第二十一話
晴れやかな青空に恵まれ、今日は修学旅行当日。 集合場所に指定された大宮駅には、既に生徒達の姿があった。 楽しそうなきゃーきゃーという甲高い大声に少々辟易しながらも、爆もその輪の中に歩み寄って行った。 「あ、爆殿。おはようでござる」 先に来ていた楓が、巨大なバックを肩に掛けながら爆に手を振った。 それに遅れて、傍にいた他の生徒達も会釈する。 その時、一人の影が輪の中から飛び出した。 褐色の肌を持った小柄な少女―――古菲である。 勢い良く拳を振り上げて、青年に肉迫する。 「今日こそ私が勝つア……」 「甘い」 少女の言葉を遮ったのは平坦な声だ。 古菲が突き出した拳は素早く半身になった爆に難なくかわされる。 泳いだ体を立て直す暇は与えられず、手刀の一撃が頭頂部に与えられた。 「あいたッ!」 「馬鹿め……俺を倒すなど一京年早い」 傲然と腕を組み、淡々とした声で幾度と無く彼女に告げた言葉を言い放つ。 爆としては既に日常化しつつある光景だが、初めて目撃した生徒は我が目を疑った。 誉れ高き麻帆良学園中国武術研究会の部長であり、学園大格闘大会「ウルティマホラ」の優勝者である彼女が、一分と経たず敗北したのである。 「顔を付き合わせる度に攻撃しおって。まったく、挑戦など受けなければよかった……」 うんざりとした表情で、爆は嘆息した。 ―――元を正せば、楓の所為である。 真名から聞いた話では、楓が爆の事を色々と吹聴したらしく、その内容の詳しくは聞き及んでいないが、職務中に古菲が勝負を仕掛けてきた辺り大体想像がついた。 無論、爆は女と戦う気は無いと拒んだのだが、彼女は聞く耳を持たず踊りかかってきた。 結局勝利を収めたのは爆だったが、それからというものの、傍目から見ればじゃれ合いの様な、しかし古菲にとっては真剣な勝負が、毎日毎日延々と続けられているのである。 言い迷惑だ、とは当然青年の弁だ。 「……ん?」 爆がすりすりと頭を撫でる古菲を眺めていると、誰かが背後からシャツを引っ張った。 振り返れば、ザジの無表情な顔が爆を見上げていた。 「おお、ザジか」 「……」 少女がこくりと頷く。 「そうか、しかし夜更かしはいかんぞ」 「……」 もう一度頷く。 「ふむ、たしかにそれは……ん? どうしたお前ら?」 爆がザジとの会話を中断して周りの連中に目を遣ると、無数の視線が彼に殺到していた。 「……爆殿? 一体、何を?」 信じられない物でも目撃したかの様な、やや引き攣った顔で訊ねたのは楓だった。 「何って……ザジと話しているに決まっているだろうが」 何言ってるんだ? とさも当然の如く答える。 傍らのザジも、こっくり頷いて肯定の意思を表した。 たしかにコミュニケーションはとれていた様だが、誰がどう見ても爆が一方的に喋っていたとしか思えない。 しかし、爆の返答には全く淀みが無かった。 「そうか? ザジは今日が楽しみで、寝付けなかったと言っていたが。なあ?」 そう言って彼女に同意を求めると、それは無言で報われた。 「……」 ―――ただし、それには心からの微笑みが添えられている。 知らない人間から見ればそれは何でもない動作だったが、しかしザジのクラスメートにしてみれば我が目を疑う光景だった。 「「わ、笑った!?」」 異口同音で上がったのは驚愕の声だ。 それもその筈、ザジは滅多に笑う事はしない。 営業スマイルならともかく、心からの笑顔など幻の秘宝に等しい代物である。 しかし今、とても接点があるとは思えない警備員が、たしかに彼女を笑わせたのだ。 一体、どんな魔法を行使すれば実現しえる現象なのだろうか? 現在一同の脳内は、その疑問のみに占領されていた。 しかし、そんな状況を知る由も無い声が奇妙な沈黙の中に飛び込んで来た。 「おはよう、爆」 何時の間にやら現れたエヴァンジェリンが、金色の長髪を揺らして悠然と歩み寄ってきた。 「おはようございます、爆さん」 慇懃に頭を下げたのは背後に控えた茶々丸だ。 爆の『聖華』の術によって登校地獄の呪いが解かれたため、彼女らもこの京都への旅に参加する事になったのである。 「ああ……やはり、眠そうだな」 爆がエヴァンジェリンの微妙に重たげな目蓋を見て言った。 ハイ・デイライトウォーカーとはいえ、彼女が吸血鬼である以上、日中での活動は得意では無かった。 日光に命を奪われる事は無いが、代わりに強烈な睡魔に襲われるのである。 「まあ、もうすぐ新幹線が来るからな。そこで思う存分寝ればいい」 エヴァンジェリンは、青年の言葉にあまり生気を感じさせない動きでこくり……というよりがくりと頷いたが、 「それもそうだが……間が持たんからな……」 そう言い終わるが速いか、彼女は倒れこむ様にして小柄な体を爆にしなだれ掛かせた。 