ネギ補佐生徒 第34話





「―――――んあ?」

 時刻は3時。色黒のクラスメイト―――龍宮真名が先日乗り込んできた時刻である。
 その少し前になんとか目覚めて、澤村翔騎は玄関で仁王立ちしていた。
 もちろん、真名がいつ乗り込んできてもいいように、待ち構えたいたのだ。
 それなりに整えた髪。
 すっきりした口の中。
 真っ黒で胸の辺りと背に白の英文字がプリントされたTシャツに、紺のジーンズ。
 身支度はバッチリだ。
 そうバッチリだった。
 なのに、間抜けな声が澤村の口から飛び出す。
 そりゃあ間、抜けな声だって出る。ああ、出るさ。
 音も立てずに開かれた扉の向こうには―――――

「起きていたか」

 チッと舌打ちする真名。手にはもちろん……と表現してしまうところが澤村の偏った思考のせいなのだが、仕方がない。とにかく、銃が握られていた。
 まぁ、それは百歩譲ろう。

 刹那はどうした、とか?
 やっぱりこの時間に来るのか、とか?
 起きていたかなんてよく聞けるな、とか?
 銃をなんで当然だと言わんばかりにこちらに向けている、とか?

 問題が盛りだくさんではあるが、それよりも重大でありながらも些細な問題があるのだ。
 これは百歩譲ろうが、千歩譲ろうが、百万歩譲ろうが、気にせずにはいられない。
 赤と白の和服という初めてお目にかかる服装。

 そう、

 ――――――何故か龍宮真名が巫女服を身に纏っていたのだ。

 いろいろ疑問が湧き起こったが、簡潔に。簡潔に感想を述べるとするならば―――――

「―――――……シュールすぎる」

 この後、澤村は真名の今朝は神社で仕事があった、という言葉により彼女が龍宮神社の人間だと言うことを知る。
 修学旅行の時に出た清めた酒云々は、ここから来ていたのか、と。





  ネギ補佐生徒 第34話 明日菜の喧嘩と木乃香の決意と千雨の秘密





「―――――……だからシュールすぎるっての」

 今回も死ぬかと思うような朝の鍛錬を終えた澤村を待ち構えていたのは、1通のメール。
 開いて見ればなんとびっくり、元ルームメイトからだった。
 元々メールすら澤村はしない。部活で多少使う程度であり、携帯を購入した後にサーバーに問い合わせてもメールは1通もきていないくらいである。
 そして、その珍しい1通のメールの内容はとても簡潔なものであった。

 オレの部屋に来い!

 という一文のみ。
 どういうことだと返信しても来いの一点張りなので、澤村はしぶしぶ男子寮にきているわけなのである。
 因みに先の言葉は、その元ルームメイトの部屋の感想だ。
 自分がいない間にとんでもないことになっていた。
 入った瞬間、異臭と参考書やら食べ物やらで汚れた部屋が澤村を襲った。
 その中でパンツいっちょで机に向かう元ルームメイト。それも真剣な顔をで、だ。
 これシュールと言うのも少しおかしいのやもしれないが、朝の巫女服のインパクトが大きすぎて澤村の頭のネジは1本はずれたらしい。実に思考がおかしい。

「おお、きてくれたかー」

 椅子をくるりと回して助かったぜ、と笑って言う元ルームメイト。
 澤村は、とりあえず窓を開けようと元ルームメイトの言葉を無視して部屋の奥へと歩いていく。
 窓を開けたと同時、新鮮な空気が部屋の中に入ってきて、異臭が薄れた。

「それで、何の用だよ。俺がいない間に部屋をこんなにしちゃってさ」

 憮然とした表情で振り返りそう問うと、元ルームメイトは苦笑を漏らして、

「実はその部屋をどうにかしてほしい。オレ、今回の定期テスト、めちゃめちゃやばいんだよ」

 と言う。部屋の様子からしてそれは真実だと思いたいのだが、如何せん、どうも腑に落ちない点があるのだ。
 確かに彼は、机に向かって真剣な顔をしている。ああ、実に真剣だ。彼の真剣な顔をなんて滅多に見れないものである。
 けれど―――――

「――――めちゃめちゃやばい割には随分と余裕じゃないか」

 机の上にあるノートパソコン。
 初めは、パソコンを使って試験勉強に必要なことを調べているのかと思いきや、画面の中に写るのは別のもの。

「あ、いや……生き抜きをさ」

 引き攣った顔が非常に怪しかった。
 というか、画面に映っているものも非常に怪しいのだが。
 澤村は、ぐっと顔を画面に近づけてそれを見る。

「お前……こういう趣味あったんだな」

 ……なんだか効果音でも聞こえてきそうなほどキャピキャピした女の子の画像が、画面いっぱいに広がっていた。
 ちょっと釣り目だが、大きめな目のためかさほどきつい印象は受けない。
 ふりふりのついたワンピースは、実にその女の子に似合っていた。
 総評すると、

