早朝の澄んだ空気を貫き、爆の左爪先が突き出される。
「ぐっ!」
胸板に鋭い蹴撃を受けて、不良が背中から石畳に倒れ込んだ。 素早く蹴り足を引き寄せ、それを軸足にして右後ろ回し蹴りを放つ。 それは背後で拳を振り上げるもう一人の不良の脇腹に吸い込まれ、苦悶の声を上げさせた。
反転して右足を地に着け、爆は手すら使わずに下した二人の不良生徒を無表情に睥睨した。
「……まだやるか? だったら、もう少し痛くしてやるが」
手をズボンのポケットに突っ込んだまま、爆は苛立たしげに爪先で石畳を突付く。
その下に転がっていた小石が発泡スチロールのように砕けるのを見せられては、再び拳を向ける勇気など湧く筈も無い。 二人の不良は揃って顔を恐怖に歪ませて、後も見ずに逃げ去って行った。
「あの、ありがとうございました!」
横合いから掛けられた声に首を傾けると、そこには頭を下げる中等部の女子生徒の姿。 3―A……楓や鳴滝姉妹とクラスメイトの、釘宮円だった。
「いや、礼には及ばん。仕事を果したまでだ」
それより早く行けと急かすと、彼女はもう一度礼をしてから校舎の方へ走って行った。
基本的に平和な麻帆良学園だが、それでも柄の悪い連中は少なからず存在する。 爆の仕事の内容には、そういった連中の悪事を防止する事も含まれていた。 例えば、先程のような女子生徒への悪質な軟派など。
無論、爆とて最初から力で解決しようとする訳ではない。 事前に警告はするが、大抵聞き届けてはくれないので最終的に実力行使になってしまう。
「まったく……理解できんな」
女を威圧して連れて行って、一体何が楽しいのだ? あまりの情けなさに嘆息すると、爆は警備を続行すべくその場を後にした。
―――人込みに紛れ、その後ろ姿を見送る者の存在には気付かなかった。
「……あれが、噂の警備員アルか」
◇◆◇◆◇◆
その日の昼休み、古菲は報道部である和美よろしくクラスメイト達にインタビューしていた。
その内容は、カウボーイハットといつも肩にしがみ付いているピンク色の球体が特徴的な警備員。 そんな人間は世界中探しても一人しか存在しない―――要するに爆のことである。
その一、釘宮円の証言。
「ああ爆さん? カッコいいよね、あの人」
片手にジュースの紙パックの持ちながら、円は笑って答えた。
「カッコいい……アルか?」
聞き返しながら、古菲はきょとんと小首を傾げた。 青年の容貌を脳裏に描いてみる。 たしかに背は高かったが、特に眉目秀麗と言う訳では無かった。
「顔とかじゃなくて、態度がね」
「態度?」
ほとんど鸚鵡のように聞き返す古菲に、円は人差し指をふりふり講釈し始めた。
「そ。何ていうかね、男としての迫力があるのよ。ナンパとかしそうにないし。けっこー好みのタイプなんだけどねー……」
ちょっと命が惜しいかなと、円は何故か顔を青くしながら引き攣った笑み――というより顔面神経痛――を見せた。 視線は明後日の方を向いており、頬の輪郭をなぞっているのは冷や汗だ。
まるで、山中で飢えた熊にでも遭遇したかのような様子。
「?」
疑問符を頭上に浮かべる古菲は、その背後で瘴気にも似た殺気を溢れさせる青年の同居人の視線には気付かない。 それきり円は貝のように押し黙ってしまったので、結局ろくな事が聞けなかった。
その二、桜咲刹那&長瀬楓の証言。
「え…… ば、爆さんの事?」
古菲の問い掛けに対し、刹那は滑稽なまでに取り乱していた。 見慣れた何にも興味が無いような無表情は一瞬にして瓦解し、現れたのは瞠目し狼狽しきった顔。
それなりに長い付き合いだった筈だが、こんな刹那を見るのは初めてのことだ。
「(……未確認生命体でも見つけたような気分アルな……)」
揶揄することも忘れ、古菲はそんな他愛も無い思考を巡らせていた。 一方、クラスメイトにツチノコだかチュパカブラ扱いされていることにも気付かず、じっと床を見詰める刹那は頬に赤色を咲かせている。
「ば……爆さんは私を……私は……その……」
ほとんど狂ったラジオのような有様は、本当に彼女らしく無い。 何かもうここまで来ると一つの世界を壊されたような、複雑な心情だった。 しかし次の瞬間には俯いていた顔が古菲の視線の位置まで上昇し、その唇はどうにか意味のある言葉を紡いでいる。
「し、しかし、何故そんなことを?」
「……今朝、彼が戦うところを見たアルが……」
いや、あれを戦いと呼んで良いものか。 先に仕掛けたのは不良生徒達だが、爆はそれを文字通り蹴散らして見せた。 あの二人は格闘家崩れで武術を悪用しているとのことで、それに憤っていた古菲は近々討伐しようかと考えていたのだが―――結局先を越されてしまった。