「「!!」」 その行動に、声無き驚愕が走る。 エヴァンジェリンの放つ怜悧な雰囲気は、基本能天気な3ーAをしても近寄り難いものがあった。 一人を除いて、その心を開かせた者はいなかった。 そんな彼女が、あろうことか男の胸元によっかかって眠っているのである。 一体彼は何者なのか? 周囲の人間が新たな疑問に脳を占められているなど露知らず、爆は困り顔でエヴァンジェリンの処遇に悩んでいた。 「(これでは動けんではないか……)」 健全な男子ならば、他に考える事もあったのだろうが、しかし、淡白な爆が思うことといえばそんな所だろう。 移動が云々もさることながら、先程から向けられる、楓やらザジやら茶々丸やら、どういう訳かそこの柱の影に身を隠している刹那の刺々しい視線は、豪胆な青年をしても非常に気まずいものがあった。 だから、女性教員であるしずなの告げた出発は、まさに天からの救いに思えた。 「では、一斑から六班までの班長さんお願いしまーす!」 ネギが教師らしく先導の旗を振り振り呼びかける。 ざわめく群集が移動を始め、爆も寝息を立てるエヴァンジェリンをひょいと横抱きに抱えるとその後を追った。 ホーム内に、白い大蛇を思わせるな新幹線が滑り込んできた。 徐々にスピードを落としながら停車したそれは、一斉に扉を開いて生徒達を迎え入れた。 爆は未だ眠りこけるエヴァンジェリンを茶々丸に預けると、3ーAの車両の最奥に据えられた自分の席に向かった。 「よい…しょ、と」 背負っていた、黒く巨大なバッグを荷物置き場に乗せる。 その中に入っているのは愛用の大剣である。 このバッグは学園長から送られた物で簡単な認識障害の魔法が掛けられているらしく、難なく持ち込む事が出来た。 この修学旅行は、一斑の生徒達には楽しい旅になるだろうが、ネギや爆―――魔法に関わっている人間にとっては波乱に満ちたものになるだろう。 現在、ネギの懐にでもしまわれているだろう手紙、関西呪術協会への親書を狙う者がいるからだ。 木乃香の護衛と同時に、その妨害をも退けなければならない。 かなりの激戦が予想されるため、戦闘の手段は一つでもあった方がいい。 程なくして、新幹線が駅から出発した。 ジバクくんを窓際に乗せてやり、爆もまた流れ行く景色を楽しむ。 そんな折、背後に立つ何者かの気配に、爆は首を傾けた。 「刹那か」 車内の振動で時折揺れるサイドテイルを認めて、短く名前を呼ぶ。 「……お隣良いですか?」 爆は、班はどうした? と言い掛けたが、視界に否応無く入り込んでくる光景に口を閉ざした。 皆それぞれ好き勝手に移動し、もはや班などあったものではない。 「別に良いぞ」 青年が肯定の言葉を口にすると、刹那はぺこりと頭を下げて、腰を通路側の席に落ち着かせた。 「それにしても、こんな形での旅は初めてだな」 爆が、突然話を振る。 「そうなんですか?」 「ああ。大体は歩きか、チッキーに乗ってたからな」 「チッキー?」 聞いたことの無い名前だった。 「GCは、ドライブモンスターという搭乗用のモンスターを連れていてな。うちの奴は空を飛べるくせに、高所恐怖症なんだ」 そうなんですか、と刹那は苦笑する。 そんな彼女を横目で見て爆は、ふう、と深い溜め息をついた。 「……少しは力を抜け、刹那」 「え?」 突然の言葉に、刹那は彼を凝視した。 「そんな調子じゃ、いざという時に動けんぞ」 爆は、学園長が彼女に孫である木乃香の護衛の他にネギが親書を紛失しないように監視するよう命じた事も知っていたし、その言葉で、刹那が肩に力を張っている事にも気付いていた。 また、彼女の責任感の強さもよく知っている。 「お前は、一人じゃない」 爆は、刹那を見据えて言葉を続けた。 「俺がいるし、ネギやアスナもいる。他にも、頼れる奴はいっぱいいるぞ」 「……」 「一人で背負うな、刹那。重かったら、俺が、俺達が一緒に支えてやる」 そう、微笑みかけると、 「……はい、お願いします」 刹那もまた、微笑みで返した。 ―――その時だった。 「「キャーーーーーーー!!」」 車両が、悲鳴で満たされた。 「何だ!?」 青年が立ち上がると、その瞳に映されたのは通路を埋め尽くすカエルの大群だった。 一体何処から現れたのだろうか? 「な、何だこの大量の両生類は……関西呪術協会とやらの仕業か?」 見れば、カエルに埋もれた楓が口から泡を吹いて失神している。 エヴァンジェリンは未だ爆酔中だ。 「おそらくは……爆さん、ここはお願いします。私は親書の方を」 刀を携え、刹那は立ち上がると、別車両への扉をスライドさせた。 「わかった、頼んだぞ刹那!!」 背中に掛かった爆の言葉に、少女は駆け出した。 |