「ふーん……可愛いな、この子」

 な感じだ。
 澤村の発言に元ルームメイトがええっと声を上げた。
 勢い良く澤村を見ている。
 なんだか意外なものを見たと言わんばかりの顔が気に食わず、澤村は憮然とした表情で元ルームメイトを見た。

「なんだよ」
「いや……お前でもそんなこと言うんだなって思ってよ」

 未だに信じられないといった表情で呟く元ルームメイトに澤村は頭を掻いてみせた。
 別に全く興味がないわけじゃない。
 3−Aの女子だって可愛い子やら綺麗な子がたくさんいるし、以前ハルナが言っていたように可愛いなーとか思ったりすることだってある。
 そこまで自分はサッカーに没頭していたのだろうか。
 ……一緒に暮らしていた人間がそう思っていたのだから、やはりサッカーに没頭していたのだろう。

「いやーでもよかった。お前がただのサッカーバカじゃなくて」
「おい、サッカーバカはないだろ」

 よかったよかった、と笑う元ルームメイトに澤村は苦笑してそう零す。
 溜息を一つ漏らして澤村はもう一度部屋を見回した。
 もう、自分がここに戻ることはない。
 中学を卒業したらここを去る。残りの時間は女子の方で過ごすであろう。

「なぁ」

 ならば、今の内に言っておこう。
 首を傾げる元ルームメイトに澤村は苦笑交じりで言った。

「俺さ、きっと中学卒業まであっちにいるからさ―――――」
「――――ここに戻ることはない、だろ?」

 遮られる言葉。
 思わず、え、と声を零す。
 元ルームメイトは、苦笑していた。

「お前の家庭の事情と考えは、よく知ってるつもりだぜ?」

 ……これがまともな格好の時に聞けたらもっと感動したのだろうけど、仕方がない。
 感動したことにかわりはないのだから、それでいいだろう。

「とりあえず服を着ろ」

 チョップをいれつつもそう言う。
 照れ隠しから出た言葉だったのかもしれない。
 澤村の言葉に元ルームメイトはへいへいと笑って部屋の奥へと歩いていく。
 部屋を片そうかと思ったが、なんとなくノートパソコンの画像が気になってしまい、空いた椅子に腰を下ろす。
 さっき思ったように、確かにこの女の子は可愛い。
 可愛いのだが、何処か気になるところがある。

「んー……」

 思わず唸る。

 ―――――どっかで見たことあるような……。

 こう、何か引っかかっていて気持ちが悪い。
 ここまで可愛くはないが、それに似たような子を自分は知っている気がする。
 女性の知り合いなんて3−Aの中の誰かしかいないのだから、彼女達の中にいるはずだ。

「どうしたー?」

 着替え終わった元クラスメートに澤村はこの画像をプリントアウトできるか問う。
 持ち帰って考えて見よう。別に気に留めなくてもいいのかもしれないが、わからないのは気持ち悪い。
 最近は、知らないということに関して、気持ち悪さを抱かずにはいられないのだ。無知と言うことが、知らないと言うことが、何か起きた時に対応できないような気がしてならない。
 修学旅行の時、知ることを逃げた自分へのトラウマが抜けきってはいなかったのだ。
 なんだかにやにやして勘違いしている元クラスメートを睨みながらも澤村は、プリントアウトした女の子の画像を折って、ポケットに入れる。
 そして、

「部屋片してやるから、ちゃんと勉強しろよ」

 元ルームメイトにニカリと笑ってそう言ってやった。





 やってしまった!
 やってしまったやってしまったやってしまったやってしまったぁっ!!

「も〜〜!! 何やってんのよ、私ぃっ!!」

 今までにないくらい意地になって、
 今までにないくらい感情を曝け出して、
 今までにないくらいネギと盛大な喧嘩をしてしまった。

 現在神楽坂明日菜、女子寮に向かって夕日を背に、爆 走 中 !! 

 いつも以上のスピードで流れる景色。
 もう帰ってシャワー浴びてさっさと寝てやる、なんてことを思っていると、目の前には大きな障害物が……いや、正確に言うと人間で、しかも知り合いだったりもするのだけれど、今の明日菜にとっては障害物以外の何者でもない訳で。

「え、あ、か、神楽ざ―――――」

 障害物が言いきる前に、タックルをかます。決して故意ではないのだが、たぶん第三者的に見ればきっとそうだろう。下手な言い訳はしてはいけない気がする。全面的に自分が悪い。
 明日菜も自覚しているそのバカ力で障害物は軽くではあるが、軽快にふっとんだ。
 ごろごろと転がっていく障害物を見て、やばっと顔を引き攣らせた。

