第三十話
かたん。 不意に旅館の天井の板が外れる。 開いた矩形の暗闇から、縄梯子が垂れ下がった。 「まだ誰もいない……チャンスだよ」 「あううう、怖いです〜〜」 小声で会話を交わしながら、風香と史伽は床に降り立った。 いざという時の退却経路として、縄梯子は残しておく。 「ネギくんの部屋の隣か……他の班とあわなくてよかった」 楓や真名と出会えば間違いなく戦闘になる。 全滅は必至だし、そうでなくとも、爆の部屋には雹というラスボスがいるのだ。 「でもお姉ちゃん、どうやって雹さんをかわすんですか?」 不安げに史伽が問い掛ける。 楓でも敵わない相手に、自分達が勝てるわけが無い。 しかもこちらの武器は枕で、相手は真剣だ。 運良くキスという目的を果したとしても、嫉妬に狂った銀髪の修羅がどんな行動に出るかなど火を見るより明らか。 鮮血舞うこと間違い無しだ。 しかし、風香は怪しげな笑声を持って答えた。 「ふっふっふ……大丈夫、秘密兵器があるから!!」 ばっと忍者服の中から取り出されたのは、一枚の写真。 そこには、風呂場で体を流す爆の姿が映されていた。 「この写真で雹さんの気をそらすんだ!」 「なるほど………って何でそんな写真持ってるんですか!?」 それは楓が爆に気取られぬよう忍者の技能を尽くして激写した秘蔵の一枚。 彼女の机の中から発見された物だった。 「……かえで姉って……とにかくそれで行きましょう!」 師匠とも言うべき同居人に一抹の不安を覚えた史伽だったが、今はそれに感謝するしかなかった。 現在、一番成功率が高く生き残れそうな作戦はこれしか無いのだから。 「よし行こう………って、あれ?」 深呼吸をし覚悟を決め、一歩前に足を踏み出そうとした風香の動きが、ぴたりと止まった。 右側のT字路を、カウボーイハットを被った人影が通り過ぎたのだ。 「お姉ちゃん、あれって……」 「史伽、行くよ!」 お互いに頷くと、二人はその人影の後を追った。 角を曲がった先にいたのは、たしかに爆で。 頭に乗ったカウボーイハットは間違えようが無い。 「爆さーん!」 走りながら風香が叫んだ。 それに気付いた爆が、立ち止まって振り返る。 「お前ら……」 彼が何でこんな所にいるのかは知った事では無いが、とにかく幸運であるには違いない。 他の連中が来ない内に思いを遂げようと、爆に向かって猛然と突進する風香と史伽。 しかし、二人を迎えたのは唇でも何でも無かった。 ごごん。 リズミカルな打撃音―――爆の容赦無いチョップだった。 「「いったぁッッ!!」」 「この馬鹿ども! 部屋から出るなと言ったろーがッ!!」 うずくまって頭を押さえる姉妹を、青年は容赦なく一喝する。 「まったく……正座しろとは言わんが、部屋でおとなしくしてろ」 二人の小さい体を脇に抱えると、爆はのっしのっしと一斑の部屋へと連行していった。 「「そんなぁ〜……」」 爆達が去ったその直後、非常口の扉が、静かに開かれた。 こそり。 真名は僅かに横顔を壁から出し、行く先の様子を探る。 敵影無し。 それを確認すると、彼女は走らず、早足で前へと進んだ。 息も足音も消しているため、廊下は静寂に包まれていた。 「(爆さんの部屋は……もうすぐだな)」 胸元から地図を出して、目的地を確かめる。 ここまでは順調だ。 だが、問題は部屋に到着してから。 そこには恋敵とも言うべき雹が待ち構えている筈。 何せ刹那や楓と協力して戦っても勝てなかった男、一人での攻略は絶望的だ。 一歩踏み入れただけでも、その二刀流が襲い来るに違い無い。 「(どうする? 楓達が来るのを待って共闘するか?)」 いやそれも危険だ。 戦っている途中に抜け出して、先に思いを遂げる可能性がある。 というより、それくらいのことは確実にやるだろう、あの忍者は。 「(だったら、どうする?私一人では―――)」 葛藤する真名。 彼女の首筋に細い針が突き刺さったのはその時だ。 「はふッ……」 奇妙な声を上げて、ばったり倒れる真名。 その後ろには、聡美と吹き矢を構える楓が立っていた。 もうルールなんてドブに叩き込んでいる。 モニター前の和美も呆れているだろう。 「これで邪魔物は消えたでござる」 忍びらしく冷酷に言い捨てて、吹き矢をしまう。 さすがに致死性の物は使用していないが、塗布された毒の効果は強力だ。 「ああ、お友達が……」 何やら幻覚を見ているらしく、うつ伏せとなった真名が呻き声を上げた。 「長瀬さん……一体何の毒を……」 「絶海の秘島に生える巨大毒キノコの胞子でござる。それよりも、先を急がなければ……」 倒れ付す少女には目も暮れず、楓が足を進めようとした―――その時。 