第十三話
楓は今、非常に苛立っていた。 別にイタズラ電話が多発しているとか、ピンポンダッシュをされたとか、そう言う事では無い。 原因は爆だった。 もちろん、飯がまずいからちゃぶ台をひっくり返すとか、酔って酒瓶を投げつけるとか、そんな事は無い。 共に暮らし始めてから、もうかなり長くなる。 男と女が屋根一つ。 普通なら、そんなシチュエーションで何も起きないなど、ありえない事なのだ。 しかし悲しいかな。 爆を一般人と同一視。 異常なほど淡白なのである。 男性として大切な何かが欠けているのではないか?そう思わせるほどだ。 今まで様々なアプローチ(ご想像にお任せします)を仕掛けて来たが、爆は全く歯牙にもかけない。 自分には魅力が無いのかと、三日間悩むほどに。 そんな感じで、二人の仲(一方通行)は全然進展が無かった。 ―――だというのに。 ライバルが続出し始めたのだ。 まず刹那だ。 爆は最近よく剣の稽古を手伝っているらしいが、刹那の目は完全に恋する乙女である。 次にエヴァンジェリン。 彼女はもう、露骨だ。 何の接点があったのかは知らないが、爆の姿を見るとすぐさま駆け寄って来る。 目はもちろん刹那のそれと同様だ。 あと、同室の鳴滝姉妹も怪しい。 彼女達はどちらかと言えば、兄に向ける様な愛だが、何時だったか。爆に膝枕されて眠りこけていた。 それを思い出すと今でも腸が煮え立って……。 まあ、それはともかく、楓は危機感を抱いていた。 あの爆が愛の言葉を囁くなど全く想像もつかない事だったが、どうせなら自分に囁いて欲しいというか、万が一という事もある。 その前に勝負を着けなくてはいけないのだ。 爆の好物も嫌いな物も知っている。 その寝顔も体をどこから洗うかすら熟知している。 さらにはキス(爆には人工呼吸以外の認識は無い)までしているのだ。 そんな絶大なるアドバンテージを有する自分が、負けるわけにはいかない。 しかし具体的な案は思い浮かばず、散々低回した、その結果。 今こうして、食堂棟のカフェでテーブルを挟んで爆と向かい合っていた。 「……で、話というのは何だ?」 ほかほかと湯気を立てるコーヒーカップを傍らに、爆が訊ねた。 「……え〜と……」 それに対して、楓は頬をかりかりと掻きながら細い目を反らした。 「?」 楓は困り果てていた。 思い立って呼び出したは良いが、何を話せばいいか全く思いつかない。 いつもなら勝手に舌が回転して口から言葉が滑り出してくるのだが、今日はその能力は封じられていた。 一体、何を言えば良い? 「好きです」とでも言うか? しかし、爆の場合「そうか」の一言で終わらせそうな気がする。 ならば、「結婚してください」ならどうか? いや駄目だ。多分冗談だと思われる。 ………思い切って、「いい子を作りましょう」ならどうか? うん、これは良さそうだ。 気持ちもストレートに伝わるし。 よし、これで行こう。 言うまでも無く、この時の楓の頭はネジが五本ほどぶっ飛んでいた。 しかし彼女がそれを自覚する事は無く、勇気を振り絞り、そのある意味決定的な台詞を放とうとした。 その時――― 「あの爆殿、い「爆さん」っ!?」 幸か不幸か、楓の言葉は第三者によって遮られた。 「む、真名か」 爆が顔を向けた、そこに立っていたのは龍宮真名だった。 少女にしてはかなり高い身長と、チョコレート色の肌が麻帆良学園の制服とミスマッチしている。 「ここ、良いか?」 「かまわん」 爆の了承を得ると、近くから席を借りて爆と楓のテーブルに座った。 「コーヒー一つ」 ウェイトレスにそうオーダーして、真名は肘をついた腕に顎を乗せる。 爆は、彼女とは何度か組んだ事があった。 その銃による戦闘能力は評価に値するが、今は穏やかそのもので、とても戦いに生きる者とは思えなかった。 刹那と言い楓と言い、公私がはっきりと区別されている。 「……お邪魔したかな?」 爆と楓を交互に見比べて、真名がからかう様に笑った。 「何がだ?」 爆が、その朴念仁を発揮させる。 「いや、分からなければいいんだが……」 ちらりと、真名は先程から向けられる視線を横目で見た。 楓が、表情はいつもの微笑しているかのような顔で、しかし人が殺せないのが不思議なほどの殺気を真名に放っている。 告白を邪魔されたからだろうか? 真名は背筋に寒いものが走るのを感じた。 しかしすぐに気を取り直すと、のんびりコーヒーを啜る爆に話しかけた。 