「う、あ……だ、大丈夫?」

 頭を抱えて悶える姿は、見るからに大丈夫そうではないのだが、一応問いかける。というかその言葉しか明日菜には思いつかなかった。
 一瞬、受身をとったようだが、やはり勢いを殺しきれなかったらしく非常に痛そうな音が一回だけだがした。
 ……なんと説明すればいいのだろうか。こう、西瓜を地面に落とした時の音に少しに似てるかもーくらいな音。まぁ、いや〜な音と言ってしまえば結構簡単に想像がつくやもしれない。
 頭を抱えたままでいた障害物は、しばらくしてようやく小さな小さな声を出した。

「大丈夫と言えば大丈夫だけど……結構痛いかな」

 膝と肘を突いて、四つんばい状態の障害物はまるで膝を折ってショックを受けている人のようだった。
 状況が状況なだけに笑うなんてことはしないが、もしこれが違った状況なら笑っているのかもしれない、なんてことを思う。

 いや、それは置いといて。

 とにかく今は、この障害物―――――もとい、澤村翔騎をどうにかせねば。

「ごめん、ちょっとパニクってて……」

 立てる? と聞きながらも澤村の手を取る明日菜。
 痛そうにしているわりには血が出ていなかったのでほっとした。
 たんこぶとかできていないだろうか。
 そう思い、明日菜は澤村の頭へと手を伸ばすのだが、

「なぅあっ! な、何?」

 すんごい変な奇声を上げられた上に跳び退かれてしまった。
 こんなすぐさまトラウマになってしまうほど、自分が彼に衝撃を与えてしまったのだろうか。
 少しだけ虚しい風が、明日菜の心で吹いていた。
 伸ばした手は、何処へやればいいのだろう。

「あ、ああ……悪い。ちょっと驚いた」

 ちょっと?
 あれがちょっとなら、すごくは一体どのくらいなのだろうか。
 そんなことを思いながらも明日菜は手を下ろす。
 たんこぶとかできていないか口で問うと、澤村は笑って大丈夫と言うのだが、自分で頭を触った瞬間、表情が固まった。……たぶん、たんこぶができていたのだろう。
 とは言ってもまた手を伸ばして跳び退かれたら悲しいので、それは止めておくことにする。
 改めて彼を見ると、私服がいつもと少し違っていた。……とりあえず、地味ではない。
 そう伝えたら、彼は複雑な笑顔を浮かべてありがとうと答えた。
 だがそんな笑顔もすぐに消え、彼は言う。

「それより、どうかしたの? なんか叫んでたみたいだけど」

 うわ、聞かれていたのか。思わず顔が引き攣る。高畑が自分を見ていなくて本当によかった。もし叫んで爆走している姿を見られた日には、会わす顔がないというものだ。というかその日はきっと部屋に篭る……っていうか篭ってやる。
 叫んでた理由なんて彼に言えるわけがない。今度は違う意味で顔が引き攣る。
 空笑いしながらちょっと急いでたと言ってなんとか誤魔化す。眉間に皺が寄っていて納得がいかないという表情をしていたが、彼が追及することはなかった。
 けど、

「まぁ、誰しも失敗の一つや二つあるだろうから、気にしない方がいいと思うけど」

 なんて言葉を貰ったので、もしかしたら大方は知られてしまったのかもしれない。
 とりあえず、澤村の言葉に明日菜は苦笑で頷くことしかできなかった。
 明らかに気まずい空気が漂い始めたその場に、無機質で高い音が割って入ってきた。

「あ、悪い。俺だ……」

 その無機質で高い音は、携帯電話の着信音であるのにかわりはないが、初期設定にされている着信音だ。
 明日菜もそうだが、澤村はこういうものに対しての欲を持っていない。別に知識がないわけではないのだが、この音の方が案外気付きやすいのだ。明日菜も携帯に元々入っている着信音で済ましている。
 音的にたぶん電話なんだろうなーと思っていると、予想は見事的中。
 澤村は一度ディスプレイを見て首を傾げた後、電話を取った。
 場の流れ的に、明日菜はその場に残って澤村の電話が終わるまで待つ。ここで立ち去れば気まずい空気から逃げることができたのだろうが、誤魔化していることを肯定しているようでなんとなくできなかったのだ。

