第五十話





黙然と腕を組み、光の柱の前に立つ千草を眺めていたフェイト・アーウェルンクスは僅かに瞳を動かした。


この祭壇に向かって、高速で接近して来る魔力を感知したからだ。
時間の問題だとは思っていたが―――あの戦力差をこの短時間で?

「(いや、近づいてくるのは一人だけだ)」

大方、鬼達との戦闘は残りの者に任せて来たのだろう。
だとすると、召喚術式が発動する前にこちらを潰す算段か。

だが―――


「(……ネギ・スプリングフィールドか)」


敵の中で、飛行可能なのは魔法使いの彼だけだ。
魔力の気配も一致している。
この速度から計算すると、後五分も経たない内に到着するだろう。

しかし、警戒の必要は無い。


戦闘の際の判断能力―――実戦経験の貧困により、鈍い。

接近戦での体術―――よく小太郎を退けられたものだ。

自分を凌ぐ膨大な魔力―――まだ、使いこなせてはいない。


結論としては。

彼の実力では邪魔にはなっても、脅威には成り得ない。
飛び回る蝿は非常に目障りだが、叩き潰せば簡単に息絶える。

それと同じだ。

例えば、追跡者があのカウボーイハットを被った青年ならば、この計画は終わりだった。
雇われたとはいえ、勝てない戦いなどしてやる義理は無い。
接近に気付いた時点で、詠唱中の千草を一人見捨てて離脱していただろう。

しかし、ネギ・スプリングフィールドが相手ならば、逃げる理由は無い。
先刻の手合わせで、己と彼の実力差は歴然としているのだ。

一体何を恐れる事がある?
今度は、従者も纏めて地獄の底に叩き込んでくれよう。

「……来たか」

「ん?」

ぽつりと漏らされたフェイトの呟きに、千草が首を傾きかけた時。

遠方―――少年の視線の先で、闇色の湖が爆ぜた。

吹き上がった水柱が、白銀の槍のように闇を貫き、そのまま猛烈な速さでこの祭壇へと迫ってくる。
炸裂する水飛沫を背に引き連れているのは、杖に跨り矢のように飛んで来る少年だ。

来るがいい、ネギ・スプリングフィールド。
ここがお前の蛮勇が通じる世界かどうか、教えてやろう。

「……あなたは儀式を続けてて」

背を向けたまま千草にそう告げて、フェイトは学生服から一枚の呪符を取り出した。



      ◇◆◇◆◇◆



「はッ!!」

気合の一太刀は、銀色の落雷となって鬼の頭を割った。

爆は斬撃の勢いを殺さずに上半身を旋回させると、背後に迫った妖魔を手にした棍棒ごと股下から斬撃する。
迸る人外の絶叫は、もはや耳朶に染み付いてしまった。

存在の残滓たる白煙を振り払い、視線を四方に回す。

先刻から聞こえるようになった銃声は。真名の二挺拳銃の咆哮。

視界の端を掠める鈍色の旋風は、楓が操る風車手裏剣。

目立った動きこそ感じられないが、一人一人に掛かる負担が減ったところを見ると古菲も奮戦しているようだった。

味方が増えた反面、広範囲で派手な技は使えなくなってしまったが、三人の参戦はそれを補って余りある。

それでも、妖魔の軍勢は一向に減る様子を見せなかった。

外傷や、肉体的疲労は軽微だ。
だが、斬っても斬っても蟻の様に沸いて来るという徒労感は、流石に堪える。

加えて、彼方に聳える光柱が出現当初よりも輝きを増しているという事実が、爆の焦燥感を激烈に加速させていた。


一時間後、一分後、一秒後―――一体何が起きる?


生半可な超能力は使えるくせに、未来予知すらできない我が身が恨めしかった。

神という人物は、どうやら真性のサディストらしい。
幾ら力を打ち上げても、それを上回るどうにもならない事態を頼んでもいないのにプレゼントして来る。

打ち勝ったこともあれば、認めたくはないが敗北を喫したこともあった。


だが、此度ばかりは絶対に負けは許されない。


爆は、大切なのだ。

己を取り巻く、全ての人間が。

遠い昔の話。
物心がついた頃には、周りには誰もいなかった。
父親も、母親も、兄弟も、誰一人いなかった。

転べば自分の両足でよろめきながら立ち上がり、零した涙は小さな手で拭う。
挫けそうになる心は、口調を性格を攻撃的に先鋭化させる事で補強した。

そんな砂上の楼閣を不動の城壁としてくれたのは、「夢」と―――そして「仲間」だった。

独りでは無いという希望は、例えば太陽の輝きにも似ていると爆は思う。
背中合わせに誰かが居てくれるだけで、心がとても温かい。
それは、言葉で表すことすら無粋に思える感情だった。


だから、誰一人も失いたくは無い。


だから、誰にも失わせたく無い。


例え神が阻もうが悪魔が牙を剥こうが、それだけは貫き通してみせる。

爆の進行を阻むべく、甲冑に二メートル近い体躯を包んだ鬼が立ち塞がった。


「失せろッ!!」

炸裂するは怒号。

上半身を豪快に捻り、地と水平に持ち上げた大剣を振り回す。
半月を描いて走った刃は、鬼の首を撥ね飛ばした。

頭部を失った体が、一呼吸の間に崩れる。
しかしそれを雑草の様に踏み越え、波濤の様に押し寄せる鬼の群。

歯噛みする。

先頭の鬼の、牙の並んだ口腔が迫る。
血に紅く染め上がった刃を振り上げようとして、止めた。

背中越しに、渇いた音が響く。
鬼の双角の間、額の中心にぽっかりと風穴が空いた。

「雑魚の相手は無用だよ、爆さん」

この涼やかな声は真名だ。

振り返ると、彼女のたおやかな手には不釣合いな黒光りする鉄塊が硝煙を噴き上げている。
どうやら、持って来たのはエアガンだけでは無いらしい。

と、爆の視界に刹那が頭から飛び込んできた。

飛び込んできたというよりは、投げ込まれたと言った方が正しい。
上手に受身を取り立ち上がった刹那は、加害者―――楓を睨み付けた。

「楓、いきなり何を!?」

怒鳴り声の先のくの一は、些か不機嫌な口振りで、

「本当は、拙者がお供したいところでござるが……近衛殿を助けに行くのなら、それは無粋というもの」

そう言ってから、仕方無しとばかりに溜め息を吐く。
苦笑して、真名が続けた。

「まあ、露払いは任せろって事さ」

拳銃が火を吹く。

発射された弾丸は爆の右側頭部を掠め、背後に立った鬼の額を穿った。
相も変らぬ精密射撃。

「けど、明日は覚悟してもらうよ。二日分、きっちり取り返すつもりだからね」

今度は、にこりと微笑む。

「……すまん」

軽く低頭し、爆は二人に背を向けた。

ああ。

やっぱり、仲間とは良いものだ。
独りで戦う気楽さなど、比較にもならない。

もし―――この夜が丸く収まったなら。

その時は、みんなで町に出よう。
この二日間は急がしくて、ゆっくりと観光は出来なかった。

もちろん、木乃香も一緒だ。

「行くぞ、刹那」

呼び掛けると同時に、爆は地を蹴った。


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