「ところで爆さん。一つ、頼みがあるんだが……」 「また仕事の手伝いか?」 真名は、普段はあまり積極的に爆と接触する事はせず、たまに現れては妖怪退治の手伝いを請うのだ。 しかし、その予想に反して、彼女の口から出たのは意外な頼みだった。 「私と戦ってくれ」 「何?」 口に付けていたカップを下ろし、爆は眉を寄せて真名を見詰めた。 楓も驚いたのか、多少目を見開いていた。 「何故、そんな事をしなければならない?」 「理由は、聞かないでほしい」 赤い双眸が細められる。 それは先程までとは打って変わって、紛れも無い、戦士の瞳に変貌していた。 射抜くような視線に、しばらく黙していた爆だったが、 「……何時だ?」 「今夜の八時、世界樹で」 そう告げると、真名は椅子から腰を上げて、カフェから立ち去った。 「良いんでござるか?爆殿」 真名に触発されたのか、楓が緊張した顔付きで言った。 「何故かは知らんが、奴は本気で勝負を挑んで来たんだ。応えなければ奴に失礼だ」 戦士には戦士の返礼を。 相手の性別がどうあれ、それが彼の流儀だ。 青年の覚悟に、楓はごくりと固唾を飲んだ。 その時、そんな緊迫した空気に、間抜けな声が飛び込んできた。 「コーヒーお待たせ……あれ、お客さま?」 先程のウェイトレスがコーヒーを持って来たが、注文した真名はいない。 「……」 爆は無言で財布を取り出した。 時折寒風が吹き付ける夜の森を、爆は黙々と歩んでいた。 その姿は、巌流島に向かう宮本武蔵を彷彿とさせた。 ならば、この先に待っているであろう真名は佐々木小次郎か。 少なくとも、心境は同じだ。 迫り来る戦いの時に、爆の心は緊張感を生んでいた。 二人の実力を天秤で測れば、間違い無く爆の方に傾倒するだろう。 それを知りながらも、真名は爆に戦いを挑んできた。 自分の得にならない事は、決してしない主義の彼女が、だ。 その理由も意味も理解できぬまま、爆は戦場に辿り着く。 「何時来ても、でかいな……」 すでに、見慣れた物で、つい数日前に来たばかりだが、爆は巨木を見上げて思わずつぶやいた。 思えば、結構の頻度でこの場所に来ている気がする。 どうやら、この樹と自分は妙な縁があるらしい。 「……と、こんなことしてる場合じゃないな」 何となく和みかけた心を引き締めると、爆は暗鬱とする木陰に向かって、はっきりとした声で言った。 「おい、真名。隠れても無駄だ。さっさと出て来い」 呼びかけに応えて、がさりと茂みの一部が盛り上がった。 そこから姿を現した真名は、兵隊のような、丈夫な迷彩服という奇妙な出で立ちだった。 その手にはライフルが抱えられている。 AK47という名で、旧ソビエトのカラニシコフにより設計されたアサルトライフルだ。 操作性の簡便さと、堅牢な構造を特徴としている。 「やっぱり、奇襲は無理か。さすがだな、爆さん」 擬装を見破られたのにも関わらず、くすくすと真名は嬉しそうに笑った。 「気配を消したくらいで、俺から逃れられると思うなよ」 多少自慢げに、爆が言った。 実際、真名の隠蔽術は見事なもので、生半可な実力では見抜けなかっただろう。 「……お喋りはここまでにして、そろそろ始めようか」 言い終わると同時に、真名は銃口を爆に向けて素早く引き金を引く。 白光が瞬いた。 「むっ!」 反射的に半身になると、腹の前を弾丸が通り過ぎ、樹に三つの穴を空けた。 避けた後、爆は動きを止めず横に転がった。 それを追って、地面に次々と弾痕が穿たれる。 「ちっ……」 爆の移動を追いきれず、射撃が一瞬停まる。 その隙を突いて、爆は思い切り地面を蹴った。 「はっ!」 真名に肉迫し、爆は拳を振り上げた。 だが――― 「!」 寸前で動きを止めると、すぐさま横に飛び退いた。 一瞬後、爆の胸があった部分を、銃声と弾丸が貫いた。 「これもかわすか……」 軽く舌打ちをした真名の右手には、硝煙の新しい拳銃が握られていた。 グロック17Lと呼ばれる、射撃の精密性を特徴とした拳銃。 服の袖に忍ばせておいて、遠距離の場合はライフルを、近距離の場合はこれを、という具合で待機させてあったのだ。 そのコンビネーションに、真名の百戦練磨が窺えた。 「やるな、真名」 「よく言う……ほとんど本気を出してないくせに」 そう、彼女が今看破したように、爆の今までの遣り取りは全開ではなかった。 もっとも、彼が本気で倒しに向かえば、一秒と立たず勝敗は決する。 