彼女の鼻先を、高速で掠める何かがあった。 弾丸さながらに壁に撃ち込まれたのは、鈍色に輝くコインだ。 「待て……楓……行かせるわけにはいかん……」 幽鬼の如く立ち上がった真名が、新たなコインを手にした。 三人の少女が対峙している頃、エヴァンジェリンと茶々丸は旅館の外側を飛行していた。 魔力で浮遊するエヴァンジェリンが、旅館内部で巻き起こっているでろう小競り合いを想像し、嘲笑を浮かべた。 「くくく……外から行くなとは言われていないからな」 ブースターから火を噴出して飛翔する茶々丸が後方で同意する。 さすがの和美も、そこまでの想定はできまい。 それに彼女とカモは契約カードが入手できればそれで良いだろうから、ルールなど建前だろう。 「ですがマスター。雹さんはどうするのですか?」 「ふん、あんな鳥、氷付けにして海にでも流してやる」 不敵に歪めた口端から、犬歯というには長すぎる輝きがこぼれた。 そんな遣り取りをしている内に、二人は爆の部屋の窓へと到着した。 カーテンが引かれていて中は見えないが、幸い鍵は掛かっていなかった。 「よし……入るぞ」 雹の攻撃に備えて右腕に魔力を込め、左手で窓をスライドさせる。 しかし乳白色のカーテンを潜り抜けたそこには、爆の姿はなかった。 代わりにそこにいたのは、激にかなり本気のチョークスリーパーをかけられ、白目になって口から蟹のように泡を吹き出している雹だった。 「……ッ!」 ある意味決定的瞬間に立ち会ってしまったエヴァンジェリン。 硬直し、更に絶句してしまっている。 窓の外で固まっている二人の存在に気付いて、激が首を絞める腕の力を緩めずに会釈した。 「ようお前ら。何やってんだ? んなとこで」 「お前が一番何やってんだ」 言われて、激は雹に視線を落とす。 「ああ、こいつが爆の後追おうとするかんな。とりあえず絞め落とした」 「!!」 激の台詞からすると、雹はどうでも良いとして、爆は旅館内を徘徊しているという事だ。 「ちぃ、抜かった! 行くぞ茶々丸!!」 「はい」 窓の中に飛び込み、部屋のドアに走るエヴァンジェリンと茶々丸―――それを遮ったのは、鋭利な銀色の光輝だ。 チョークスリーパーから脱出した雹が、腰にした鞘から双剣を抜き放ったのだ。 「ぐ……ぐふぅ……ま、待てお前ら……」 ただし、酸欠により意識は朦朧としている。 「……大丈夫かお前」 「黙れッ!! 爆君は僕と結婚するって輪廻の根源から決まってるんだッ!!!」 雹がありもしない妄想を喚きたてれば、エヴァンジェリンがそれで心臓を抉り出せそうな眼光を送る。 「どうやら、貴様はどうしても死にたいらしいな」 憤怒に応える魔力が、熾烈な猛火の如く少女の全身から噴出する。 しかし雹も百戦練磨の元GSである。 怯まず両手の長刀を十字に組み、戦いの体勢を整えだ。 「ついて来い!!」 エヴァンジェリンと茶々丸が窓の外に飛び出すと、雹も背中に収納されていた翼を展開させてその後を追う。 程なくして、夜空から剣戟や爆音が聞こえてきた。 「……一体、何が起こってやがんだ……?」 またしても一人取り残された激が、怪訝に呟いた。 「いーかお前ら。今度こそ静かにしてるんだぞ」 一斑の部屋の入り口の前で、爆は布団の上に座する風香と史伽に告げた。 「「はーい……」」 いかにも渋々と頷く姉妹を見届ると、爆はドアを閉じた。 「ふう、まったくやんちゃな奴らめ。他にもいるんじゃないだろうな……」 そのぼやきは真実なのだが、今の彼には知る由も無い。 三名の女子生徒が部屋付近で激闘を始め、旅館上空では変態鳥人と吸血鬼とロボットが熾烈な空中戦を繰り広げ、更に二人がゲームのルールなどそっちのけで自分を探しているなど、正常な人間には想像も出来ない。 まあ、爆が正常な人間かどうかも疑わしいものだが、とにかく彼は何も知らず、引き続き見回りを再開していた。 「あ、爆さん」 背中に投げ掛けられた声に振り返ると、そこには刹那とアスナが立っていた。 制服姿だが、風呂に入ってきたのか微かに石鹸の匂いがする。 「お前らか。ネギはどうした?」 「ネギなら、外のパトロールに行ってるわよ」 答えたのはアスナである。 生徒達が何やら活気付いているから注意するように忠告したかったが、いないなら仕方が無い。 「そうか、わかった」 ひらりと軽く手を振って、爆がその場から立ち去ろうとする。 「待ってください」 その背中を呼び止めたのは、刹那の凛とした声だ。 「ちょっと、話したいことがあるのですが……」 そう言う少女の顔から、何か決意めいた気配が感じられたのは、果たして気のせいだったのだろうか。 |