ネギ補佐生徒 プロローグ
ピーという笛の音を合図に、少年は足を止めた。それと同時に、名残惜しそうにサッカーボールがころころと少年の足から離れていく。 慌てて追いかけそのボールを拾い上げると、周りと同じように笛を鳴らした顧問の元へと少年は走り寄った。 ニ、三言葉を貰い、すぐに解散する。 朝の練習の終わりを知らせる合図だった。 いつもどおりの朝。 なんの変哲もない、日常。 「あー……お前は、ちょっと待て」 呼び止められて少年は、足を止めた。 部員がちらりと少年を見たが、少年は先に行くよう伝えるとすぐさまその場から去っていった。 少年は改めて、何ですか先生、と聞く。 顧問はいつも通りの口調と表情で少年に言った。 「学園長がお前に用があるそうだ。HRが終わったら、すぐに学園長室へ行ってくれ」 それが、少年―――― ネギ補佐生徒 プロローグ 澤村は、両親が他界しているということ以外は、いたって普通の学生だった。いや、女子校の生徒達が普通ではないというべきか。 留学生が多いことは、ここの学校自体がそういった校風なだけ。 現に澤村のクラスにも外国人が数人いる。澤村自身も外国人とのハーフだ。 少なくとも麻帆良学園男子中等部には、幼女のような中学生や大学生や社会人のような中学生……ましてや、まるっきりロボにしか見えない中学生なんていな い。 簡単に言ってしまえば、この学園自体がどこかおかしいのだ。 広大な地底図書館や麻帆良学園都市と一種の街のようになってしまっている学園の敷地。富豪がつくった学園にしてもこれは大規模すぎだ。 そして、気になることがもう一つ。 この学園には、どこか不思議な“何か”があるのだ。澤村が感じる、違和感といもいうべき“何か”がある。 それは、澤村にとって踏みこんではいけない一線でもあった。その“何か”を調べてしまえば、後戻りができなくなる。そう本能で思っていたのか、無意識の うちに澤村はそのことに関して一番初めに違和感を感じた時点で頭の隅へと追いやった。 今は、本当に学校生活を楽しみ、所属している部活のサッカーに打ち込んでいた。成績もそこそこで、両親が他界していることも教師と澤村の友人の一部しか 知られていないため、生徒からも教師からもサッカー部の男子生徒として、受け入れられている。 だから、なぜ学園長に呼ばれたのか澤村はわからなかった。 両親がいないということで、学費やちょっとした生活費などの面倒はみてもらってはいるが、そういう件に関しては、担任か高畑が直接自分の所へ来て話して くれていたからだ。 何か自分が知らないうちに悪い事でもしてしまったのだろうか、と首を傾げながらも学園長室の扉をノックした。 返事がしたのを確認してから、澤村は言った。 「男子中等部3−Aの澤村です。連絡を受けて来ました」 どうぞ、という声が聞こえてくる。 ガチャリと音をたててドアをあけると、妙に頭部の長い老人の姿が視界に入ってきた。 「わざわざすまんかったのう」 澤村の恩人と呼べる老人、学園長である近衛近右衛門だ。 出会った時、この頭の形に驚きを感じたものの、今では違和感なく付き合えるのは、慣れというものだろう。 「今日は、ちょっと頼みたい事があるんじゃよ」 何かイヤな予感が頭によぎる。 澤村は、小首を傾げることで学園長に答えを求めた。学園長はふぉふぉと笑った後、答えてくれる。 「今年から正式に本校の教師となった、ネギ・スプリングフィールド君を知っておるじゃろ?」 「はい、知っていますけど……」 弱冠10歳にして学園の生徒となった子供先生の顔が澤村の頭を通りすぎた。澤村は、正直あまりよく思っていない。子供が苦手というのが一番の理由だが。 「君に、彼の生徒として……ネギ君の補佐生徒としてしばらく女子中等部の3−Aで授業を受けてほしいんじゃ」 「――――は?」 顎が外れたかのように口をぽっかりと開ける。澤村は学園長が何を言ったのかしばらく理解できなかった……いや、理解したくなかった。 ――――――俺が、女子校に? 何故? たった一文字の言葉には、それだけの意味がこめられていた。 「ネギ君も男子がいれば心強いじゃろうし、女子の中にいても君なら間違いを起こすこともないじゃろう?」 女子に興味がないわけではないが、確かに女子に手を出したりして間違いを起こすことはないだろう。けれど、何故自分なのか。 女子に手を出さないような男子は探せばいくらでもいる。 「駄目かね?」 澤村は頷かない。恐怖感があったからだ。学園長の申し出をここで受け入れてしまえば、退き返せない。そう予感していたから。 きっとイヤな予感はこのことだ、と澤村は思った。 「……すみません。お断りさせて―――」 「そうかそうか! やってくれるか!」 なのできっぱりと断ろうとしたのだが、それは学園長に遮られた。 「あの、学園長?」 恐る恐る学園長に声をかけると、学園長は真剣な表情で澤村を見据えて言う。 「孫の木乃香もそのクラスにおるんじゃよ。男子中等部の中でわしがよく知っていて信用できる生徒は君しかおらん」 それは、どこか命令のようなセリフだった。拒否できない強制的な言葉。 澤村の精神が、崖に追い詰められていく。あと一押しで落ちてしまう。 そして、 「頼まれてはくれんかの?」 学園長の本当にすまなそうな言葉が、澤村の精神を落とした。 「――――……わかりました」 恩人である学園長のそんな言葉を拒むことはできない。イヤな予感がはずれることを願いながら、澤村は受け入れた。 その願いは潰されて、結局イヤな予感が的中してしまうのだろうとも思いながら。 