第三十一話



廊下に風切り音が生じ、直後耳障りな金属音が鈍く冴え渡る。

音源は空中で衝突したコインと手裏剣だ。
威力は相殺され、双方とも廊下に落下する。

「ちっ、またか……」

通路の影に背を預けて舌打ちしたのは、コインの持ち主である真名だった。

彼女の言う通り、この殺伐とした遣り取りは既に十回以上は続いている。
その証拠に廊下には、無数の手裏剣とコインが屍の様に転がっていた。

「くっ……なかなかやるでござるな……」

一方、向かいの通路の影には手裏剣の使い手である楓が隠れていた。
その手元では新たな手裏剣が照明の光を反射して鈍く煌いているが、投擲のタイミングが見出せず焦燥していた。

敵は真名だけでは無いのだ。
あまり時間を掛ければ第三者に先を越されるかも知れないし、新田に発見される危険もある。

「ハカセ殿、何か良い道具は無いのでござるか?」

どうにかしてこの状況を打破しようと楓は聡美に訊ねたが、返って来たのは如何にも申し訳なさそうな声だった。

「スタンガンはありますけど、この距離はちょっと……」

天才的な科学者である聡美でも、さすがにどこぞの猫型ロボットの様にはいかないらしい。

屋内での戦闘に役に立つのはやはり煙玉だが、しかしこんな旅館内で使用すればスプリンクラーが反応して冗談では済まない大騒ぎになる。

そうなれば思い人―――爆も、烈火の如く激怒するだろう。
そしてその怒りを一身に受けるのは間違いなく自分だ。

………それもまあ、悪くは―――いやいや。

何だかダークサイド的な方向に行きそうになった思考を強引に戻して、当面の問題に向き直る―――それと同時に、

「そこだッ!」

鋭く飛来したコインが前髪を散らした。

全く隙が無い。

その手に銃は無くとも、スナイパーの実力は損なわれない様だ。

「こうなったらハカセ殿を盾にして突っ込むしか」

「と、特攻作戦はさすがにッ!!」

さすがに、真名の殺意を全面的に受ける勇気は持ち合わせていない。
仮に伝説の勇者級の勇気があったとしても、本気で殺る気の指弾の連発を防ぐ盾にはなり得ない。

「まあそれは最終手段として……本当にどうするでござるか……」

候補からは外されてはいないらしい。
そんな時、真名がいる方向から悲鳴が聞こえてきた。

「ぐはッ!?」

それは、間違い無く真名本人の物だった。

「……?」

何が起こったのか。
楓が、そっと壁から首を出して覗き見てみると。

「ピィーーーーーッ!」

眼前に迫って来たのは、一羽の鳥だった。
その硬く鋭い嘴が、彼女の眉間を一撃する。

「はうッ!!」

脳を揺らされ、楓が背中からばったり倒れる。
鳥は仕事を果すと、ぱたぱたと主の下に戻っていった。

主―――ザジは、茶褐色の腕にとまった友達の顎の辺りを撫でてやると、静かにその歩みを進めようとした。

だが、その前に聡美が立ちはだかる。

「!」

「ここ、この先に行くなら、私を倒してからにしてください」

声も足も震えているが、彼女を臆病と哂う者はいないだろう。
むしろ勇敢とさえ言える。

「……」

「……」

無言で睨み合う二人の少女。

だが、悲しいかな。
その戦いが無意味だとは、誰一人として知らなかった。


同時刻、旅館上空で。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!氷の精霊17頭、集い来りて敵を切り裂け、魔法の射手、連弾・氷の17矢!!」

翳したエヴァンジェリンの掌より鋭利な氷の矢が顕現する。

それらは不規則な軌道を描いて雹を襲ったが、双刀の一閃で全てが打ち砕かれてしまう。
細かな氷片が、夜風に混じって消える。

「ははははッ! その程度で僕を討てるか!」

最大限に広げられた白翼が大気を殴り付け、銀髪の青年をエヴァンジェリンに肉迫させる。
懐に飛び込んだ雹は腰溜めに構えた刀を振り抜こうとしたが、そこに割り込んだ影がある。

有線式のロケットパンチだ。

「ちっ!」

再び羽ばたいて今度は後方に飛ぶと、鼻先で一条のレーザーが夜闇を引き裂いた。
網膜に残る光線の残滓を逆に辿れば、そこでは茶々丸の視覚センサーが雹を補足している。

さすがに、二対一では分が悪い。
今は何とか互角の戦闘を繰り広げてはいるが、時が経てば間違い無く不利になる。

だが、負ける訳にはいかない。
負ければ、愛する爆がこの二匹のケダモノ奪われる。
それを想像すると、怒りやら嫉妬の混じった暗黒色の業火が、心の中で燃え盛るのを感じた。

柄を握る手に、更に力が込められる。

「……死ねぇえええッッ!!」

腕を胸の前で十字に交わし、雹は夜風を巻いて突撃する。

それに応戦するのは、エヴァンジェリンが手に生み出した氷の巨剣だった。

「死ぬのはお前だぁあああッッ!!」

通過する大気を凍て付かせながら、魔法の斬首剣が振り下ろされた。
だがそれは、十字に合わされた双刀の交差点に受け止められる。

しかし全てに停滞をもたらす氷の刃は、当たらずともその威力を発揮していた。

「ぐッ……」

顔面に霜が張る。
身を刺す様な寒気が、体力を削いでいく。
呼吸もままならず、目すら開けていられない。

だが、そんな苦しみの中にあっても、彼の刀を持つ力は凍えることは無かった。

それどころか―――

「……負けるかぁあああ!!」

気合と共に、氷の剣を断ち切った。

「何ぃッ!!」

驚愕の叫びを上げたエヴァンジェリンの頭上を越えて、折れた剣は夜空に霧散していった。

「ふふっ……ふ、ふ……こここここれが、ぼぼ僕の爆君へへへのあ愛さ」

うっすら笑みを浮かべる雹だったが、顔面に張り付く霜と寒さの所為で、喋る唇がかたかたと震えている。

「くっ……なんて奴だ!」

かつてサウザンドマスター以外に、『闇の福音』たる自分が全力を持ってしても苦戦した相手が他にいただろうか?