「え、か、絡繰さん!?」

 絡繰? ……ああ、茶々丸さんのことか。
 なんて、澤村の驚きの声に心の中で反応をする。
 彼は、木乃香やネギ以外の人物はほとんど苗字で呼ぶ。
 木乃香は本人からそう言われたからで、ネギは……きっと、皆がネギ先生と呼ぶからその流れでだろう。
 因みに和泉亜子という例外もいる。和泉、と呼び捨てにしているけど、これもやっぱり苗字。
 明日菜のことも苗字で呼ぶが、さん付けというのが結構気恥ずかしいというかむず痒いというか。
 折角苦楽を共してできた初めての男友達にそうやってさん付けに呼ばれるのも、結構寂しいものだ。
 うん、彼が電話を切ったら、頼んでみよう。下の名前を呼ぶのが嫌だと言われたら、せめて苗字の呼び捨てとかしてもらおう。決定。ついでに言うと、名前で呼ばせてもらえるといいなと思うが、相手の出方次第としておこう。
 電話で百面相している澤村を見て、勝手にそんなことを決めつける。
 そんなに間は立たず、澤村は電話を切った。少し顔が暗いと言うか疲れきっていた。

「……俺、今から出かけるところができたから、失礼するよ」

 力無く笑う澤村が自分の横を通りすぎる前に、明日菜は口を開いて彼を止めた。
 不思議そうな澤村の顔が明日菜の目に入る。

「あのさ、今更こんなことを改めて言うのもおかしいかもしれないけどさ」

 そして、刹那の時のように、もっと仲良くなりたいなと素直に思えた澤村に、

「明日菜でいいから」

 そう、はっきりと言った。それと同時に澤村の間抜けな声が漏れる。表情は綺麗に固まっていた。

「――――はい?」

 今、なんて? とでも言いたそうな問い返しの声。ダメだ、なんだか彼はパニクってる。やばい、もしかしたら嫌だっていうオチか。
 慌てて弁解をする。弁解と言うほど大それたことでもないのだけれど、一応。

「いやっ……嫌ならいいんだけどね? ほら、神楽坂さんってなんか他人行儀じゃない?」

 さっきだって、自分の名を呼んでいる途中でぶつかったし。
 長い苗字っていろいろ不便じゃないですか、な勢いで明日菜は言う。
 そんな彼女の言葉に、ようやく澤村が動き出す。ニカリと笑って、

「……それ、木乃香さんにも言われたよ――――――“明日菜さん”」

 と答えた。
 その笑顔は、少しだけ照れくさそうに見えた。





 やばい!
 やばいやばいやばいやばいぃっ!!

「あ〜〜! 何やってんだ、俺ぇっ!!」

 現在澤村翔騎、エヴァンジェリンの家に向かって月を背に、爆 走 中 ! !

 携帯のディスプレイを見れば公衆電話って表示されるわ、
 出たら絡繰茶々丸が電話相手だったりするわ、
 用件は来いの一点張りだわ、
 拒んだらエヴァンジェリンが脅しをかけてくるわ、
 神楽坂明日菜に名前で呼んでと言われるわ、
 そんでもっておまえけに下の名前で呼んでいいか聞かれるわ、

 もう、何がなんだかわからない。

 明日菜の視界からはずれた瞬間、澤村は、無意識に走り出していた。
 驚きやら恐怖やら疑問やら嬉しいやらで澤村の頭には余裕のよの字もなかった。
 特に一番最後の出来事は、かなり嬉しく思う自分がいてしょうがないのが非常に恥ずかしい。
 にやけるというよりも、ただただ顔が熱くなるばかりで、恥ずかしいったらありゃしない。
 けど、とりあえず明日菜の名をつっかえずに言えた自分に盛大に両手を上げて飛び跳ねたい。バンザイ。
 名前で呼んでと言ってもらえることに、なんだか逃げていた自分を軽蔑していないと言ってくれているように感じてしょうがなかた。
 けれど木乃香の時とは別の嬉しさが澤村を惑わしていた。
 とにかく、無意識に走り出した自分に言う言葉しか出てこない。この興奮はなんだ。出てくる言葉は、「やばい」と「何やってんだ」くらいだ。
 落ち着こう、とにかく落ち着こう。走りながらでもいいから落ち着こう。落ち着いてくれ、自分。

 ――――――……くだらない思考回路が正常な動きへと戻るのには、結局エヴァンジェリンの家につくまでかかった。

 エヴァンジェリンの家の扉をノックするが、返事が無い。
 おーい! と声を出すも、返事がないのでその場で待ってみる。いくら呼ばれたからと言っても、勝手に入るのはさすがに気が退ける。
 だが、さほど待つことも無くお出迎えが来てくれた。

「……どうぞ」

 無機質な声と共に、扉が開かれた。
 ネギの試験の時と同じように、ノースリーブのYシャツに黒いネクタイと黒い巻きスカートをはいている茶々丸が出迎えてくれた。
 どうも、なんて気抜けた挨拶をして家の中にろうと一歩踏み出したと同時に、