彼女自身、既に達人と呼ばれる領域に達している。 それ故たった二発の蹴りだけでも、青年の実力の程は容易に理解できた。
「あの立ち回りは、只者じゃないアル」
「まあ、爆さんは私より強いからな」
ようやく落ち着いた刹那の何気ない相槌。 ぽろりと、極自然に口より零れたそれには、古菲を興奮させる成分が含まれていた。
「せ、刹那よりも強い!? それホントアルか!?」
本人の口からとはいえ、そう簡単に信じられる事柄では無かった。 刹那の神鳴流……といったか、気を込められて放たれる斬撃は強力無比。 古菲をしても、まともに立ち向かえば苦戦は必至という相手だ。
そんな刹那に「強い」と言わせしめる男。
やはり自分の見る目は間違ってはいなかったと、古菲の瞳が期待に輝く。
「待つでこざる!!」
鋭い一声が二人の耳朶を打った。
誰だなどと問うまでも無く、語尾に「ござる」をつける人物はこの学園でも一人しかいない。 振り返ったそこには、糸のように細い目をした少女、長瀬楓が仁王立ちしていた。
「爆殿を語らせるなら、拙者に任せるでござる!」
「いや別に語れとは言って無いアル」
古菲の意思などまるっきり無視して、楓は熱弁を振るい始める。
「まず風呂で一番最初に洗う箇所は……」
楓は、そのトリビア的な(つまりは無駄な)知識を開陳することは出来なかった。 大慌てで接近した刹那が、彼女の頭を叩いたのである。
「というか、何でそんなことを知ってるんだッ!!」
様々な感情によって再び顔を紅く染めた刹那が楓の胸倉を掴む。
「いや、忍にとって情報収集は必須であるからにして」
「どんな作戦に使う気だ、それはッ!?」
ますますヒートアップする刹那に対し、楓はそれが滑稽に思えるほどに冷静だった。
「それはもう、何時か『うっかり風呂場で鉢合わせ』とかおいしいシチュエーションになった時に」
胸倉から手を外させると、楓は一歩後退。 薄く開いた目で、値踏むように刹那の身体をなぞった。
「ま、その洗濯板体型じゃ無理でござろうが」
ふっ……という、楓の――「有る」者の嘲笑。
ぶちり。
「ひっ!?」
刹那から聞こえた決定的な何かが切れる不吉な音に、古菲は悲鳴を上げた。 微動だにしない彼女の背中からは、無限大の殺気。
「よし楓、表に出ろ。首を取り外して、鏡が無くとも自分の身体を見れるようにしてやる」
「おやおや。刹那殿こそ、厳しい現実を見れなくしてあげるでござるよ」
言葉の刃で応酬しながら、二人は教室から出て行った。
「………何だったアルか?」
古菲は呆然と呟いた。
状況はよく理解出来ない―――だがまあ、それは彼女達の問題なので別に問題無い。 答えは得たのである。
あの爆という青年は、「強い」のだと。
◇◆◇◆◇◆
金属で編まれた屑籠の中に、飛来したコーヒーの空き缶が放り込まれた。 先に入っていた空き缶とぶつかり合い、小気味の良い音を立てる。
「……うむ、午後も良い時間になりそうだ」
昼食を終えた爆は満足そうに頷くと、ベンチから腰を上げた。 以前はうっかりジバクくんを投げ入れてしまい、怒った彼が屑籠を屑その物にしてしまったが、それも今は良い思い出だ。
学園長を名乗る奇怪な生命体に怒鳴られた以外は。
まあ、それはさておき。
軽く伸びをして、爆は警備の仕事を再開しようとした。
「待つアル!!」
背中に掛かったのは、呼び止める声。
一体何だと振り向くと、道の真ん中に腕を組んで立っていたのは小柄な少女だった。 黒い玉の髪飾りで二つに括った薄い金色の髪に、真名に似た褐色の肌が特徴的。
「何だ、お前は?」
無愛想に言いながら記憶を検索するが、最近彼女から恨みを買った覚えは無かった。 それどころか、記憶が確かなら初対面。
しかし再び問い掛けるまでも無く、不敵な笑みを浮かべた少女は自己紹介をしてくれた。
「私の名は古菲……という訳で戦うアル!」
「動悸についてが恐ろしく説明不足なんだが」
びしりと人差し指を突き出してくる古菲に対し、爆の対応は冷やかだった。 そもそも彼は女性を傷つけることを嫌っている。 ただでさえ、この学園に来てからは頻繁にその主義を曲げることとなっているのだ。 この上意味の無い戦いを重ねる気は無い。
しかし爆のそんな思惑とは裏腹に、古菲の両手は勇壮に拳を作った。
「行くアルよッ!!」
結局、説明する気は毛頭から無いらしい。 咆哮した少女はその場で数度足踏み、次の瞬間には八メートルはあった距離を埋め、爆の懐に入り込んでいる。