止めを刺すべく、エヴァンジェリンが詠唱を開始する。
しかしそれより疾く動いたのは、雹の白翼だった。
全身の霜を振り掃うと、少女に向けて猛然と突撃したのだ。
無論、双刀の切っ先は進行方向に向けられている。

「はははは!! これで終わぐはぁーーーーッッ!?」

雹の高らかな笑声が、爆音と悲鳴に取って代わった。
黒く焦げた羽と煙を引き摺りながら、とうとう力尽きた鳥人は太陽を目指して飛んだイカロスの様に落下してゆく。

消えた雹の向こうから現れたのは茶々丸だった。
彼女の放った光線が、青年を撃墜したのである。

「よくやったぞ茶々丸!」

「それよりもマスター。早く爆さんの所へ」

二人は頷き合うと、旅館入り口へと下降していった。


「……おい刹那、いい加減話せ」

無人のフロントのソファに並んで座っている二つの影があった。

爆と刹那だ。

だが、話しがあると爆をこの場所に連れて来た刹那は、先程から貝の様に黙り込んでいた。
己の膝頭を掴み、俯いている。

さすがの爆もどんな対応をすれば良いか分からず困り果てていた。
声を掛けても、刹那はやはり沈黙を守っている。

「何も無いなら、見回りに戻るぞ」

どれ程時が経っただろうか、業を煮やした青年が腰を上げて立ち去ろうとすると―――

「……待ってください!」

眠りから覚めたかのように口を開いた刹那が、彼の腕を掴んで引き止めた。
それに、何処か必死さを感じた爆は、再びソファに腰を沈める。

「それで? 話しとは一体何なんだ?」

彼が再び用件を訊ねると―――


「好きです」


返って来たのは、刹那の告白だった。

「……何?」

鳩が豆鉄砲を食らったような顔とは、こういうのを言うのだろうか。
刹那は耳まで顔を真っ赤にしながらも、まるで青年の鼓膜に鏨で彫り付けるかの様に、再度言葉を紡ぐ。

「だから、好きなんです」

しばし、呆然と少女の瞳を見詰めていた爆だったが―――やがて柔らかい背もたれに体重を寄せて、瞑想でもするかの様に軽く目を瞑る。

「……俺を好きになっても、幸せになんてなれんぞ」

例えるなら、彼の性分は「風」。
自由な「風」が一所に留まるなど、できはしない。

それは、爆も自覚する事。

なまじ誰かの思いに答えたとしても、相手を悲しませる結果にしかならない。

それでも、と刹那が言った。

「……一緒に、いたいんです……」

今にも泣き出してしまいそうな顔。
口に出すには、並々ならぬ勇気が必要だったに違い無い。
恋愛沙汰には絶望的に疎い爆にも、それは理解出来た。


「……俺に惚れるなんて、本当に酔狂な奴ばかりだな」

表情を崩すように、爆は彼女の頭をぐりぐりと撫で回した。

「あう……」

それから、彼は大きく溜め息をついて、刹那に向き直る。

「……勝手にしろ。俺は責任もたんぞ」

刹那は少し、ずるい、と思った。
その言葉が拒否する訳でもなく肯定する訳でもない、中途半端なものだからだ。

それでも怒る気にはならないのは、それが不器用な彼の、精一杯の受け答えだからと知っていたからだった。

刹那は、そんな彼に微笑むと、

「爆さん」

「ん?」

「失礼します」

何が?
そう疑問に思う暇すら無く、彼女の顔が迫った。

「んぐッ……」

唇に柔らかい感触が走ると同時に、口での呼吸が出来なくなった。

キスをされている。
そう認識するのには、少々時間を要した。

「―――ぷはッ」

唇を離すと刹那は、今度は艶然とした微笑を浮かべて見せた。

「龍宮とだってしたんですから、私だって許されますよね?」

「むう……たしかにそうだが、しかし―――」

言い掛けたその時。
背筋に、何か薄ら寒いものが走った。

見れば、正面の刹那の顔が霜でも降りたかのようニ蒼白になっている。

何だ、これは?

原因を探って、爆が背後を振り返る。
そこには。

「……だったら、うちも許されるやろ? 爆さん」

表情こそ慈母のそれだが、額にその怒りの程を示す血管を浮かべた、木乃香が立っていた。
更に自動ドアが開かれ、そこからはエヴァンジェリンと茶々丸の二人が入ってきた。

「桜咲。とりあえず……死んでくれ」

「同意します、マスター」

その言葉は、彼女の操る氷よりも冷たく尖っている。

―――後方では、ネギとのどかが会合を果していたが、お互いに気付いてはいない。
それはきっと、とても幸せな事だった。

エヴァンジェリンが咆える。

「表に出ろ!」

刹那が夕凪の鯉口を切る。

「望む所です!」

木乃香がソファの背もたれを越えて、爆を押し倒しに掛かる。

「爆さ〜ん、うちともしよ?」

「待てーーーッ!」


こうして、混乱の夜は結局、混乱したまま終結した。


補足すれば新田の登場により、木乃香と爆のアレコレも未遂に終わった。

全員、正座の刑にさせられたが。


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