「人の話を聞け、貴様らーーーッ!!」

 今度は家の主の怒鳴り声が澤村を出迎えてくれた。

「……何やってんだ、あいつ」

 思わず呆れた声が漏れる。
 しかも今の怒鳴り声は聞き捨てならない。まるで誰かいるみたいに聞こえるではないか……それも結構多い。

「マスターがネギ先生とこのかさんに魔法について少し講義をしているんです」

 澤村の独り言に律儀に答える茶々丸。
 ……待て。じゃあ、なんで自分は呼ばれたんだ?
 澤村がそう問うと、茶々丸はわかりません、と答えた。こちらもさっぱりわかりません状態だ。
 とりあえずもう一個の疑問を聞こう。

「俺の携帯の番号、教えたっけ?」
「いえ」

  即答で返される。何故、と問い返すと茶々丸は、私はそういう風にできていますので、となんだか返事のしずらい返答を頂いた。答えてくれたのは、どう電話を したのかということだけ。なんでも食料を買いに行ったときに近くの公衆電話の回線を拝借してかけてきたらしい。非常に物騒でかつ、ずるい手段である。ただ で公衆電話を使ってしまうのだから。
 彼女に案内されて2階へと進むと、なんだかちょっとおかしい光景が視界に入ってきた。
 床にしゃが み込んで、指でのの字を書くネギとそんな彼の肩に手を添えて困ったように笑う木乃香、彼女が手を置いている反対側の肩にカモがいて、丸太を半分にきったよ うな椅子に腰掛けてその様子を見る刹那と同じく丸太を半分に切ったようなテーブルに手でばんばん叩く眼鏡をかけたエヴァンジェリンがいた。
 何故か黒板もあり、英語で「1.精神力の強化。2.術の効率化」なんてことが書かれている。

「うじうじしてるとくびるぞ、ガキが!!」

 くびる、とはどういう意味だろうか。
 わからないが、なんだか危険な響きである。
 といはいえ、話の内容がさっぱりなので、刹那に何があったかをエヴァンジェリンがしゃべっている間に聞き出した。
 簡単に答えは得られた。ネギと明日菜が夕方に喧嘩したらしい。
 明日菜の様子がおかしかったのもそれが原因だろうか、なんてことを思っていると、

「澤村」

 短く、はっきりと名を呼ばれる。
 顔を向ければ、エヴァンジェリンの瞳が澤村を捕らえていた。
 一応気が付いてはくれていたらしい。

「こいつらが人の話を聞かないせいで、もう少し時間がかかる。悪いが、ここで話に付き合ってくれ。流してくれてもかまわん」

 皆……主にネギを睨みながら言ったエヴァンジェリンの言葉に頷いて、澤村は刹那と向かいの席に座る。
 エヴァンジェリンの口から出た言葉は、澤村にとっても意味があるもので流せるようなことではなかった。
 近距離型の『魔法剣士』と後方支援型の『魔法使い』―――――サウザンドマスターは、魔法剣士だったらしい。
 ……もしかしたら彼女は、意図的に澤村をこの場に呼んだのかもしれない。面倒な説明を一度にしたかったのだろう。彼女らしいと言えば、らしいことである。

 にしても、このむずむずとする感覚はなんだろうか。

 いや、素直に視線を感じる、と言っておこう。さっきからずっと視線を感じるのだ。
 黒板を見ることで必死にその視線に気が付かないようしているのだが、どーしても気にせずにはいられなかった。
 澤村の右斜め前の人物――――木乃香の視線を。
 微妙に見える彼女の顔は、妙に真剣で非常に困る。まるで亜子に見られている気分のようだった。
 嘘をついて魔法とかのことを隠す澤村に疑惑の視線を向けているときの表情と少し似ていて、気まずい。
 しかし、それもすぐに終わった。
 エヴァンジェリンがまだ話があると木乃香と共に下へと下りて行ったのだ。
 思わず安堵する。
 しばらくすると、ネギが父の話を聞いたせいか体を動かしたくなったのだろう、拳法の型をやり始めていた。
 その目はまっすぐで、先ほどのようなうじうじとしている姿は微塵も無い。
 まぁ、何を考えているかは、大体想像がつくのだが……一応言っておこう。

「ネギ先生、神楽坂さんのことはいいんですか」

 そう言った後、やはりしばらくは、下の名前で呼ぶのは時間がかかるなーなんてことを思った。





「お前が考えていることは大体想像がつくが、一応問おう。何を考えている?」

 エヴァンジェリンに従い、下へと降りた木乃香はファンシーな部屋に入るなりそう言われた。
 ソファーのスプリングを軋ませながら座ったエヴァンジェリンの表情は、愉しそうに笑っている。きっと彼女の言う通り木乃香の考えていることがわかっているのだろう。
 しかし聞かれたのだから答えなくては。
 木乃香は素直に口を開いた。

「ウチ、ずっと考えとったんよ。翔騎君、せっちゃんに剣道教わり始めたやん? もしかしたら、ネギ君と同じ道に進もうとしとるんかなて。修学旅行の時、術を学ぶ機会があったのに、て言っとったし……ウチともしかしたら同じことを考えとると思ってたんや」