「チッ、結局やるしかないのか」
舌打ちと同時に身体を捌くと、一秒前に爆の胴があった位置を正拳が打ち抜いた。 古菲は初撃がかわされたと見るや、後方を鞭の如く鋭くしなる回し蹴りで薙いでいる。
爆はそれを屈んで無効とし、跳躍して後退した。
「……なかなかやるな」
古菲の流れるような連撃は、充分賞賛に値した。 決して才能だけの産物では無い。 彼女の技には、長年の練磨の痕が見受けられた。 実戦経験も相当にあるようだ。
正直、戦ってみたいとも思う。
だが―――
「これ以上は仕事に関わるからな」
給料を貰っている以上、義務を果さなければならない。
爆の靴底がアスファルトから離れた。 半ば滑空するように、青年は一直線に駆ける。 目標は、接近に気付き構えようとする古菲―――だが、もう遅い。
「しまっ……!」
拳を放とうとする少女の目前で急停止、そして右足を武術の震脚のように力を込めて足元に叩き付けた。
轟音が世界を満たし、アスファルトが嘘のように爆ぜる。 爆と古菲の視線が交差する。
「………!」
少女の身体は、弓に矢をつがえたような姿勢のまま動かない。 それを確認してから、爆は自ら穿った穴から 足を抜いた。
「気は済んだか?」
くるりと踵を返すと、青年はその場から歩み去った。 だから、硬直していた筈の古菲の唇が、笑みの形に変形していたことにも気付かなかった。
「……こんなに、強い人がいたとは…… 」
―――翌日からの爆は、多忙を極めていた。
何故ならば、仕事に不良や侵入者撃退の他に、新しく「古菲撃退」が入ってしまったからだ。 先日戦ってからというものの、彼女は毎日挑戦してくるのである。
朝も、
「爆さん、勝負アル!!」
昼も、
「さあ、いくアルよ!!」
夕方も、
「いざ尋常に!!」
と、このように一日一回は必ず戦いを挑んでくるのである。
これにはさすがの爆も堪えた。
あしらってもあしらっても、全くめげずにやって来る。 それどころか、毎回勢いが増しているようだった。
そんな遣り取りが、十回に達した時。 とうとう爆の我慢の限界がやってきた。
「ええい!! 何でお前はそう毎日毎日突っかかってくるんだ!?」
日の沈みかけた紅の世界。
麻帆良学園名物世界樹の根元で、爆は怒りに咆えた。 その視線の先にいるのは無論古菲。
だが今回彼女の身体を覆っているのは学生服ではなく、チャイナ服と呼称するべきか、袖の広い衣装だった。
「一体何時まで続ける気だ!?」
「それはもう勝つまでアルよ」
平然と言ってのけた。 ああもうどうしてくれようかと苦悩する爆にはやはり構わず、古菲は十回目の勝負を開始した。
少女の腕が横薙ぎに振るわれる。 瞬間、白い大蛇にも似た何かが爆を貫こうと飛来してきた。
「!?」
屈んだ爆の頭上を通り抜け、それは世界樹の根の一部を穿った。
「ふふふ……今日の私は本気アルよ」
古菲が腕を引き寄せる。 その手にあったのは、少女自身の身長をも越える長大な白い布。 それが、あたかも鉄槍のように爆を狙ったのだ。
「はっ!」
裂帛の気合を乗せて、布の槍が烈風を捲いて撃ち出される。 爆の足元の地面を抉り、引き戻された布は一秒の間も置かずして再び放たれた。
「ちっ……」
風の中の枯葉が如く身を捻って、白い大蛇の牙をかわす。 さながら機関銃のような連撃。 だが、攻略はそう難しくは無い。
「(要は、棒術と同じだ)」
古菲が布を引き戻す。 爆は両足に気を収束させた。
古菲の腕が振り下ろされ、白い奔流が迫る。 爆は、上半身を僅かに捻ってやり過した。
目標を失った布がその射程距離にまで達し、先端が伸び切る。 その瞬間、爆の足元が炸裂した―――瞬動を発動させたのだ。 青年は光線の如く一直線に駆ける。
「!」
炸裂音を頼りに、古菲は正面からの攻撃に備えて硬気功を発動させた。 気によって、前面の防御力を飛躍的に上げる。
だが、爆の行動は彼女の予測を上回っていた。
爆は突進中に右足の踵を地面に突き立て、強引に急停止。 そして左足を地面に着けて跳躍、古菲の背中に降り立った。
「なっ!」
絶句しつつも振り返り裏拳を打ち込もうとする古菲だったが、それよりも爆の手刀の一閃の方が僅かに疾い。
「あっ……」
後頭部に走った衝撃に、少女は半ば開いた口から何か言おうとする間も無くその場に崩れ落ちた。
◇◆◇◆◇◆
「……う〜ん……?」
不意に、古菲は暗闇の中から意識を引きずり出された。 薄い目蓋を開くと、視界を満たしたのは光点の散ばる蒼闇色の空。
どこだろう、ここは?
