぐぇ!』

彼女の願いが届いたのか、大鷲は刹那を開放した。

何かに、打ち据えられて。

刹那は、大鷲から離れても、自分が落下していない事に気付いた。
同時に、自らの不覚にも、気付いてしまった。

「あ―――」

彼女の背に、純白の翼が生えていた。
それを見て、大鷲が慄く。

『鳥族!? しかし、その色は……がっ』

皆まで言わさずに、刹那は大鷲の首を断ち切る。

勝利。

だが、今彼女の心を支配するのは、大いなる喪失感。

―――見られた。見られてしまった。

下で、自分を見上げているはずの爆の顔を見るのが怖くて、刹那は、そのまま何処かへ飛び去った。


「刹那」

爆は、背中を向けて世界樹の根に座っている刹那に声を掛ける。
すっかり日が落ちて、陰影の深いその後ろ姿は、哀愁を帯びていた。

刹那が、振り向かずに答える。

「……驚きましたよね。羽、なんて」

彼女は、ぽつり、ぽつりと語りだした。

自分が、有翼の一族、鳥族と人のハーフだという事。

しかし、自分の持つ白い羽は、不吉の象徴だと言う事。

だから、里から追放されたという事。

刹那は、全ての過去を爆に話した。

「……」

「気持ち悪いですよね……人間でも無い、鳥族でも異端なんて……」

その声は、震えていた。

もう、爆の傍にはいられないと、刹那は思った。
自分の羽を、これほど忌まわしく思った事は無かった。

しかし、返って来たのは、思いもよらない言葉だった。

「……さっさと帰るぞ。まだ、夜は冷えるからな」

刹那が振り向いた時、爆は肩にジバクくんを乗せた背中を向けていた。

「どうした、早く行くぞ」

「え……でも……」

急かす爆に刹那は何か反論しようとしたが、言葉が見つからない。

「……お前は、桜咲刹那だ」

「?」

ゆっくりと歩き出して、爆は続ける。

「お前は俺の下僕だ。背中に羽が生えてようが、それが白かろうが、俺になんの関係がある?」

「……」

「それに、異端を気にする事は無い」

「え……」

心なしか、微かに、ほんの微かだが、爆は恥ずかしそうに、

「……お前の羽は、美しいからな」

それきり黙って、爆は森の外に向かって、足を進めた。

「……」

刹那は、しばらくその背中を見詰めていたが、やがて立ち上がると、彼の後を追った。


「大体、このピンク色の球体に比べればお前など普通だ」

「……たしかに……」

『ヂッ!?』


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