 自分と同じように、力を持っていて、
 自分と同じように、捕われの身になって、
 自分と同じように、戸惑いと恐れを抱いて、

 自分と同じように、術を知らなかった。
 自分と同じように、自分の無力さを呪った。
 自分と同じように、心の奥底で苦悩していた。 

 そんな彼が、今自分よりも先の道を歩んで――――確実に自分の身を守れる術を身につけていた。
 彼が魔法を学んでいるかなんて、鍛錬に望む彼の姿を見れば一目瞭然だ。
 皆には言わずにいるが、絶対に彼は魔法を身につけようとしている。

 それを知った時の想いをどう表現したらいいのだろうか。

 そう、一言で言い表すなら――――――歓喜。

 自分が進むべき道が照らされたような、そんな感覚を覚えた。
 どんなに思い通りにいかなくても努力し続ける彼の姿が、自分に大丈夫と言ってくれているようで、安心できた。
 鍛錬の時、休憩している彼の横でいつも彼の様子を見ていた。
 彼にも迷いがあるらしく、元気がないときがある。それでも彼は進んでいるということをよくわかっているつもりだ。

 怯えたり、迷ったり……それでも彼は、進むことを止めようとはしない。

 だから、自分もそれでいいのだと思えるようになったのだ。
 きっと怯えたり迷ったりすることもあるはずだけど、それでもゆっくりでいいから前に進みたい。

 ―――――大丈夫、支えてくれる人もいる。

 木乃香は天井を見上げて微笑んだ。
 すると、盛大な溜息が木乃香の耳に届く。
 顔を戻せば、呆れた表情をしたエヴァンジェリンが足を組んでソファーに座っている姿があった。

「にやにやして天井を見つめるな、気持ち悪い」

 その言い方は酷いと思う。
 木乃香は珍しく自分が苦笑しているのを自覚した。
 で? と先を即すエヴァンジェリンに木乃香は言葉を続ける。

「ウチも……守られるだけなんてもう嫌や。だから―――――」
「―――――魔法を学びたい、か」

 自分の言葉を遮ったエヴァンジェリンの言葉に、木乃香は頷く。
 そう決めたのだ。
 たとえ迷うことがあっても自分は前に進みたい。
 まっすぐエヴァンジェリンを見つめる。

 しばらくすると、エヴァンジェリンは大きな溜息をついた。

「……あいつも同じ事を言っていたよ」

 その言葉に、木乃香は満面の笑みを浮かべた。
 それと同時に、

「こんばんわー」

 自分とは少し違った、のんびりとした口調が耳に届く。
 振り返れば、そこには葉加瀬聡美がいた。
 慣れた様子で彼女に言葉を返すエヴァンジェリンを見ながら、ふと思う。
 ……さきほどから、上が少々騒がしいけれど明日菜のことでも話しているのだろうか、と。





 葉加瀬聡美という、全く話したことのない人物と対面した澤村は、とりあえず言う。

「……それってセクハラじゃないんですか」

 決してこれは、聡美に向けて言った言葉ではない。彼女と軽い挨拶を交わした後にでてきたネギと明日菜の喧嘩の件に関して原因をつきとめようということになり、喧嘩直前の会話を見たのである。もちろん、茶々丸がその会話を記録して、それを出力したものである。
 少しプライバシーの侵害かな、と思いつつも場の流れ的に椅子から腰を上げてその会話文を覗いたのだが……どこから得た知識なのか、ネギが明日菜に言った言葉は澤村がそう言えるほどのものだった。
 いや、もしかしたら、毛がないという意味がどこの毛のことなのかわかっていないのやもしれないが、それでもこの発言はまずいだろう。
 素直にそれを言うと、あう、とネギは声を漏らす。さすがにこのパターンは慣れてしまった。
 ……とは言っても、この単語の意味がわからなかった澤村がとやかく言えないのかもしれない。因みに単語の意味はカモがこっそりと教えてくれた。
 そもそも、明日菜が怒っているのは、その件に関してではないだろう。

 ―――――元々僕達とは関係ないんですから。

 いつまでも迷惑かけてはいけないと言っていても、これに怒った明日菜の耳に届くはずがない。
 エヴァンジェリンや修学旅行の件で散々巻き込まれて、苦楽を共にして仲間と思っている人からの言葉は相当堪えた事だろう。