その理由を、爆は不敵に笑って述懐した。 「……お前と戦いたかったからな。それに、色々と参考になった」 おもむろに、爆は両手を、真名に向かって突き出した。 ―――精神を集中させ、強くイメージする。 心は、まるで波紋無き水鏡の如く。 イメージは、絵を描くように、より鮮烈に。 そしてそれを、一気に開放する。 「!!」 真名が驚いたのも、無理はなかった。 何故なら、爆の右手に、左手に、それぞれ拳銃とライフルが構えられていたのだから。 サイコガン、とでも名付けようか。 「そうか……バズーカが出せるんだ、他の武器を出せても不思議は無い……」 「そういう事だ。銃撃戦と行くか?」 同意を求める爆の声に、 「ふっ……もちろん!」 真名もまた両手に、黒金の相棒を構えた。 ―――夜の森に、無数の銃声が響き渡る。 弾丸と弾丸の応酬。 二人とも、一秒たりともその身を一箇所に置かず、目まぐるしい、という言葉では済まされない移動に次ぐ移動。 お互い円を描くかの様に移動し、嵐の如き銃撃線が続く。 やがて、銃声と白光が止んだ時、息を乱しているのは真名だった。 「はあ……はあ……」 体には、掠り傷以外は大きい外傷も無いが、体力という面で真名は爆に届かなかった。 足元には無数に薬莢が散ばり、弾丸はもう残ってはいない。 彼女に、これ以上の戦闘続行は不可能に思えた。 「……勝負はついた。降参しろ、真名」 ゆっくりとした足取りで近づきながら、爆は宣告を発する。 「冗談じゃない。まだ、戦いは終わってないぞ」 たしかに、もう体力も、弾丸も残ってはいない。 それは認める。 しかし、最後の切り札は在った。 もっと引きつける。 もっと、もっと。 「強がりを言うな。さあ、早く……」 爆が、更に一歩足を踏み出した。 ―――今だ。 真名は素早く腰に手を回すと、備えてあった金属性のボールの様な物体を宙に放り投げた。 「!?」 反射的に爆が弧を描くそれを目で追った時には、真名は目を瞑り耳を塞いでいる。 次の瞬間。 まぶゆいばかりの閃光と、耳を劈く轟音が発生した。 スタングレネード。 光と音で、敵を傷つけずに無力化する爆弾。 さすがの爆でも、それを防ぐ事は出来まい。 真名が目を開けると予想通り、彼はそこに身動き一つせずそこに立ち尽くしていた。 「成功か」 彼女は安堵の笑みを浮かべて、爆に歩み寄った。 その時、真名の心に油断があった事は、否定出来ない 「それは俺の台詞だ」 「!!」 その声は、真後ろから直接耳の中に飛び込んできた。 振り返ろうとした後頭部に、硬い金属質の物が触れる。 それが銃口だと体が言葉よりも明確に伝える。 「……影分身か」 「そういうことだ。お前が何かしようとしてる事は分かってたからな。光った瞬間に、お前の後ろに回り込んだんだ。これで、終わりだな」 真名は、その場に糸の切れた人形の如く座り込んだ。 「……ふふ、さすがに、もう手は無いな……完敗だ……」 疲れ果てた声だった。 爆も、その場に胡坐を組む。 「……で、何でまたこんな事を思いついたんだ?」 爆の問いに、真名は背中を向けながら、考えて、答えた。 「……どうやら、私は貴方の事が、好きらしい」 意外な、告白だった。 彼女は、ふふっと何処か自嘲気味に笑うと、続ける。 「……」 「でも、私には、それを伝える術は無かったよ……初めてだからな……こんな気持ちは……」 もしかすれば、単に勇気が無かっただけかも知れない、そう内心付け加える。 「悩んだよ。どうすれば、気持ちを伝えられるか。それで私は、一番自分が出せる事をすることにしたんだ」 つまり、戦いだ。 「……随分物騒な、自己表現だな」 「ははっ、しかし、こうして告白できたからな。私としては、満足だ」 爆からは見えなかったが、そう言った真名の笑顔は、朗らかなものだった。 「そうだ……」 真名は立ち上がると、座っている爆に歩み寄って、屈むと、 「ついでと言っては、何だけれど……」 爆の頬を撫でるように掴むと、口付けをした。 「!!」 真名が唇を離す。 「一体、何のつもりだ?」 「そうだな。楓達への、宣戦布告かな」 「?」 「……本当に鈍いんだな、まあ、いいか」 にっこりと綺麗に微笑むと、真名は体を森の外に向けた。 「それじゃあ、また明日」 呆然とする爆を置いて、真名は帰路についた。 後に、爆がこの事を楓に話した時、彼は鬼を見たという。 |