何をしていたんだっけ?
「……んあ?」
「何が「んあ?」だ。この馬鹿者」
頭上から降ってきた無愛想な声に、古菲は上半身を起こした。 どうやら地面に寝かされていたらしく、後頭部があった場所には布槍術用の布が枕代わりに畳んであった。
後ろを見上げると、そこには世界樹の一際太い根に憮然とした表情で腰掛ける爆の姿があった。 同時に記憶が蘇ってくる。
そうだ、自分は結局気絶させられて……
そこまで考えた時、古菲は己が身を抱き締めた。
「………何もしてないアルな?」
「捻り潰すぞ。……まあ、そんな口が叩けるなら大丈夫らしいな」
はあ、と溜め息をつくと、爆は古菲に向けて何かを放り投げた。 反射的に受け止めると、冷たい感触。 掌にやや余る大きさの円筒形――缶ジュースだった。
「おごりだ。ありがたく飲め」
そう言い放つと、青年もまた缶ジュースのプルタブを開け、その中身を啜り始めた。
「……」
古菲は俯くと、缶を、いや自分の両手を見詰めた。
なんと、頼り無い腕なのだろう。
全力を尽くして挑んだ戦い。 だが、鍛えに鍛えた技が青年に届くことはなかった。 切り札であった布槍術も悉くかわされている。
強かった、筈なのだ。
何人もの挑戦者を蹴散らし、刹那や真名とも渡り合うことが出来た。 接近戦ならば、誰にも右に並ばせるつもりはなかったというのに。 それを彼はあっさりと凌駕してみせたのだ。 胸が、苦しくなる。
「………なんで、爆さんはそんなに強いアルか?」
唇から零れた問い掛けに、古菲は痛烈に己を恥じた。 そんなことを聞いた所で、どうにかなる訳でもないのに。 そして、返って来た言葉もまた問い掛けだった。
「お前には、夢はあるか?」
「え……?」
思わず振り返ると、爆は夜空を見上げていた。
「俺にはある。何があっても、絶対に諦められない夢がな」
ただただ語りながら、腰掛けていた根から飛び降りた青年は音も無く着地した。
「そのためには、誰にも負けられない。負けても何度だって立ち上がってやる。……強いて言うなら、それが俺の「力」だ」
古菲は、呆然とそれに聞き入っていた。
そういえば、何で自分は強くなりたかったのだろう? 技を練磨し、自分よりも強い者と戦って、勝って―――そして、どうしたかったのだろう?
今まで考えもしなかったのだ、強さを求める意味など。
「わ……私は……!」
言い掛けて、その後に紡ぐべき言葉が見つからなかった。 今までに無い不安が、胸を駆け巡る―――その時。
「まあ、そう気負うものでも無いがな」
ぽん、という効果音が付きそうな優しさで、爆が古菲の薄金色の髪を撫でた。
「生きていれば、何時かは見つかる。夢はそういうものだからな」
頭から手を離すと、爆はそのまま歩み去ろうとしていた。 遠ざかってゆく背中に、古菲は呼び掛ける。
「また、勝負してくれるアルか?」
「……まあ、気が向いたらな」
爆の姿が完全に見えなくなった頃、古菲は立ち上がった。 先程まで胸中にわだかまっていた不安は、もう消えている。
「……まだまだ修行が足りなかったアルな」
彼の言う「夢」はまだ見つからない。 だから、とりあえずあの背中に追いつくことから始めよう。 そう決めると、古菲は走り出した。
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《あとがき》
う〜ん、難産だった上に微妙。 こんなんで満足してくれるのだろうか…… |