 ただ、自分も同じ事をすると思う。

 あえて違う点を言うならば、きっとこのまま仲直りを考えずに切り捨ててしまうということ。
 そうすれば、確実に危険から遠ざけることができるはずだから。
 こういうところが、自分とネギの違いなのかもしれない。
 澤村はそんなことを思いながらもネギをちらりと見た。未だにあうあうと言って半泣き状態の子供に苦笑が漏れる。
 結局、澤村がネギに明日菜を怒らした原因を言うことはなかった。
 自分で気が付かなければ、ネギのためにならないからだと思ったからだ。
 ……いや、やはり正直に言おう。
 なんとなく、そうするのが嫌だったのだ。
 深い理由は澤村自身もわからない。ただ、本当になんとなくもやもやとした気持ちがそれを拒んだのだ。
 明日菜が怒った原因が、裏側の世界にいる刹那達にわかるはずなどなく、結局『とりあえず謝る』ということで話は収まった。
 ネギはすぐさま、刹那たちから離れて電話をしようと歩き出す。
 それについていったカモが澤村に、

「―――――旦那も人が悪いな」
 
 と零してネギの足元へと駆け寄っていく。
 もちろん、澤村の足元にいたわけだから、彼に聞こえるように言うとなるとそれなりの音量が必要となる。
 刹那達はもちろん、ネギにも聞こえていたのだが、カモの言葉がわからない彼女らは首を傾げることしかしなかった。
 澤村は、珍しく苦笑して言ってきたカモの言葉に、自分でも知らない何かを彼は知っているような気がして、その身を固めてしまう。
 だが、それも少しだけのことで、ネギと入れ違いにやってきた木乃香とエヴァンジェリン達を見て澤村はすぐさまエヴァンジェリンに声をかける。

「ああ、澤村、まだいたのか」

 ……自分で呼んでおいてそれはないと思う。
 それを目で訴えて見せるのだが、エヴァンジェリンはにやりと笑うだけだった。駄目だ。自分を見て、楽しんでる。
 澤村は小さな溜息を漏らして、エヴァンジェリンから顔を背けると―――――隣にいた木乃香と目が合った。
 木乃香がにっこりと微笑む。
 その笑顔の意味がわからなかったので、首を傾げながらも微笑と呼べるかどうかすら危うい微笑を彼女へと返した。

「悪いが、刹那、木乃香。少し澤村と話がある……どうせぼーやが戻ったら帰るのだろう? 下で待っていてやれ」

 少し無理のある言葉だった。
 それでも刹那と木乃香はエヴァンジェリンの言葉に素直に頷いて、下へと降りて行ってしまった。
 ……ちらり、と木乃香が澤村を見たのを感じつつも、澤村はエヴァンジェリンへと向き直る。

「それじゃあ、私は茶々丸のメンテに入りますねー」
「ああ、わかった」

 部屋の奥へと消えていく茶々丸と聡美とチャチャゼロ。
 エヴァンジェリンと澤村は向かい合って椅子に座る。
 そして言われた。

「―――――侵入者が、お前を襲っただろう」

 びくり、と体が跳ねた。
 彼女は結界を破って入ってきたものを察知することができる。麻帆良学園の警備をやっているのだから、当然のことだ。彼女が侵入者に気がつかないことなんてない。
 澤村は固い表情で頷いた。

「お前を襲った後、そいつはゲートを通って麻帆良都市内を去っていったよ。……この結界も安易なものではない。あのジジィ達が作った結界だ。ゲートを結界の外と内に開くことなどできないようにしている」

 それなのにその侵入者はゲートを開いた、と愉しそうに言ってくるエヴァンジェリン。
 次に彼女が何を言うか、想像がついた。

「つまり……侵入者は、かなりの魔法技術を持った奴ってことか」

 そう澤村が口にすると、エヴァンジェリンはそうだ、と愉しそうなまま肯定し、言葉を放つ。

「目的は知らんが、またそいつは襲ってくるだろう。せいぜい用心しておくことだな」

 どうやら手伝う気はないらしい。澤村は苦笑してわかった、と答えるしかなかった。
 目的が自分だと可能性を高く感じていても、澤村の勘でしかない。エヴァンジェリンに言えるはずが無かった。
 それと……と、エヴァンジェリンは、とってをつけたように話を変える。

「魔法の勉強の方はどうだ。お前のことだ、うまくいっていないのだろう?」

 わかっているのに、この金髪幼女は聞いてくる。
 笑っているところを見ると、ほぼ確信しているといった様子だ。
 澤村は彼女の期待通りに答えた。

「ああ、全然うまくいっていないな。意味もさっぱりだし、何より翻訳に時間がかかる」
「それはそうだな」

 肩をすくめて言うエヴァンジェリン。
 そこまで自分は魔法使いの才能がないといいたいのだろうか。それにしてはあまりにも遠回しすぎて、癇に障る。

「どういう意味だよ」

 軽く口を尖らせてそう問うと、エヴァンジェリンは歯を見せて笑ってみせた。

「前 に説明しただろう。『お前の魔力は、肉体を強化するのに優れ、そしてお前の体も魔力をのせたりすることに適している』と。以前は少ししか説明していなかっ たな。あの時は、属性・特徴があると言ったが、元々魔力というものは同じ物だ。万物に宿るエネルギーだからな。そのエネルギー……魔力が特徴を持つのは、 魔力を受け入れる器によってかわる」