教室の出入り口の前で、学園長の申し出を受けたことに後悔している澤村がいた。 「大丈夫ですよ、澤村さん。僕もはじめは緊張しましたけど、皆さんいい人達ばかりですから」 にっこりと微笑むスーツに身を包んだ子供―――ネギ・スプリングフィールドが言った。澤村から見てもネギは礼儀正しく、他の10歳の子供より大人のよう に感じられた。 けれども外見はやはり10歳の子供であり、先生には見えない。 疑問を感じる。 何故子供の彼が先生をやれるのだろうか。労働基準法や教員免許はどうなっている。と頭の中で次々と出てくる。 ただ、職員室で一生懸命授業の準備をしている姿を見る限り、先生という仕事をきちんとやろうという意志がみられたので、その疑問をネギに投げかけること が澤村にはできなかった。 不信感もあるが、一緒に学校生活を送ることでそれが拭えるかもしれないと澤村は、ネギに軽く微笑んだ。 それよりも、と少し顔にかかっていた横の髪を手で後ろへと流しながら澤村は言う。 「それでもやっぱり緊張しますね。女子の反応、冷たそうですし……」 そんな澤村にネギは大丈夫ですよ、と言った。澤村はネギを少しだけ羨ましく思った。 10歳の可愛い外国の男の子。それに礼儀正しい。女子からのウケが悪いはずがない。それに比べて澤村は、今から入る教室の女子と同い年。容姿は今は亡き 母親から受け継がれた青い瞳と少しだけ彫りの深い顔立ちのおかげか、見る人によればいいと思わせることはできるだろう。だが、目つきが鋭い上に緊張すると 仏頂面になってしまうせいか、無愛想な印象をうけさせてしまう。 女子からのウケがいいという自信は、澤村にはなかった。 扉の向こうには、同い年の女子が約30人。高い声が澤村の耳に入ってくる。 事前に話をしているというのを知っている澤村は、もしかしたら自分にあらぬ期待しているのではないかと思った。きっと自分をみたら皆失望するのではない のだろうか。 澤村は自分が少しずつ凹んでいくのを自覚する。 「じゃ、行きますよ」 またにっこりと笑いながらネギは扉を開ける。男子校でも聞きなれた扉を開ける音に少しだけ安堵感を感じながらもネギの後に続いて教室へと足を踏み入れ た。 ――――――瞬間、澤村の身体が震えた。 水を打ったかのように静まり返る教室。 様々な方向から突き刺さるような視線があった。澤村は、きっと期待と違っていたからだ、と顔を少しだけ顰めた。 「皆さん、席に着いてくださーい」 ネギの言葉に席に着く生徒たち。終始静かなままだった。見づらかった生徒たちの顔が見やすくなる。 澤村は顰めた顔を戻して、教室内を見回した。 「見ての通り、皆さんにお知らせがあります」 周りの噂から聞いた、幼女や大人な女子やロボ……噂で耳にしたことのない、顔にペイントをしている女子までもいた。 後ろから見ていき、前の方へと視線を持って行くと見覚えのある女子と目が合う。 和泉亜子。サッカー部のマネージャーで澤村もよくタオルや飲み物を渡してもらったりユニフォームの洗濯などしてもらっている。彼女は問いかけるような瞳 で澤村を見ていた。赤に近い瞳。薄い髪の色。外見は少し普通ではなかったが、話すと意外に普通の女の子だ。 亜子も男子生徒がくることは知っていたが、それが澤村だとは知らなかった。 亜子を見る澤村の表情は、知り合いがいることに動揺しているように思えた。 部活では元気良くボールを追いかけている澤村と違って、預かった猫のようにそわそわしていて大人しい雰囲気を持っている。 意外だな、と亜子は思った。 亜子がそう思っているうちに、澤村は別の所へと視線を向けていた。窓際の一番前の席。皆とは違う制服をまとった女子生徒がいる。澤村は、目を疑った。彼 女の姿が、消えたり現れたりしていたからだ。姿が見えたと思っても身体が透き通っており、まるで幽霊のようだった。 澤村は目を擦った。もしかしたら目にゴミが入ってるのかもしれないと。 すると、その女子の姿はなかった。 初めから何もなかったかのように、ただ空席があるだけ。 「澤村さん、自己紹介をお願いします」 やはり目のゴミだったのだろうか、と少し引っかかる物を感じながらも澤村は、ネギの言葉にはい、と答える。 前を見据えた途端、澤村は忘れていた緊張が一気に襲ってきた。 背筋がピンとなってしまうのを感じながら、澤村は第一声を放った。 「男子中等部、サッカー部所属の澤村翔騎です。男ということで、どこか察しの悪いところもあるかもしれませんが、その時は遠慮せずはっきりと言ってくださ い」 澤村の言葉に、にやりと口元を緩めた生徒が数名いた。澤村は、彼女たちはきっといい印象をもっていないのだろうと、かるーくだが恐怖を感じる。 恐怖、というのは大袈裟かもしれないが、今の澤村にはそう感じてしまうほどの居心地の悪さがあった。 「あと、わからないことがあった時に手を貸して頂けると幸いです。これからしばらくの間ですが、よろしくお願いします」 なぜ同い年と女子にここまでかしこまっているのだろうかと、少し情けなく感じながらも澤村は、頭を下げる。 すると、皆いいこだというネギの言葉を肯定するかのように、盛大な拍手で澤村を迎え入れてくれた。 もちろん、亜子も拍手をしてくれている。一人一人澤村に向ける視線は違えど、澤村はなんとかやっていくしかないと引きつった笑顔で思った。 なに、今まで男に囲まれていたのが、女に囲まれるだけだ。 などという無理矢理ポジティブに考えながら、澤村はネギに指定された席へと足を進める。 それと同時に、日常から非日常へとつながる道に足を進めているとは知らずに。 |