 こうやって説明が始まれば、澤村は聞き入ることしかできなかった。
 黙ったまま、エヴァンジェリンの言葉に耳を傾ける。

「得意な魔法、不得意な魔法も、魔力の特徴によって多少はかわる。だが根本はなんの性質もないエネルギーだ。ようは魔力の使い方次第だから、私も他の属性の上級魔法を使える。技術と知識があればとは、単純に努力が必要ということだ」

 ……何が言いたいのだろうか。
 とは言ってもここで口を挟めば鳩尾に拳は必至。ここはやはり黙っていよう。
 エヴァンジェリンも澤村の思いを察していたのか、こう言う。

「何が言いたいかというとだな……あの本に載っている最初の呪文。お前には難しいだろう。お前にとっての初心者用呪文ではない」
「え……な―――――マジかよ」

 抱え込んでテーブルに額をつけて、頬杖していた手で頭を抱え込む。
 つまり、今までの努力は、無駄ではないとしても速効性はないものだったということだ。これはさすがに答える。
 早く自分で自分を守れるようにしたいというのに、これでは意味がない。
 新たな敵も出てきたと言うのに、またネギ達に迷惑をかけてしまう。

「あとは自分で考えることだ……まぁ、頑張ることだな」

 話はそれだけらしく、締めくくる言葉を放つとエヴァンジェリンは立ちあがる。澤村もそれに習って立ちあがった。
 新しい携帯をポケットから取り出して時間を確認すると、かなり遅い時間となってた。もうそろそろ帰った方が良いだろう。
 どうやらエヴァンジェリンは茶々丸の様子を見に行くらしく、部屋の奥へと消えようとしていた。
 おいたまするなら、今別れの挨拶をした方が良いだろう。

「俺、そろそろ帰るよ。それと――――――」

 これは自分なり決めたことだ。
 決して彼女のためになるかどうかなんてわかるはずないのだが、その変わりはネギ達がやってくれている。
 なら自分は―――澤村は、澤村らしく彼女に対応しよう。

「―――――礼を言うつもりは、ないからな」

 感謝はしている。
 けれども、彼女のことを知ってしまった以上、礼を言うことはできなかった。
 悪い魔法使いとして生きると決めた、彼女のためだ。
 その意が彼女に伝わったかどうかはわからない。
 わかったのは、

「別に感謝される必要はない。……ただの暇つぶしだ」

 彼女の声が、柔らかいようで固かったということだけだ。

「――――――澤村」

 澤村は踵を返して、下へおりようと階段の手すりに手をかけると、彼女はさきほどとは違った声色で、呼び止めた。
 顔だけをエヴァンジェリンに向ける。彼女は澤村に背を向けていた。
 嫌な、予感がした。

「お前が何処へ進んでいるのかは知らないが……その道を阻む者は、いつか現れる。―――――いつか、な」

 部屋の奥へと消えていくエヴァンジェリン。
 澤村は、彼女の背中を見つめることしかできなかった。

 ―――――――脳裏に過る敵の姿を必至に振り払いながらも澤村は、女子寮の自室へと帰る。

 嫌な予感やもやもやとした何かをどうしても振り払いたい衝動に襲われ澤村は、シャワーを浴びようと脱衣所に入った。
 上を脱ぎ、ズボンを脱ぐ。
 ……その途中で、何かが足にあたった。

「あ」

 見れば、午前中に元ルームメイトにプリントアウトしてもらった女の子の画像だった。
 思わずそれを広い見つめてしまう。
 やはり、どこかで見たことがある。
 唸りながらもそれを見つめ続ける。
 いつもと違う何かがあるのかもしれない。
 服、ポーズ、仕草、化粧、眼鏡……――――――眼鏡?

「……――――ああっ!?」

 ぱっと浮かんだ顔に思わず声が出る。
 下着姿のままで机へと向かう。元ルームメイトと同じことをしているのだが、今はそれどころではなかった。
 ひらめいた、といってもいいほどのこの爽快感というか充実感。難題を解いた時のような開放感とも言えるかもしれない。
 机にあるシャーペンを鉛筆立てから奪い取る。
 そして、衝動のまま、女の子の目の回りに大きな丸をぐりぐりと書くと、それを目の高さまで持ち上げた。

「…………」

 口がぽっかりと開く。
 これは、結構すごい衝撃だ。
 この女の子は、確かに澤村が知る人物だ。やはり3−Aの人物。
 どうりでわからないはずだ、と妙に冷静な脳内がが言っていた。
 にっこりと笑う美少女の正体は―――――

「……長谷川さん」

 ―――――そう、常識人だと思っていて、命綱だと認識していた長谷川千雨だったのだ。

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